慶應大学 小論文対策 第八十一章 なぜマッキンゼーの意思決定は優れているのか?

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第八十一章 なぜマッキンゼーの意思決定は優れているのか?

 

81-1 プレゼンテーション一つで数千万円
 マッキンゼーと言えば、世界一の頭脳集団・思考集団と考えられている機関です。マッキンゼーはコンサルティングファームであり、大企業の戦略立案を請け負います。彼らは、たった一つのプレゼンテーションで数千万円をチャージすると言われています。5000万円、7000万円と費用がかかるようです。
 大企業がマッキンゼーに多くの費用を支払う理由はいくつもあると考えられますが、そのうちの一つは、彼らの戦略立案が優れているからでしょう。マッキンゼーの思考が優れているということです。
 私のお師匠さんは、マッキンゼーのアメリカ法人代表と、日本法人代表を歴任した人物です。

 

81-2 意思決定のプロセスはテクニックではなくスキル
 多くの人は、意思決定はテクニックだと考えています。しかし、意思決定はテクニックではありません。意思決定はスキルです。
 テクニックは多くのケースで非常に非力です。方法より少しましなだけであり、テクニックを用いても、優れた意思決定はできません。
 その理由は、現実の世界の複雑性にあります。現実の世界は非常に複雑で常に変化しているので、一つの普遍的なモデルや、一つの普遍的なテクニックが対応しきれないということです。
 つまり、例えば、医療現場で、ワクチンは使用した方がいいのかそうではないのかというような、「どちらが」というたぐいの質問であれば、普遍的なモデルが通用しますが、「どうするのか」という判断を迫られた場合や、「どうなのか」を考察する場合は、ほとんどのケースで、テクニックは通用しないということです。

 

81-3 牛山さんの小論文指導はなぜ正しいのですか?
 私は、「牛山さんの小論文指導はなぜ正しいのですか」という質問を受けたことがあります。これは言い換えれば、「牛山さんの小論文指導はなぜ結果が出るのですか」という質問でしょう。なぜ妥当なのかということについては、結果以外に計測する方法はないと私は考えます。
 つまりこうです。屁理屈無しで、成果が出るのであればよい、しかし、成果が出なければどれだけ屁理屈を並べてもよいとは言えないということです。この点については、私はあまり関心はありません。しかし、受験生にとってみれば、受かるのか落ちるのかという話ですから非常に重要だと思うのです。
 受かるか落ちるのかの情報は重要ですよね。このウェブbookでは一貫してそのことをお伝えしています。
 なぜ結果が出るのかということについて言えば、私はテクニックでごまかしていないからだと思うのです。
 つまり、一般的には小論文指導は、構文あてはめ方の指導で、考え方を固定するのですが、私はそれを推奨しません。
 考え方を小手先のテクニックだと思っている人は、その程度でしか考えることができなくなってしまいます。そのように、将来有望な若い学生の思考力を強烈に低下させてしまうような教育はやらないと決めています。
 私はお師匠さんに「自分の目で見て、自分の頭で考えなさい」と指導を受けました。それを若い学生にも教えています。そして、牛山の指導で、3年連続全国1位が出ています。また、私自身も、国立大学の小論文試験(博士後期課程のハイレベルな試験)で、9割程度の点数を取得して合格しています。小論文を教えれば、国立旧帝大法科大学院の受験生も次席合格するような事例が出ています。
 そもそも、物事を正しく考える、あるいは、物事をより一層適切に考えるには、きちんと事実を把握した上で、論理思考することが重要です。だからこそ、そこをきちんとやるだけではなく、その論理思考のやり方をきちんと教えている当塾の指導で成果が出るのは、一種当たり前と言えば当たり前だと思うのです。
 物事を考えるのに上手ではないやり方とうまいやり方があります。私は上手なやり方を教えているだけです。だから当塾の合格体験記を読んでもらえれば分かると思いますが、慶應の経済に合格した竹内さんなどは、「考える方法を教えてもらうことができてよかった」などとコメントしてくれています。

