
分かるから『書ける』に変わるにはどうすればいいのかを詳しく書きました。
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小論文の不満は多くのケースで、期待値から生まれます。もっと点数が高ければいいのに、これでもいいはずなのに、きちんと指摘してもらえないと困る、もっと分かりやすくしてほしい、もっと丁寧に教えて欲しい・・・という具合です。
このような不満は人によって大きく発生頻度が異なります。自己肯定感が低い人は、ほめてもらいたいと強く感じることが多く、自己肯定感が高い人は叱って欲しいと考える傾向が強いのです。
◆自己肯定感が低い:褒めてほしい
◆自己肯定感が高い:叱って欲しい
この両方の資質を併せ持っている人もいます。
不満には、良い不満と、悪い不満があります。悪い不満とは、自分都合の不満です。(もっと自分を尊重してほしい。)(もっと知性を評価してほしい。)というように、自分都合で不満を募らせてしまうと、何もかも不満になります。もっとほめて伸ばしてほしいと感じている人もいますが、ほめると成長しにくくなることもあります。ほめた結果のぼせ上がってしまい、成績が上がりにくくなることもあります。褒めた結果不合格になり、ほめなければ合格ということもあり得ます。逆に、もちろんほめるべきところは褒めた方がいいこともあります。
一方で良い不満もあります。自分都合ではない不満の場合です。自分が何かをやろうとして、うまくいかない場合、不満がたまります。こういうものは、自分都合とは言いません。極端に絶望するほど落ち込まないのであれば、適度な不満はある方がいいものです。
教育業界ではよくあることですが、満足度いっぱいで残念な結果になることがあります。例えば、VIP待遇の学校があったとします。「お客様、今日はどのような学習メニューをご希望でしょうか。」という具合に、あり得ない話ですが、なんでも至れり尽くせりの教育機関があったとしましょう。ここは、生徒をダメにしてしまうでしょう。自分に厳しくなることができないからです。
このような事例は極端ですが、満足しつつ良くない結果になるということは、小論文では珍しくありません。その最たる例は、頭を使わない指導です。頭を使う必要はありませんよ。勉強も必要ありませんよ。この解法とこのネタで楽勝ですからね・・・と教えた場合どうでしょう。生徒は天にも昇るような気分になるでしょう。(勉強しなくていいんだ、才能いらいないんだ、これで合格できるんだ・・・)と喜び、添削を受けて、「天才ですね」と言われていればうれしいでしょう。入試結果を見るまでは・・・です。
同様に、「これでいいですよ。」「この書き方でOKです。」「これはとてもいい書き方と考え方です。」と教えられていれば、何を教えられていても、やっている最中は大満足になるでしょう。問題は当たり前ですが、それでいいかどうかということであり、そして、教えられている内容は、高い教育効果があるのかどうかということです。
この逆に、不満いっぱいで合格ということはありえます。「何やってんだ!バカヤロー」と怒鳴るのがいいとは言いません。しかし、このような半分スパルタの教育をやっている教育機関はスポーツでも勉強でも強いことが珍しくありません。もちろん、厳しければ厳しいほどいいとは言いません。要はバランスの問題です。
何らかの厳しい教育を受けて、涙が出るほどうれしいという人はあまりいないでしょう。一般的にはつらいものです。
一般的に、小論文をみてもらうと、誰でも満足してしまいます。(やった!うれしい!丁寧に教えてもらった)というように、満足するということは大変恐いことです。
なぜならば、点数が下がるアドバイスであっても、人は喜ぶからです。大満足したまま、いくらかのなにがしかの成長があった結果、トータルでは点数が落ちるということが小論文の教育の場合よくあります。
テニスや卓球の場合、このような現象は起きないと思います。なにかが、少しだけ上達すればいいのですから、問題はありません。しかし、小論文の場合、文章の設計思想や論理の精度の観点からいって、あきらかに減点につながるような指導が平気で行われています。知らないのは学生の方であり、受講生の側です。
また、(あっこれでいいんだ)と思ってしまうことも大変危険です。よくわからない学生に教えてもらった人は、満足しつつ不合格になってしまうということがよくあります。
不満を感じる場合、不満だから不合格になるわけではありません。むしろその逆のこともあります。
【よくある出来事】
・満足して不合格
・不満足で合格
むしろ、多少の不満を抱えているくらいの方が、成長のポイントを把握できており、合格しやすいと言えます。
小論文の指導を受けていると、不満に感じる人にはパターンがあります。ネガティブに物事を見るタイプの人や、自分のことを知的だと認識している人は、多くのケースで、アドバイスされると不満に感じます。
このようなタイプの人の場合、なぜ自分の答案はダメなのか、合理的な解釈を導くことができる場合、不満に感じません。
ところが問題は、合理的な解釈ができるものだけで世の中が構成されていないということなのです。
例えば、『「長い副詞句」をつけるべきではありません。なぜならば、文章がわかりにくくなるからです。』という内容であれば、不満に感じる人はいますが、そこまで大きく不満に感じるわけではありません。
ところが、基準が論理ではなく、感性の範疇になってくると、一気に不満を感じる人は不満を感じる度合いが強くなります。
『この部分の論調は読み手の感性に響かない』などとアドバイスされるとどうでしょうか。(そんなことないだろう)(これくらいいいだろう)(そんなこと大事じゃないぞ)など、多くの人は、不満に感じることもあるでしょう。それでは一切そんなことは指摘しなければいいのでしょうか。その場合伸びません。
