
分かるから『書ける』に変わるにはどうすればいいのかを詳しく書きました。
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14-1 論文の作法
小論文には作法があります。あまり一般的には強調されないことです。また、一般的には小論文の作法と言えば、最も重要なことが指導されていません。その最も重要なこととは、「一論文一中心命題の原則」です。論文を書く際には、たった一つの問いに対して、たった一つの答えを書いていくという基本的な文章の設計思想です。
500文字の小論文でも、3万字の論文でも、構成は変わりません。序論、本論、結論で書きます。小論文の場合は、問いを設定した後に、結論を書いて大丈夫です。
論文は自分が思ったことを書く文章ではありません。一般的には、論拠とともに、自説を展開するものです。
論拠についてよく勘違いがあります。論拠というのは、「自分がそう思った理由」ではありません。「物事がそうである理由」のことです。
例えば、実証的な研究を行い、自分が行った研究データを分析し、数学的にこのデータを検証したとしましょう。統計学を用いて、どのような確率でこの現象が起こるのかをあなたは計算したとします。この場合、もちろんデータの切り取り方などについては、人の解釈が差し挟まれているわけですから、絶対的にこのデータが意味と価値を持つとは断言できるわけではありませんが、客観的にあなたは、この現象を考察しようとしたということでしょう。つまり、この現象が起こるという物事がそうである理由について、実態を探ろうとしているということになります。自分が思ったことではなく、真実に興味があるわけですよね。自分の研究がどんなに、自分にとって魅力的であったとしても、自分が当初設定した仮説が統計によって支持されなかったのであれば、自分の見立てが間違っていたということになるでしょう。
このように、本来論文というのは、自分がどう思っているかを書くものではなく、研究が失敗に終わったのであれば、その失敗にも価値があるものです。失敗というよりも、自分の目算が間違っていたということが判明したわけですから、その判明したことに価値があるということになりますよ。
ところが、今日本で行われている小論文の指導というのは、自分が思ったことを書かせるものが主流です。実態がどうなっているのかなど、お構いなしであり、仮説検証型の思考回路もどうでもいいというものが少なくありません。
自分が思ったことを書くのは、論文ではなく、作文です。
【本当にガッカリされる答案】
私はこう思いました。そしてこう思います。こんなことがいいと思います。これが原因だと思います。だからこうすればいいと思います。
これは作文です。論拠を書いたつもり、理由を書いたつもりかもしれませんが、理由は書かれていません。物事の一般原則が何かを考察せず、自説を一般原則によって支える構図がこの文章にはないためです。「原因を書いて対策案を書け」などという指導はこの典型です。
原因は複数あるわけですから何を述べても自分の個人的な意見です。それが主因なのかどうか分かりませんからね。また、その個人的な意見にすぎない原因(仮にそれが真実であろうと関係はありません。)を土台としてさらに自分の意見を述べているわけですから、自分の意見が二重になりますね。自分の意見は一つではならないという一論文一中心命題の原則から外れます。なんでも好き勝手に夢想するのは自由ですが、そのような実態を無視した思考ばかりやっていると、いつまでたっても実態を捉えられなくなってしまいます。
14-2 思考の作法
思考にも作法があります。ここで思考の作法と私が言っているものは、大変便宜的なもので、本来思考は完全に自由です。
しかしながら、何らかの実態を推し量る際には、特定の作法にのっとって思考していかなければなりません。この点に詳しくない人が、「原因を書いて対策案を書け」と言っているようです。思考することが専門の学問をやっていない人と言えるでしょう。
私は思考を専門に扱う大学院で学びました。私が学んだ大学院はマッキンゼーのOBばかりの教員でかためられた大学院でした。マッキンゼーとは、ハーバードなどのトップスクールを卒業した人で構成された経営コンサルティングファームのことです。世界一のコンサルティングファームと呼ばれており、言い換えれば、世界一の頭脳集団と言えるでしょう。そこで徹底して教わったことは、FACTベース思考です。「君たちの意見を聞きたいわけではない」という言葉が印象的でしたが、実態がどうなっているのか、事実に基づいて正確に分析させるのが特徴です。自分がどう思うかではなく、事実を観察していけば、物事はこのようになっており、このような因子が原因でこれこれの現象が起こっているということを説明することができなくてはいけません。
事実(根拠)がないことを言えば、「なぜそんなことが言えるのか」という話になります。一方で、文学などに重きを置く思考では、特定の解釈を述べることに大きな価値が置かれることも少なくありません。
もちろん、誰でも好き勝手に好き勝手な意見を述べるプロセスも重要です。思考法は世の中に何百とありますが、そのすべては、「集約」と「発散」という二つのカテゴリに分けることができます。