 

81-4 マッキンゼーのトップだった人物だけに
 私は、大学院でなんちゃってを教えてもらわなかったからよかったと言ったことがあります。もろ手をあげて、称賛するつもりはありませんし、思考哲学のレベルで、メリットやデメリットも感得しましたが、それでもやはり、 マッキンゼーの流の思考は、次元が違うと思います。
 もっと言えば、マッキンゼーの中でもピンキリですから、マッキンゼーの中でも敏腕コンサルタントと、一年生コンサルタントでは、実力が全く違うでしょう。私が教えてもらったのはマッキンゼーのトップであった大前研一先生です。



81-5 どんなふうに違うのか?
 マッキンゼートップであった大前氏の思考プロセスが一般的な思考プロセスと違うのは、最終的な結論を支える理由(前提)の数と質です。
 大前氏がなんらかの提案を行う際には、その意思決定の前提が、50個くらいありました。
 一方で、(まだきちんと小論文を学んでいない)多くの大学受験生の小論文の答案には、自説を支える理由が一つもありません。2つか3つという話ではなく、1つもありません。なぜならば、理由など書かなくてもよいと指導されているからです。
 それでは、何を書いているのかと言えば、最初から最後まで、自分が思ったことを書いています。

 

【よくない例】
 私はこう思います。そして、こう考えます。こういう風に思います。そしてこうだと思います。これこれは間違いでありバカな考えなのです。こうすればいいと思います。従って私はこう思いました。

 

 こういう文章は、論文ではありません。論文ではなく、作文です。最終結論を支える前提が、自分の考えになってしまっています。

 

【最近増えてきたよくない例】
 原因はこうだと思います。だからこうすればいいと思います。こうすれば解決すると思います。具体的にはこうすればいいと思います。
 これも同じです。最初から最後まで自分が考えたことを述べて終わってしまっています。つまり、これは論文ではなくて、作文です。最終結論を支える前提が自分の個人的な考えになってしまっていますね。同じです。

 

 一般的に社会科学の分野の論文では、このように、作文化しないようにするために、自説の考察の根拠として、統計的な数値を設定します。
 自分が設定した仮説が単なる偶然によって引き起こされる確率が非常に低いので、これは偶然起こったとは考えにくい・・・(本当は全く違いますが、ここで専門用語を並べても仕方がありませんし、厳密な考え方を紹介してもほとんど意味が無いので、統計は大学に入ってから学べばいいでしょう。)というような具合に、自説の根拠を数学的確率計算に求めるのが一般的です。なぜならば、数学的な確率は、普遍性があり、自説を支える論拠として比較的有益と考えられるからです。これが理由です。
 このような理由が無い論文は、実質的には論文とは呼びにくいものであり、非常に評価されにくいものです。このあたりがかなり上手な先生でなければ、形にならないことも多いでしょう。

 

81-6 勘と経験に頼らない
 自分が何か物事を考える時、「そんなのは、〇〇に決まっているよ」という物言いは、説得力がありません。自分がどう思うかなど、他の人はどうでもいいと考えているからです。そうではなく、自分がなぜそう思うのか、事実に基づいて述べる必要があります。
 例えば、自説の根拠を述べている場合、根拠を述べているのだから、論理的に意味があることを述べているんだ、とか、自分は根拠を述べているのだから、論理的な考察なのだ・・・というように勘違いしている人がいます。
 問題は、論理思考の流れです。
 もう少し簡単に言いましょう。多くの学生の思考の流れは、次のようになっています。

 

私は〇〇の原因は〇〇だと思う。
〇〇と〇〇には関係がある。
だから〇〇すればいいと思う。

 

 これを肥満問題に当てはめるとこうなります。

 

【点数が下がる例】
 私は肥満問題の原因は食べすぎだと思う。

だから、肥満人口増大の対策は、食べなければいいと思う。(みんな食べ過ぎなければいい)
 食べるとカロリーが増えて太るのだ。

具体的には、私の知っている人で、食べすぎることで太りすぎな人がいるのである。
 肥満人口増加の対策は一人一人が気をつけていけばよいのであろう。

 

