やる気を科学的に捉え学際的アプローチで解決する

 

はじめに第1章第2章第3章第4章・第5章第6章第7章第8章第9章第10章最後に

 

V なぜ勉強してくれないのか?


(1)自分のことであるとの認識が希薄
 多くの受験生と接して話をしてきた経験から言えば、勉強をやる気がない学生は、自分が当事者である意識が希薄である。試しに勉強をせずにTVゲームをしている子供に聞いてみて欲しい。

・大学に落ちたらどうするのか?
・その次も落ちたらどうするのか?
・進学しない場合は何を仕事にするのか?

 勉強をモリモリがんばる学生は、この質問にストレートに答えることも珍しくはない。例えば、滑り止めの第二、第三志望校に進学する、あるいは、もう一年死ぬ気で勉強する、あるいは、どこでもいいから使ってもらえるところで働く・・・などである。ところが、勉強をがんばることができない学生は「分からない」と答えることが多い。
 また自分の将来について、まるで他人事のように発言してしまう学生も多い。「受かるならがんばるけど、受からないなら頑張らない。」「あーあ、○○になりたかったなぁ」などである。大変性格は優しく根は真面目、才能豊かな子も、これらの子には多いが、このように答えてしまうのである。

 一方で、この辻本君は、「知るか、やれ」と「自分で自分にムチを打てるようになりました。」と述べている。

 

辻本 新さん(慶應義塾大学 経済学部・法学部・総合政策学部・環境情報学部 合格)

 



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これは意識の違いである。

 

 

(2) 将来のことを考えない
 勉強をする気になれない子に共通する特徴は、あまり将来のことを考えられないということだ。当然将来のことを考えられないので、なぜ勉強しなければならないのかについての理由も自分の中に無くなってしまう。勉強はお金やキャリアパスのためにやればいいわけでもない。そうあってもいいがそうでなくてもいい。単に好きだから数学や物理を頑張っているうちに、研究者となり、研究職についてもいいのである。ただ、将来のことを考えることは学生にとって大きな力になるようである。将来構想は大きなモチベーションとなり得る。

(3)自立型マインド
 勉強をがんばることができるかどうかは、どれだけ本人が精神的に自立できているかにかかっていることが多い。自立心というのは、放置されることによっても育つ。獅子は、自分の子を谷に突き落とすと言われるが、このように一見すると(むちゃくちゃをしている)と思われることが、(可愛い子には旅をさせよ)ということわざや、(ムチを惜しめば、子供を台無しにする)という海外のことわざにつながっている。燕の親は、子が巣立つ時に、つついて巣から落とそうとする。お金を出して、たくさん支援してやれば支援してやるほど、子どもの側は(親が助けてくれる)と思う。欲しいモノがあればすぐに買ってもらえる。ねだることで助けてくれる。この繰り返しが積み重なると、表面的には大人になりつつも、精神的には心のどこかで他者に依存する癖のようなものがつくことがある。このような気持ちは何十年も取れないこともある。

(4) やればできるという感覚が無い
 心理学の世界では、学習性無力感という言葉がある。人間に限らず他の動物も、過去に努力したにも関わらず失敗した経験があると、(がんばっても無理だ)という感覚が残る。勉強というのはやれば、誰でも記憶に残すことができるため、何も難しいことはないのだが、(ダメだ)(無理だ)という感覚が頭に残ると、途端に難しく感じる。そしてやる気が一気に低下するのである。  本人のセルフイメージがひどく傷ついていることもあれば、親や兄弟、教師が(お前はダメだ)と知らぬ間にメッセージを与えていることもある。これは悪循環の根源であるため、あらゆる手段を用いて、対処する必要がある。

