慶應大学 小論文対策 第二十一章 説明問題を理解する

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第二十一章 説明問題を理解する

 

21-1 説明問題の考え方
 説明問題の解き方についても、諸説あります。これらの理論について考える前に、説明問題の趣旨を一緒に考えておきましょう。説明問題は一般的に以下の受験生の能力を見ることが目的です。

 

  1. 1) 受験生の読解力(理解力の度合いが大きいか小さいか)
  2. 2) 受験生の表現力(表現力の度合いが大きいか小さいか)

 

21-2 「理解」についてあまり言及されない重要な前提
 説明問題を解いていても、なかなか納得できない解答に出会うことがあるでしょう。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。一般的に説明問題の解答例については、100点満点の解答を作ることは、予備校の講師でも難しいとされています。ある有名な東大出身の現代文講師であるY氏は、「私は東大の過去問題で100点は取れないです。」と言い切ります。有名人気講師でも、現代文という科目で100点を取ることができない理由は、説明問題そのものが持つあいまいさにあります。
 そもそも、何かを理解すると言っても、その「人によって成される解釈」は一定程度多様性を内包しています。数学のように、座標軸上にコード化された点を明確に規定できる性質は言語にはありません。多少のあいまいさを残すところが、言語というコードの優れた部分なのです。従って、理解は必然的に(出題される文章によって)一定程度あいまいさを残しつつ、多様な解釈によってなされるようになります。もちろん、解釈の程度が多様になりすぎれば、その課題文そのものが説明問題には適していないということになるでしょう。従って、本来は説明問題の精度を引き上げるためには、一定程度論理を追うことができるように、あるいは小説問題であれば、心情を的確にとらえることができるように問題が設計されるのが理想です。このような作業は、なかなかに大変な作業です。従って、問題が作成される際には、一定程度人によって行われる解釈にあいまいさが残る問題が作られることが珍しくありません。
 上記のような事情は、現代文はセンスなのか、それともそうではないのかなどの代表的な論争に大きくかかわってくる部分なので、きちんと理解しておくことが大切になります。解釈の幅(可能な解釈の範囲などと表現した方がいいかもしれません。)が大きな文章と、小さな文章がそもそも存在します。

 

21-3 表現についてあまり言及されないポイント
 理解と同様に、表現についても表現可能な幅が大きい内容と、そうではない内容が存在します。ある物事を説明する際に、Aという形で述べるか、Bという形で述べるか、Cという形で述べるか、3種類の方法があるとします。
 このように、多くの表現手段がある問題の場合、表現可能な幅が大きいので、安定して点数を取りにくいとも言えます。同じ内容を述べる際に、多くの表現手段が存在しやすい問題としにくい問題があると理解しておきましょう。
 説明問題は、どのように物事を説明しても、説明していることには変わりないので、基本的にどの程度うまく説明できているかを問題によって見られます。ところが、うまく表現できているという解釈には、いくつもの評価尺度が存在します。何をもってうまく表現できていると解釈すべきでしょうか。一般的にはこのようなことはほとんど現代文の解説でも、小論文の解説でも問題にすらされませんが、少し踏み込んで表現力の評価尺度を考察してみましょう。以下のような評価尺度が一般的に存在するでしょう。

 

【表現行為の評価尺度】

  1. 1)表現したい概念の適格性。(正確性)
  2. 2)表現手段の多様さ、巧みさ。(技巧性)
  3. 3)守るべき不文律と化した理想的な文体。(規範性:文体)
  4. 4)論理が再現されているかどうか。(論理性)
  5. 5)日本語の文法から評価可能か。(規範性:文法)
  6. 6)自然な文章になっているか。(柔軟性)

 

    1.  ①の正確性は、概念を的確に言語化できるかどうかです。うまく言葉にできず、自分が言いたいことを的確に言葉にできない人もいます。
    2.  ②の技巧性は、表現が稚拙か巧みかということです。
    3.  ③の規範性は、作法に準ずる文体が美しいかどうかです。
    4.  ④の論理性は言うまでもなく論理的な度合いが高いか低いかです。
    5.  ⑤の規範性は、日本語の文法から外れていないかどうかです。
    6.  ⑥の柔軟性は、読んでスッと意味が取れる自然な文章表現ができているかどうかです。分かりやすさなどと言ってもいいでしょう。

