やる気を科学的に捉え学際的アプローチで解決する

 

はじめに第1章第2章第3章第4章・第5章第6章第7章第8章第9章第10章最後に

 

(6)日本トップレベルが当たり前の塾
 手前味噌だが、私の運営する塾では、日本トップレベルが当たり前である。成績で言えば、全国10以内続出。トップ3%からトップ0,1%までの範囲で成績が分布することもある。
(私は人と違って○○な人間なので・・・)
(僕が置かれている環境は悲惨なので・・・)
(私はお金が無いので・・・・)
(僕は健康が無いので・・・)

 などの、言い訳は、一切無しである。私が学んだ大学院の学長である大前研一氏いわく
「言い訳ばかりする会社がいいわけない」
私も同意見である。(一応ダジャレらしい。ダジャレを卒業までにたくさん聞かされた。)

 私自身も、ナイナイづくしの状態から結果を出してきた。お金が無い、健康も無い、小学校低学年の頃から処方された薬で薬害になる。頼ることができる人脈もない、強い人間でもない、そういうナイナイづくしの状態は、言い訳を作ればいくらでも作ることができる。やればできると思ってみても、そう思って実際にやってみると、結果がでない時に、自分の能力の低さが証明されてしまう・・・などと、思うことはしない。根本的にそれは実態面からも、原理面からもズレている。できないと考えることが一種有り得ないというイメージが無ければならないからだ。できなかった時に・・・と考えている時点で負けているのである。

(7)思考は現実化しない部分もあるが、する部分も極めて大きい
 数千人の成功者を調査した人がいる。彼らの共通点は何かを調べた結果わかったことは、信念が強いということだ。人が絶対に不可能だと思ったことを成し遂げる人間は例外なく信念が強い。少々の困難は彼らにとって困難ではなかったということである。信じられない偉業を成し遂げた人物は例外なくこの信念のレベルが高い。これを高めていく教育こそが求められる。超一流に例外はほぼない。

(8)現実に不可能なこともあるのでは?
 しかしながらあなたが考えるように、現実には不可能なこともある。問題は蓋然性の問題と分析力である。自分の生活信条にかなった方針で、自分ののぞみを叶えるために、目標設定をするということは、戦略立案と、行動上の問題だ。これらの施策については、私は世界最高レベルのメソッドを学んだ。ビジネスブレークスルー大学大学院で、世界一と言われるコンサルティングファームのマッキンゼー流の問題発見、問題解決、戦略立案方法を学び目標設定法について、ケースメソッドと呼ばれる手法で鍛錬し、MBAを取得した。

 また不可能なことに近いので手をつけないというのは、投資判断上の問題であり、現実にはのるかそるかのギャンブルをやる必要はまったくない。複数の施策を合わせて、自分の行動にレバレッジをきかせるように、各種行動を組み合わせることもできる。またその上で、リターンが最大化されるように施策を組むこともできる。このような手法は、経営学では学問として成立(金融工学)しており、計算の対象にできる分野である。したがって、目標が非現実的であるかどうかという問題は、本人のマインドの問題と、分析上の問題であり、蓋然性の問題として扱うこともできれば、学習を投資と見て、投資の組み合わせの問題として扱うこともできるのである。経営学の世界では、可能性が低いので、やらないというのはナンセンスでレベルが低い判断だ。その可能性の低さをどう意味付けるかということが議論の対象になるからである。

 例えば、世界屈指の企業として、優良企業のキャノンがある。キャノンでは、一部の爆発的な成功を生むために無数の失敗を経験している。失敗を失敗と捉えるか、成長の好機と捉えるかは、資本力からの投資判断の妥当性の問題に過ぎない。
 これと同じように、若い子にとって重要なことは失敗を恐れずにチャレンジすることだ。挑戦することを通して、失敗があったとしても、その失敗に拍手が送られる文化こそ望ましい。世界のITの総本山と言われるシリコンバレーでは、Google、Twitter、フェイスブック、アマゾンなどの超巨大企業が生まれているが、すべてこのような文化的背景から一大経済圏が構築されているからである。人生で後悔するのは、挑戦して失敗することではない。挑戦して死ぬときに後悔する人はいない。死ぬときに人が後悔するのは、失敗を恐れて、若い時にチャレンジしなかったことなのである。

(9)勉強の意味と価値に気付くことができない
 勉強の意味や価値に気づくことができないと、あまり勉強をしない。苦労を知らない人は総じてこの傾向が強い。「若い頃の苦労はかってでもしろ」とは、昔からよく言われることであるが、若い時の苦い経験や苦労は、本人にとって一生の財産となることが珍しくないのである。

(10)娯楽が増えすぎた現代社会
 現代社会は、低コストで生活が可能な時代となった。娯楽が増え、あまりお金が無くともそれなりに豊かに暮らすことも可能になっている。その結果本当の幸せを知らずに生きていく人も多くなった。主体性が消えつつあるのである。本気で物事に取り組み、成果を出し、困難を乗り越える際に人は人生で最も幸せを感じるという研究がある。低コストで生活し、時間を消費する生活は、欧米流のポスト物質主義的な、ライフスタイルであり、豊かであると認識されることがあるが、人の幸せを研究するとそうではない部分もある。 日本を代表する漫画家の手塚治虫氏は、その著作「火の鳥」の中で、未来の世界を予言している。人々はムーピーゲームと呼ばれる空想の世界で快楽を得ることにより、現実社会と対峙していく力を失っていくという物語が、この著作の中に収められている。人がTVゲームをしながら、ボーッとしているとき、このムーピーゲームの中で人生を消費する「火の鳥」の一シーンと同じようになっているかもしれない。

(11)居心地がいい場所
 カエルを熱湯に入れると、すぐに危険を察知して飛び出すが、通常の水温の水を徐々にゆっくりと加熱していくと、鍋の中で沸上がって死んでしまうという俗説がある。実際にはそうならないという説があるがどうでもいいことである。
 これは人間の生活の例え話として捉えることができる。人はコンフォートゾーンと呼ばれる満足できる領域にいるとき、行動する意味を感じることができない。今の時代の価値観から言えば、ほどほどにやっていくという感覚を大切にする人は多いが、このコンフォートゾーンに居座ると、茹でガエルになるリスクがあり、成長の機会を失ってしまう。時代は今よりはるかに劣悪になっていく可能性もあるためである。

 

 














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