 この物言いは適切でしょうか。
 もちろん、全く説得力がありません。
 その理由は、最終結論を支える論拠と根拠がまったく整理されていないばかりか、ほとんど関係がないからです。
 このように、多くの学生は、何かしら関係があることを述べれば論理思考なのだと勘違いしてしまっています。
 また、このようにテクニックにはめると、論理思考になっているので点数が高いなどと勘違いしてしまっているようです。
 現実には、全く論理的ではないばかりか、論文でもないという、二重苦になっており、劇的に評価が下がります。
 思考の向きが逆とは、つまりこういうことです。

 

【自分が思ったこと】→私は肥満問題の原因は食べすぎだと思う。
 【自分が思ったこと】→だから、肥満人口増大の対策は、食べなければいいと思う。

 

一般原則:食べるとカロリーが増えて太るのだ。
 事例:具体的には、私の知っている人で、食べすぎることで太りすぎな人がいるのである。
【自分が思ったこと】→肥満人口増加の対策は一人一人が気をつけていけばよいのであろう。

 

 上記の内容を見ると分かりますが、事例や一般原則と、自分の仮説に論理的関係がありません。思考が離れ小島のようになっています。これは、論考を加えていくという思考プロセスが欠如しており、単に思ったことを連発した後に、一般原則や事例を並べているだけです。ここに論理関係が無いのであれば、自説も妥当性を欠くということになります。
 また中途半端に本で論理思考を学んだ人は、論理は物事を分解して、その後に組み合わせればいいという具合に気絶するほど雑に論理を考えてしまっている人がいるようですが、そういうものではありません。また、その時に帰納法とか、演繹法とか、聞きなれない言葉を使うことで学生をけむにまく指導もあるようですが、理想的とは言えません。なぜならば、理屈はどうでもいいのであり、帰納や演繹ができなければ、知っても意味が無いからです。
 表面的にMBAの手法を学んでみても、やっていることが結局自分の勘と経験に頼った考察であれば、根本的にやり方が間違っているということになります。その代表例が、原因がこうだろうという、自分の考えを優先した思考回路です。これは勘と経験にてらしてそうなんじゃないかという思考回路であり、これをやるなら最初から分析などしなくてよかったという話になってしまいます。

 

 一般的に小論文の指導で見てもらわなければならないのは、この部分の論理チェックです。これができる人が少ないので、小論文指導で成果をあげることができる指導者がほとんどいないということになります。
 論理的に関係が無いものをぶつ切りの状態で重ね合わせてサンドイッチのようにしても、そもそもテーマが一致しているだけで論理的には何の関係もない話なので、説得力は生まれようもありません。
 今日のお話は、小学生向けのようにとても簡単なお話しになっていますね・・・・タイトルからかけ離れたかなり基本的な内容の話になっていますが、論点はずれていませんよ。
 つまり、多くの学生の小論文が、非論理的であり、評価を下げてしまう理由は、簡単に言えば、自説を支えるきちんとした理由が無いからです。

 

81-7 理由を書くのは難しいから試験になっている
 自分が思ったことを連発すればいい試験なら、最初から慶應義塾は、論文試験を用意していないでしょう。
 一般的に学生の知性を推し量るもっとも手っ取り早い方法は、理由を述べさせることです。これは、現在のペーパーテストの前身である、中国の役員登用試験であり科挙も同じです。数千年の歴史があります。数千年前から、優秀な人間と優秀ではない人間を選別するもっとも手っ取り早い方法は、「なぜそう思うのか」と問う方法です。
「なぜそう思うのか」と問われた時に、「原因がこうだと思います。」と述べると評価が下がります。それは、自分の考えを述べているだけだからです。「君の考えなどどうでもいい」と、叱られてしまうということです。そうではなく、どのような事実と一般原則から物事がそうだと言えるのかを述べなければいけません。
 しかし、これは一般的には、チョット難しいわけですね。だから試験になっています。理由というのは、どこにもないからです。理由の教科書があるわけではありません。理由は自分で考える必要があります。世の中に散らばっているデータを眺めて、それらのデータを整理して、その上で何が言えるのかを述べる、これが理由になります。このように、理由とは作らなければならないものです。
 したがって、一般的に理由を述べることができる人は知性的です。