 

21-4 現代文の講義で「論理」と表現されるものは、論理ではないものがある
 一般的に現代文の講義の中で「論理」と表現されているものは、単なる「文章展開」であることが少なくありません。論理とは、何らかの命題を規定する論(言葉の)理(ことわり)のことです。従って論点が無ければ論理とは言えません。しかし、現代文の講義では、対照関係にある事項をAからBへの論理などと表現することがあります。本来これは論理とは呼べないものです。論理的に読み取るなどと表現される内容は、単に、「これらの対照関係を把握する」ということであったりします。論理的に読み取ると言われればなにやら正確なことをやっていると感じるかもしれませんが、実質的には、筆者が提示した類似関係にあるものごとを、類推の対象や理解の助けにしているだけ・・・ということが少なくありません。現代文や小論文の課題で出題される文章は、そもそも学術論文のような厳格な論理性が担保されたものではなく、大変雑な類推や論考に基づく文章であることが少なくありません。従って、一定程度は論理的に書かれていますが、その論理の程度は千差万別です。一般的には、「そこそこ論理的な文章」から「大変雑な推測」と言える範疇の文章が課題文として出題されています。(現代文や文学部における小論文など)

 

21-5 説明問題は理解度テストであり、類推テスト
 説明問題について、よく一般的に「センスじゃない、論理的に解け」と指導があります。しかし、ここまでにお話ししたように、そもそも論理的に組まれている程度が低い文章を論理的に読み解くという方針には最初から無理があります。もちろん、完全に無理というわけではありません。なぜならば、そこそこの論理は組まれているからです。抽象論の後に具体論を展開してみたり、何らかの主張の補足説明として類推可能な事例を展開するのが、評論文のお決まりのパターンだからです。従って対照関係にある事項から、読みにくい部分の内容を推測することや、抽象的すぎる内容を文章展開から読み解くことが可能です。しかし、これらの作業は論理的に読み解いているわけではなく、類推です。理解とはアナロジーのことであり、アナロジーとは類推のことです。従って最初から「類推せよ」と言われれば、言葉にはあまり誤りがないのですが、それではかっこうがつかないので、現代文の講師などは「論理的に読み解け」などと指導することが少なくありません。ところが、ここまでにお話ししたように、現代文や小論文の課題文特有のゆらぎとでも表現すべき現象(理解に幅があり、表現手段に幅があるような課題文が出題されること。)がある以上、どんなに論理や、構成から内容を読み解こうとしてもそれはできないとも言えます。

 

21-6 ここがおかしいセンス否定論者の意見
 「現代文はセンスじゃない、なぜならば、大学はそんなものを求めていないからだ。」という言い分はいろいろな意味で論理破綻しています。①社会、②大学、③大学の入試問題という3つの視点から説明しましょう。
 第一にセンスが無い人間は、審美性の観点からも、学術的な観点からも、評価のされようがないからです。文学を書くのにセンスが無い人間は評価できません。芸術の分野でもセンスが無い人は評価されません。研究をするのも、センスが無い人間は世界に貢献できません。審美性や真実性など、およそ学術が研究目的とする対象にセンスは絶対に必要です。2016年のノーベル文学賞受賞者は、ホフディランという音楽家です。彼の音楽表現活動が文学性という観点から評価の対象になりました。完全にセンスの世界です。詩を味わうのも、表現活動の側に回り表現するのもセンスが重要になります。大学がセンスを求めないのであれば、大学は社会的な人材を求めないということになってしまうでしょう。もちろんそんなバカげたことはありません。
 第二に、大学はセンスがある人間を求めていないという論拠が不適切だからです。大学は、研究を行うことができる言語運用能力がある人間を求めており、これをテストしているのであるからして、センスは必要ないのだという言い分があります。そもそも、研究能力は、言語能力だけに依存しているわけではありません。加えて、論理的思考力にセンスが影響しないという言い分も不適当です。論理とは、論理関係のつながりが強いか弱いか、何が重要判断基準なのかなどの総合的な判断力によってはじめて精度が増すからです。当然これらの能力は感性やセンスに依存しています。センスが無ければ研究能力は低下し、センスが無ければ言語運用能力と思考力が低下します。従って大学はセンスなど求めていないという言い分は妥当性を欠きます。特に世界的にノーベル賞受賞者を多数輩出しているケンブリッジなどのトップスクールは強くセンスを学生に求めています。これらの有名大学は、世界に星の数ほど存在する大学の模範的立場にある大学と言えます。
 第三の「センス否定論者の意見がおかしな理由」は、論理があれば理解できるというように問題が作られていないからです。これは現代文にも小論文にも言えることです。21-5の「類推テスト」という内容を思い出してみましょう。現代文や小論文の説明問題は、論理を追うことで正確に答えを出すことができるものばかりではありません。そもそも論理が大切などという言い分は、受験産業の予備校講師が言いだしっぺであり、大学側は論理テストなので、論理的に読み解いて解けなどとは言っていません。もっともらしい確かな解法があるかのように見せなければ予備校講師はまずいというポジショントークに似たものです。言ってみれば、売り文句と言えます。大学側は説明問題を通して、理解力(類推力)を試しています。論理があれば理解しやすく問題は作られています。しかし、論理さえあればどんな問題も解けるというわけではありません。また、論理だけではよく分からない問題もよく出題されています。言ってみれば論理に頼った読解とは、論理は頭の使い方の半分ですので、暗い夜道で車のライトを片方だけつけるようなものです。理解力には、数学的理解力と言語的理解力が存在します。理解や知能や知性の問題です。数学的理解力と言語的理解力は別です。言語の理解とは、言語を用いた類推のことですから、センスもフルに働かせる必要があります。類推を行う際に私たちの脳がアクセスするのは、私たちが生きて経験してきた全記録です。課題文に難しい言葉が出てきても、実質的には何と何が同じで、何と何が違うのかという判断が必要となりますが、これらの活動に感性やセンスは大変役立ちます。