人の思考は、発想を広げる「発散」というプロセスと、論理的に情報をまとめ意味づけを行っていく「集約」というプロセスに分けることができます。なんでも好き勝手に意見を述べていくプロセスは、「発散」のプロセスです。しかし、意見がてんでバラバラで、多くの人が集まっていろいろな意見を述べましたというだけでは、何の問題の解決にもなりません。また、意思決定もできません。小論文試験では、皆さん一人一人が、自分で物事を考え、その内容を収束させていき、自分で意思決定する必要があります。意思決定をするためには、何が重要判断基準なのか(何が分かれば、この問題について意思決定できるのか)を見極めていく必要があります。その見極めに際して重要になるのが、FACTです。自分がどう思うかではなく、実態はどうなっているのかということです。
小論文の思考に作法があるとすれば、このように妥当な思考を行っていく際に重要となる頭の使い方です。
物事に対して、何ら制限なく思考することは重要です。しかし制限なく思考するだけで終わってしまうと、何の説得力もない意見になってしまいます。
14-3 思考の哲学
ここまでで、重要な思考の原則については簡単にお話ししました。小論文試験でよりよい点数を取るためには、しっかりと考えることができなければなりません。そのために大切な基本について今まではお話ししましたよ。
ここからは、若干応用的なお話しです。簡単にだけお話ししておきましょう。例えば、
AをBすることは妥当ではない
という特定の命題があるとしますね。この意見が妥当かどうかを考察する際には、重要な判断基準がなければなりません。何が重要な判断基準なのかをどう評価するかによって、当然結論は変わってきます。もしも上記の命題について、否定的な理由を評価するなら、上記の命題の結論は「妥当である」というものになるかもしれませんね。
どの理由がなぜ重要なのかを考察することは、思考の哲学的な領域です。哲学的になんでも考えていけば、どのような認識も妥当ということになってしまいますからね。
SFCを受験する際には、SFCに適した思考の哲学があり、法学部や経済学部を受験する際には、それぞれに適した思考の哲学はあると思います。私は小論文の添削をする際にもこれらの基準をクルクルと変えながら添削をしています。学問ごとに思考哲学が変わってくる事情があるのは、学問の目的や志向性の問題です。
14-4 原理的に能力が高まる思考法
ここまでお話をすると次のように考える人が出てくる人がいるようです。
結局何が論理的なのかについては、多様な解釈が成り立つのだから、論理論理と言っても仕方がない。(意味がない。)
しかし、そんなことはありません。
論文テストで見られているのは、論理が正しいか間違っているかではありません。このような考え方は、勉強のしすぎともいえます。日本の教育では正解を教える教育が支配的であるため、程度を評価されません。〇か×かしかないので、論理についても〇か×かしか存在しないと考えてしまうのでしょう。現実には〇か×かではなく、「程度」が重要になります。
論文テストにおける論理の程度は、論理の程度を見ることができる確かな実力の持ち主である、大学教員やそれに準ずる人々によって成されています。従って、どの程度論理的ななのか、高度に論理的なのか、それともまったく論理的ではないのかが問題となります。
同様に、思考のアプローチについても、正解としての思考のアプローチと、間違った思考のアプローチがあるわけではありません。原理的に高度な思考が可能になる思考アプローチと、程度が低い思考アプローチがある形となります。
人の思考力を高める思考法は存在します。まだ気づいていない人もいるかもしれませんが、折に触れて私がメルマガの動画や書籍の中でいくらかお伝えしています。
14-5 文章をなぜ書くことができないのか
よく小論文について相談を受ける際に、「文章を書くことができません」というお話を聞きます。文字を埋めることができないというのは苦しいことですね。ではどうすればいいのか。文字を埋めようと考えないことが大切です。文字を埋めることができないという悩みは、言ってみれば、美容師さんが、髪を切ることがうまくできないという悩みに似ています。本当ですよ。(笑)
美容師さんが髪をうまく切ることができない理由はどこにあるのでしょうか。それは、頭の中に明確なイメージが無いからです。一般的にうまい美容師さんは絵を描くのが上手です。絵を描くのが上手ということは、細部をイメージできているということです。髪を切るのがうまい人は、紙に絵を描くのと同じように、紙を切る際に、頭の中に仕上がりをイメージしています。今目の前にいるお客さんの髪質、顔の形、雰囲気、髪の量、髪のハリ、カラーの具合などを総合的にイメージして、どのようなスタイルでどのように切れば最も美しくなるのかをあらかじめイメージします。このイメージができている人は、イメージに近づけていけばいいわけですから、仕上がりが美しくなります。一方で、下手な美容師さんはこれができません。髪を切るのが下手なのではありません。髪を切る前に、具体的に細部をイメージできていないのです。「神は細部に宿る」という言葉があります。デザインの世界では有名な言葉です。細部をイメージできない人は、全体をぼんやりとしかイメージできていません。イメージできていないものを創り上げることはできないのです。およそ創作活動というものは、イメージを形にすることです。