私が教えている塾では、感性を大変重視します。最初は分かりやすい添削がほとんどです。生徒さんの点数が高くなると、アドバイスはどんどん抽象的になります。どんな習い事でも、高度になればなるほど、抽象度は高まるのです。これが分かっていないと、教えてもらう人についていくことができなくなります。(そんなことはないだろう)と表面的にしか物事を捉えられなくなってしまうからです。
このように、自分のレベルが低くても(そんなことないだろう、バカだなぁ)と思ってしまうのは、人間のさがとも言えます。
全国で6位になる子や、1万人中10位になる子は、どんどん減点箇所がなくなり、最後は大変高度な内容ばかりを指導されるようになっていました。
例えば、『不満』という文字を10人の書家が書いたとします。皆書家の先生は違ったカタチで文字を書きます。ここで、不満を感じやすい人は、『何がいいのかさっぱりわからない』となります。文字の設計思想や哲学に対する好奇心がないのです。「美しい文字の基本はバランスです」などと教えてもらえば、(はぁ?)となるのです。
◆(分かりました。)とわからないなりに分かろうとする人、
◆とりあえず面倒くさいので、『分かりました』と言えば、話が終わるだろうと好奇心のない人、
◆(寝言は寝てから言え)と思っている人
・・・に分かれるのです。当然成長しやすいのは、「わからないなりに分かろうとする人」です。
分からないなりに分かろうとする人は、高度な内容を教えてもらった時に、理解が始まります。推論能力が高いのは、好奇心のレベルが高い人です。
「芸術は爆発だ」とは、岡本太郎氏の言葉です。「岡本先生、芸術は、バーンと爆発するものなんですかね。」と質問されて、岡本氏は、「そういうものじゃないんだ。もっと静かに爆発するものなんだ。」と答えていました。
このやり取りを見るだけなら、岡本氏のことを単なるバカだと思ってしまう人もいるでしょう。
よくわからないことについて、分かろうとすることなく、単にバカだとレッテルを貼ってしまえば、常に自分は評価者の立場を取ることができます。
何かを学ぶか、批評するか、人の行動は2パターンしかありません。何を見ても何も学ばないなら、評価しまくっていればいいのです。
一方で自分の至らなさを見て、自分が成長するには、自分が見えていないものを見ることが出来ている人に学ぶしかありません。
岡本氏やピカソの絵を馬鹿にする人はいても、彼ら以上に芸術性を具現化させることができる人は、バカにしている人の中には、0に近いほど存在しません。
常に批評は簡単であり、実現は難しいのです。
岡本氏の芸術論をご紹介します。
『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』 著者:岡本太郎 出版社:光文社
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生きるよろこび
まことに、芸術っていったい何なのだろう。
素朴な疑問ですが、それはまた、本質をついた問題でもあるのです。
芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
しかし、何かそうでないように扱われている。そこに現代的な錯誤、ゆがみがあり、またそこから今日の生活の空しさ、そしてそれをまた反映した今日の芸術の空虚も出てくるのです。
すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。そういう観点から、現代の状況、また芸術の役割を見かえしてみましょう。
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このような考えは、岡本氏の考え、哲学、美意識の一端ですが、芸術性を具現化し、カタチにしている岡本氏の世界観がここにあります。
岡本氏のことを悪く言ってみたり、ばかにすることは3才児でもできるでしょう。しかし、100年生きたからといって彼以上の芸術性をカタチにはできないのです。
それならば、なぜ彼がそのような芸術性をカタチにする力を有しているのか、好奇心を持って実相を見なければならないでしょう。それが学ぶということです。学ぶということは、価値の認識なのです。
分かりやすい答えだけを求めると、低レベルにしか成長できないとはこのことを指します。
学びのレベルが高度になると、物事の学びは、シンプルであったとしても、高度に抽象化されていることが少なくありません。複雑であればいいのではなく、わかりやすければいいのではありません。
高いパフォーマンスを発揮するには、実相を把握することが大切です。
私が教えている内容は、当たり前の内容だと以前に話したことがあると思います。論理的な内容も教えれば、感性的な内容も教えます。感性を重視するのは私の中では当たり前のことです。
私は感性をなるべく超一流から学ぶようにしています。超一流は、研ぎ澄まされて高度な感性を持っていることが少なくないからです。また、感性という漠然としたものを磨く場合、高度なものに触れるとインスパイアされやすいという性質もあります。
研ぎ澄まされた超一流の感性は、いきざまからして違います。
日本一2年連続輩出、小論文ダントツ化、推論能力でもダントツ化、英語、小論文、ビジネスコンテスト日本一輩出など、トップ総取りが、当塾の特徴です。何が起こっているのかよくわからないという人もいますが、他の人がよくわからない領域をきっちり教えていることは、大事なポイントです。
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