 

21-7 誰が若者から「感じ取る能力」を奪ったか
 センス否定論者のよくないところは、センスを否定することを通して、センス肯定論者が、能力が低い人間を否定しているかのようなニュアンスを言説に含める点です。現実には、センスを否定することで、若者がセンスや感性を生かした思考ができなくなりつつあります。言い換えれば、センスなど不要という売り文句に振り回されると、どんどん頭を使わなくなり、能力が下がってしまうということです。

 

これは当たり前のことです。人の能力の内、物理的に脳を分けた場合、センスと感性は右脳が担当しており、左脳が論理を司どっています。論理一辺倒になれば、半分の脳は使わないわけですから、能力は理論的には半分です。しかし、現実には右脳の力は極めて強いため、右脳を開花させていかないということは、能力は10分の1程度になっても不思議ではありません。
 物事を感じ取る能力を高めていくことが必要です。「どうやるのか」ではなく「どう感じるのか」、「どのような感じでやるのか」ということが大切です。
 インターネット社会の良くない点の一つは、情報依存症的なインターネットユーザーが方法至上主義的な思考を持つようになったことです。何か困ったことがあればすぐにネット検索する癖がついた現代人は大変多いと言えるでしょう。この「考えない癖」は時に役立つこともあります。表面的な情報で事足りる場合はそれでもいいでしょう。しかし、技能を向上させる場合や、複雑な内容を高度に考察する場合には、今の時代のネット情報ではほとんど対応できません。現実に私たちが何らかの技術を引き上げるためには、「この情報は役立つ」などと言ってみたところで何の意味もありはしないのです。それよりも先にできるようになることが大切です。小論文の問題や現代文の問題が「できるようになる」ためには何が必要なのでしょうか。論理と感性(センス)が必要になります。

 

21-8 才能を磨く
 物事を感じ取る能力や、感覚を大切にした思考法を強化するには、それらに詳しい人に教えてもらうしかありません。誰でも才能は磨けば光ります。しかし、才能を磨こうとしない人の才能は伸びることはありません。文章を読む時も、文章を読むのが速い人は、一行ずつ文章を見たりしません。眺めるように見ます。