 

81-8 論文で難しいのは二つ
 論文で難しいのは二つです。

 

  1. 1) 物事がどうなっているのかを見抜く
  2. 2) 理由を適切に述べる

 

 多くの人は、物事がどうなっているのかを見抜くことができません。従って、そこを発見できることには、大きな価値があります。見抜くというのが発見ですね。
 一般的にどのような研究でも、目線が良い研究、新規性がある研究は、評価される傾向があります。この点については驚くべきことですが、新規性など関係ないという言説もあるようです。新規性が関係ないなら、世界の学術は、何をやっているのか分からないということになるでしょう。そもそも、研究の価値の中でも最も重要なものの一つが、未解決の問題を解決するということ、すなわち、誰もやっていない研究をするということだからです。

 

81-9 ファクトベース思考
 さきほどの減点答案事例を見てみましょう。

 

【自分が思ったこと】→私は肥満問題の原因は食べすぎだと思う。
【自分が思ったこと】→だから、肥満人口増大の対策は、食べなければいいと思う。

 

一般原則:食べるとカロリーが増えて太るのだ。
 事例:具体的には、私の知っている人で、食べすぎることで太りすぎな人がいるのである。

 

 この書き方のどこに問題があるのかと言えば、FACTが無い部分とも言えます。

 

 食べなければ太らないということは皆知っているわけですが、どうやって自制心をコントロールできるのか、その対策が有効だと考えられるのはなぜかという部分についてFACTがありません。

 

 また、肥満問題の原因は食べすぎだと思う・・・と述べた時に、読み手は主因が食べ過ぎだと解釈するわけですが、原因の一つが食べ過ぎであるとして、その根拠となるFACTがありません。

 

 また、肥満問題の原因の一つが食べ過ぎであることは自明性が高いのですが、この肥満人口増大という社会問題を引き起こしている本質的な問題点が何かについての考察がありません。原因の一つがコレと述べても、原因はそもそも数百とあるものなので意味が無いわけですが、その際に本質的な問題点を定義するとして、そのよりどころとなるFACTがありません。

 

 それでは、FACTが無い代わりにどうなっているのかと言えば、「思う」ということが唯一の論拠になっています。つまり「僕はこう思っているので、こうだと思う」という理屈と全く変わらないということです。

 

 このような言説を勘と経験に頼った考察であるとして、私が大学院でMBAのコースに入学した際に、真っ先に「やってはならないこと」として教えられました。



81-10 MBAの院生が絶対に言わなかったこと
 MBAコースの院生が絶対に言わなかったことは、根拠のない自分の意見です。もう少し言いますと、根拠薄弱な自分の意見と言えます。
 「こうなんでこうなんじゃないですかね」というような、これが原因なんでこうなんじゃないんですかね・・・というようなことを述べるくらいなら、最初からMBAホルダーにならなくていいという話になってしまいます。
 MBAのコースというのは、一応・・・というレベルだと思いますが、分析については一通り学ぶ場所です。
 こんな事実があるからこうだとか、こんな原則があるからこうだ・・・というような、一種短絡的な意味づけをすることは、原則としてMBAのコースでは許されない空気感があります。と・・・いうよりも、そんなことを言えば、(こりゃだめだ)とみんなに思われてしまうので、誰も言わないというのが、実情です。
 そうではなく、分析内容を提示した上で、最終的な結論を提案します。
 問題はその分析プロセスです。
 多くの事実を提示された時に、分析方法が違うと全く異なる結論に至ります。
 その理由は、事実に対する意味づけが異なるからです。

 