(5)やればできると考えるのがまずいのではない

3-5-1 理由1 能力の問題に帰結させる思考法がそもそもかなり問題を抱えている
 近年「やればできる」と言うのが良くないという言説があるようである。理由は、やってもできないことが証明されると、自分の能力の低さを思い知らされるので、行動できなくなるからというものである。これは、一見正しいようで正しくない部分もある。その理由は、やってダメであったとしても、能力の問題に帰結させる必要はないからだ。
 先日ある京都大学受験生にアドバイスをした際にも同じようなことを私は話した。模試の点数は、自分の能力を示しているものではないということである。模試の点数はたんに自分の記憶量を反映したにすぎない。したがって、(ふーん、これくらいの記憶量だとこの程度の点数になるのか)と考えることが大切である。こうやって物事を定量的に分析し、何が原因で問題が発生しているのかを突き止め、対策案を立案していく。
 こういう考えができない場合、模試で点数が悪い場合、(俺の実力は所詮この程度なんだ。俺には無理だ。頭がいいやつは特別だ。)というように、勘違いが頭に刷り込まれる。当然やる気は0に近くなり、その後の人生でもチャレンジする力を失っていく。

3-5-2 理由2「積極的に生きる力」という大きな人生の財産を失う
 受験というのは、単なる学業や人生でのキャリアパスの道具ではなく、人生に今後起こるあらゆる問題、身に降りかかる問題に対する対処法の練習でもある。一度(もうダメだ)(俺には無理なんだ)(私の能力なんて所詮この程度なんだ)(自分には可能性なんてない)(自分は低能だ)というように頭に刷り込まれた人間は一生そのセルフイメージを引きずって生きていくことになる。今後あらゆる困難に直面したとき、問題解決の力がある人間と無い人間ではどちらがたくましくタフに生きていくことができるだろうか。
(少しだけ考えてみて欲しい。)

3-5-3 理由3 依存心と甘えを増長し、負の悪循環の入口となり得る
 やればできると言えば、自分がダメだったときに、能力が低いことが証明されてしまうという考えは、根本的に「依存心や甘え」が存在する時に生じる考えだ。その考えが肯定されたとき、ずっと他の人の目ばかりを気にしながら、人の顔色を伺いながら生きていくようになる。自分の問題を自分ごととして解決しきっていくという自立心が根本から萎えていく。本気で物事にぶつかっていくという感覚を教えてもらえないことの方が問題である。教師もなあなあ、親もなあなあ、就職しても人間づきあいもなあなあ、表面的に仲良しクラブを形成してそれとなく、なんとなくつながって内輪で盛り上がる話で、人の顔色を伺いながら話をする。こういう時に本気で話すということや、本気で自分の問題を解決するという感覚はない。

3-5-4 理由4 思考力が低下しやすくなる
 私は大学院で人の思考力を研究していたが、自分の能力に大きな関心がある人は、総じて思考力が低いことがわかった。したがって逆説的で皮肉だが、自分の能力評価を大切にする人は、感情を思考の起点としている時点で、実態からズレるのである。実態として世の中に存在している諸問題に対処する力は益々下がっていく。

3-5-5理由5 チャレンジの重要性と本気を教える教育は実績多数
 「やればできるという感覚と、本気を教える教育」で、慶應大学等の難関大学に偏差値30程度の学力から、私は無数に合格者を出してきた。むしろ、低偏差値、何も無い状態からの難関大学合格や難関試験合格は極めて普通のことである。やる気と判断と効率を限界まで高めればおのずとそうなる。もちろん、すべてのケースでうまくいくわけではないが、逆に言えば、失敗の大きな原因は、信頼関係の希薄さ等にある。厚い信頼関係の中で上記のスキルを磨いて何度チャレンジしても失敗した人は今まで一人もいない。

 

慶應大学等の合格実績(大学院も含む)
http://www.skilladviser.com/base/sixyouron/sr-2/yoro-sr.html

 

〜やればできるという感覚を育むことが重要な5つの理由〜
・能力の問題に帰結させる思考法がそもそもかなり問題を抱えている
・「積極的に生きる力」という大きな人生の財産を失う
・依存心と甘えを増長し、負の悪循環の入口となり得る
・思考力が低下しやすくなる
・チャレンジの重要性と本気を教える教育は実績多数

 

 

 















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