                                       
21-9 課題文の言葉を使っても使わなくてもよい
 説明問題を解く際には、必要に応じて課題文で使われている言葉を使いましょう。このようにアドバイスをする理由は、ハチャメチャな想像で読解する人がいるためです。「現代文はセンスではない」とアドバイスしつつ、「想像力で読解せよ」とアドバイスをする講師が存在します。これらの指導はセットになると極めて危険です。私は論理一辺倒になるなとアドバイスしましたが、これは論理などどうでもいいということではありません。
 現代文などで、ロジカルに問題を解けと指導がある理由は、読解問題では、受験生の主観ではなく、客観的な解答を求められているからです。大学側はみなさんがどう解釈したのかを書いてほしいわけではありません。解釈に幅が出る問題であったとしても、筆者の立場からこの課題文を見た時、客観的にどのように説明が可能なのかということを問われています。

 

21-10 「想像しつつ書け」は大間違いの指導
 現代文の参考書の中には、「想像しなければ解けない問題があるので、想像しつつ解釈して理解することが大切」などという主張が展開されているものがあります。これも大変危険です。現実には想像しなくても解けます。課題文からは論理的に読み解けないので、想像が大切というように考えている講師もいるようですが、この論理が間違っています。現実には、課題文から論理だけでは読み解けないので、感性も含めてセンスを生かして、類推せよということなのです。(この問題を解けるものなら解いてみろという事例が取り上げられていることもありますが、これらの問題は類推すればきちんと解くことができます。)論理的に読み解けないからというのは理由にはなりません。そもそも理解力(類推力)の土台は、論理と感性なのです。従って論理でダメなら当然感性をフルに働かせればよいということになります。また、自分が類推(理解)できなかったからといって、現代文の講師が自分の想像で解釈論を展開し、自分の知識を肉付けして問題を解説するべきではないでしょう。

 

21-11 記述の答えは本文の中にあるのではなく、類推(理解)のヒントは必ず本文の中にある
 記述の答えは、本文の中に必ずあるという指導があります。一度は聞いたことがあるでしょう。しかし、それでは解けない問題もあります。そこで、「どういうことか説明せよ」という問題について、少なくとも因果関係については、自分の想像で書いた・・・という場合、不適当な答えになることがあります。本文の中に書かれていないことでも、因果関係(といっても自分が勝手に想像した因果関係)ならOKなのだと主張している参考書もあるようですが、その際に行われているのが、「恣意的な想像」である場合アウトです。
 課題文の中に答えが存在しない場合、「課題文の内容には論理の飛躍があり、これを埋める解釈をすればOK」という指導があるようです。これも論理一辺倒な解法理論です。もともと理解力を試す試験なのに、論理だけで読み解けるようになっているはずと考えるからこのような奇怪な解法理論が誕生するのでしょう。もともと、感性も含めた理解テスト(推論テスト)だと考えれば、論理の飛躍があるはずなどという前提は導かれません。論理的にズバリ解説している部分がないなら、論理の飛躍があるはずなので、その論理の飛躍というのは、こうではないのか? と想像していくときっとこうなので、これが答えだ!・・・・というように解くと、ほとんど点数はないでしょう。大間違いなトンチンカンな想像をしてしまうためです。
 それではどのように考えるべきなのでしょうか。記述問題の答えは本文の中にあると考える必要はありません。もともと行間を埋めるように、理解しているかどうかを試されているだけだからです。そうではなく、類推(理解)のヒントは必ず本文の中にあると考えましょう。その上で、行間を読むように、理解を深めていくことが大切です。

 

 

 それでは、行間を読むように読むとはどういうことなのでしょうか。この点について、日本で直木賞を受賞したお笑い芸人の又吉氏がTVで「読書を楽しむ方法」として話をしていた内容を紹介しましょう。

 

21-12 同じ表現でも多様な手法が存在する
 お笑い芸人の又吉氏は、夏の暑さを表現する際に、以下のような表現手法があることをTV番組(「読書が100倍楽しくなる文学講座」)で紹介します。

 

-------------ここから-------------
三島由紀夫「真夏の死」
「灼熱した鐘の内部のような大気の中」
「夏はたけなわである。烈しい太陽光線にはほとんど憤怒があった」

せきしろ「去年ルノアールで完全版」
季節感はゼロ。
ただ、異常に効きすぎた冷房だけが
季節が夏へと変化していることを知る
唯一の手段である。
-------------ここまで-------------

 

 行間を読むとは、文章には、直接表現されていない筆者の真意をくみ取ることを指します。筆者が何を表現しようとしたのかについては、感性・センスを働かせることで、理解ができます。

 