81-11 FACTベースで大切になるのはなぜその根拠が大切になるのか
 こんな風に考えてみましょう。
 考えているテーマと関連がある根拠があなたの目の前に1万個あるとします。
 どんな風に考えるのでしょうか。
 事実と関係があるデータは無数に存在します。

 

 例えば、今回の肥満人口増大の問題に関連するデータは世界中に1万やそこらではないでしょう。へたをすると、100万個くらいあるかもしれません。
 そもそも、ダイエットの種類自体、1万個くらいあるらしいですからね。
 そして、その1万個のデータや、原因と考えられる500個くらいのデータがあったとして、あなたが、アメリカの大統領だったとしたら、増え続ける自国民の肥満人口増加の対策として、どのような手を打つのか?というお題が与えられたとしましょう。どうするかです。
 私が通った大学院の特別特殊だった部分は、一般論を絶対に許さないところでした。これは大前さんの方針です。
 すべての問題は、もしあなたが〇〇だったらどうするのかという問いにすべて統一されていました。それはこうでもいいし、こうでもいいんじゃないの?というネットでよくあるどうでもいい言説のようなことは許されません。そうでもいいし、こうでもいいというなら、それはなぜか?ここを書かなければ評価されない・・・そういうある意味で厳しい論文試験です。
 いろいろ解釈があるんだから、まあこんな感じでいいんじゃない?と適当にやることもできますよね。そうすると点数が低いわけです。当たり前ですね。もし、あなたがアメリカの大統領だとすれば、どのような政策を打つのか、それはなぜかと問われているわけですから、おかしなことを言えば、即刻無能だと判断されます。点数が下がります。

 

 こういう試験を2年間、毎週やらされます。ケースメソッドと言います。2年間で100回くらいやったでしょうか。そして、牛山はMBAを取得しました。また、この時に、大学院で東大卒や東大大学院卒、東大博士課程修了者、京大卒、旧帝大卒の医師などが集まるクラスで、私は成績優秀者になっています。
 どうやって考えるのでしょう。結論から言えば、重要判断基準を絞ることです。最終的な意思決定をする際に、何が重要判断基準となるべきでしょうか。
 慶應義塾大学の総合政策学部はこの点を何度も何度も過去数十年間聞き続けてきているのにあなたは気づいていますか。その理由は、問題を解決する際に、重要判断基準は何かについて見極めがうまい人は分析力が優れているからです。分析力が優れている人は問題解決力があります。だから総合政策学部でここがよく問われています。
 したがって、環境情報には合格しても、総合政策には不合格になってしまったという場合、ここがうまくできなかったケースが少なくありません。
 考え方を教えるという場合は、こういう部分がすっかり分かった上で、ではどうすればいいのかということが体系的かつ経験知的に指導されなければなりません。
 知識だけ授けられると、「いやぁ~先生よくわかんないし、できないんだけど、本にこう書いてあるからこれでやってね。多分うまくいくと思うから。」という具合に、実質的に何も教えることができないということになってしまいます。そんなわけで、経験知によらない指導というのは、非常に危険です。

 

81-12 小論文の点数は上がる
 小論文の点数は上がります。少なくとも今日ここで、お話ししたようなことについて、深くきちんと理解していくことが大事です。
 ここがあやふやで、ダメだとどんなに知識を入れても、どんなに勉強しても、少しも論文の点数が上がっていかない・・・ということになります。気を付けましょう。
 今日ここでお話ししたことが深く分かっている人はそもそも非常に少なく、できる人はもっと少ないと言えます。慶應大学に合格している人でも、このあたりのことはよくわかっていないけれども、なんとなくいろいろとやっていたら受かったという人が多いでしょう。つまり、その合格者は適切に学べばもっと伸びた可能性があるということです。また、もともと論文が得意だった人が点数を伸ばしているということも少なくありません。以前にお話ししたように、そもそも論文がめちゃくちゃにできる人(そして、同時に小論文の体系的な理論や教育実績があるわけではない人)を参考にしても、少しも変わらない・・・ということは非常によくあります。

 



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