 それでは、この感性を働かせて行間を読み取る練習をしてみましょう。音楽の歌詞で難易度をグッと上げた練習問題をご紹介します。

 

21-13 感性を理解の助けにする

 物事を感じ取る能力は理解力を引き上げます。例えば松任谷由実氏の「あの日にかえりたい」という曲の詩を読み取ってみましょう。いろいろな解釈が成立しうる内容です。

 

泣きながらちぎった写真を
手のひらにつなげてみるの

 

悩みなききのうのほほえみ
わけもなくにくらしいのよ

 

青春の後姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃のわたしにもどって
あなたに会いたい

 

 ここで、「青春の後姿」とありますが、これはどういうことなのでしょうか。勝手に想像する前に、感性を働かせてみましょう。

 

シンキングタイムスタート!

 

 

考えてみましたか?
(検索して歌を聞いてみてもいいですよ。)

 

 

 泣きながらちぎった写真を手のひらでつなげてみるという表現は、つらく悲しい気持ちと同時にみれんが強く残っている気持ちを表現していると考えられます。このような複雑な気持ちを表現するためにこのような歌詞は、普通の人ならなかなか思いつきませんね。
 この歌詞は「今」と「過去」の対比関係の中で展開されていきますが、歌い手の視点は「今」にあります。今から過去に対してどのような想いでいるのか、強く感じ取ってみましょう。
 どんな歌なのか、ネット検索して聞いてみてもいいでしょう。この歌詞を理解することを試みる際に、論理だけを追うのはばかげています。青春の後姿とは、今現在の視点から、失恋の相手を強く想う気持ちがある中で、過去を見た時、青春のシーンが後姿となって見えてしまうことなのかもしれません。その愛を忘れてしまう(この歌詞では歌の後半で「捨ててしまえば」と表現されています。)ことに対するみれんを断ち切れない強い想いが歌詞から伺えます。上記の内容を言い換えれば、「青春の後姿を忘れてしまう」とは、失恋した際に愛をあきらめることと表現できるかもしれません。その例えとしての比ゆ的な表現とも言えるでしょう。このようなことを考える際に、「なぜなのか」と考えてみたり、青春の後姿をいくら想像しても、何も見えてきません。自分の感情を強く動かすことで、類推できるようになります。
 今という時間と過去という時間は、不可逆性(一方通行であるさま)を内包しますが、強く想っている人に会うという行為は愛という観点から言えば、永遠性を内包するものと言えます。失恋の愛を歌った歌と言えますが、このような愛(情)が、今と過去の対比を通し、時間の永遠性の中で見事に表現されています。
 今回はあくまでも「感性の勉強」のために、上記のように分析しましたが、本来はこの歌詞のまま味わうべきものでしょう。言語化して分析するのは野暮な行為とも言えます。

何らかの理解を得るプロセスでは、まず「感じ取る」ことが大切になります。感性を働かせなければ、物事を感じ取ることはできません。
 感性は読解にも役立ちますが、発想にも役立ちます。現行の教育では、感性が大変軽視されており、「わかりやすい」論理一辺倒になりがちです。「何も思いつきません」と受験生から相談されることが多々ありますが、その原因の一つは、感性的に頭を働かせるやり方を教わっていないからです。
 書くことができないのは、思いつかないからです。思いつかないのは、考えることができていないからです。(知識不足だけが原因ではありません。)考えることができないのは、見えていないからです。物事が見えない理由の一つは感じ取ることができていないからです。人は感じ取ったことから未来や物事を洞察していきます。

 

 

21-14 文章のトーンを感じ取ることができることもある
 文章の中には、論調のトーンを感じ取ることができるものがあります。文章のリズムや展開から、筆者が何を強く訴えたいのかを感じ取ることができれば、読解はより簡単になります。

 

21-15 小論文の基本は論理と感性
 私は常々、基本は「論理と感性ですよ。」とお話ししています。感性については、本日お話ししました。論理については、以下のページを参考にしてみてください。論理的に文章を組むということについて理解が深まるかもしれません。

 

「小論文で社会問題を考える:死刑制度の存置問題について」
 http://www.skilladviser.com/base/brogteki/sr.html

 

21-16 慶應文学部 27年分過去問題解説
 説明問題の解説はこちらからご覧ください。

「慶應大学 文学部過去問題解説」

 

 

 

 

 

 

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