これと、文章も同じです。文字を埋めると考える前に、自分が書く文章についてのイメージを頭にどれだけ描くことができるかが勝負になります。頭の中にイメージを鮮明に描けば、文字を埋めるなどと考える必要はありません。その鮮明なイメージを具体的に、そして詳細に説明すればいいだけです。人は考えることができていないものを書くことはできません。理解できていないことは説明できず、見えていないものは発想できないのです。
日本一有名な作家である村上春樹氏は、「文章をうまくなるにはどうすればいいですか」と質問されて、「要は才能です。」と答えました。これは、イメージの力がどれだけあるかについての意見ともいえるでしょう。言い換えれば高すぎるレベルを村上氏はイメージしています。
文章は書くだけの作業ではありません。考える作業が必要です。人は論理的にも考えますが、感性的にも考えます。論理も感性も鍛えることができます。高すぎるレベルは才能の世界になるかもしれませんが、大学受験にパスする程度であれば、これらの諸原理をおさえてきちんと勉強していけば、対処できます。
さて、ここでも一つ大事なお話をしていますよ。物事を考える時に感性的に考えることの重要性です。すぐにイメージできないことにすねることはありません。才能なんだとふてくされるのもやめましょう。そんな弱気なことで一流の美容師になった人はいません。文章も同じです。努力して努力して努力しきった人にしか、「俺には才能がないんだ」などと言う言葉を吐く資格はありません。まだ努力もしていない人間が、才能論を口にすること自体がおこがましいといえるでしょう。世界で天才と言われる人は、たいてい人の何倍も努力をしています。天才だから、才能があるから何かを成し遂げることができているという見方は、努力をするだけの決意が欠けている人の見方です。
14-6 正しい努力をし、努力をした後に悩みを考える
およそ不幸というものは、間違ったものを信じることから始まります。ここまでのお話をきいた皆さんであれば、感性やイメージの重要性を少しは認識していると思います。
どうすれば文章がうまくなるのでしょうか。それは、適切な頭の使い方、適切な考え方、適切な日々の勉強法、適切な論文の構成、適切な作法などを学ぶことです。有名なものを学ぶと、有名なものは必ずしも適切ではないので、間違った方向へいってしまうことが少なくありません。
究極的には、文章を埋めることができないというお悩みは、間違ったものを信じていることから生まれています。特定の構文を教わった人、文章を構文に当てはめることを教わった人、ネタを書けと言われた人、原因を書いて対策案を書けと教えてもらった人などは、そもそも考えをフォーカスさせるところが不適当なわけですから、適切なアウトプットができる道理がありません。詳細にイメージできていないものを詳しく書くことはできないのです。だから、文字を埋められません。
しかし、みなさんの側が問題を抱えていることも少なくありません。努力をする前に、悩みを相談する人もいます。例えば、小論文の添削で、「主語を省略しないようにしましょう。」と指摘を受けているのに、主語を省略している人もいます。これはいけません。体言止めのような口語体で文章を書き、短く不適切かつ減点される答案を書いているのに、「文字を埋められません」などと相談してしまう人もいます。これは正しい努力とは言えません。まず基本をしっかりと抑えることが大切です。
私は皆さんに、どのように言いましたか。「まず、ものを見ようとしてください。」とお話ししましたね。それをやりましたか。原因を考えてしまいませんでしたか。構文にはめようとしましたか。理由は何かと考えてしまいましたか。ネタを考えてしまいましたか。もう一度言います。私はまずものを見ようとしてくださいと言いました。この点について、しっかりできない時にはじめて心配しなければなりません。大事な問いは、なぜよりよくイメージできないのか、なぜもっとものが見えないのかということです。「ここで使えるネタなんだっけ」という問いではありませんよ。(笑)人は、適切な質問を脳に投げかければ、必ず適切な答えを脳は返します。考えるということは自問自答するということです。従ってよりよく考えるには、より良い質問をしなければなりません。結果を出すことができない人は、このより良い質問を知りません。小論文を勉強していないからです。
私は授業の中で4冊の本を読みましょうと言いました。「小論文技術習得講義」「小論文の教科書」「慶應小論文合格バイブル」「牛山慶應小論文7ステップ対策」の4冊です。すべて違う視点から書かれているので理解が深まります。だから読みましょうと進めています。より良い結果を出すには、より良い質問が必要です。考えるための質問です。そのための質問を上記の本で学べます。
まず適切な努力をする前に、悩みを持つ必要はありません。やることをやって、それでもできない時に、はじめて相談すればいいわけです。
14-7 不適切な美意識と不合格
論文の作法や文章の作法について、不適切な美意識があると、不合格になりやすくなります。自分がかっこいいと思っている文章や、これが論文なんだと思っているものがズレている場合、何度書いても評価されません。
また、自分の性格が色濃く文章に反映されてしまい、その結果不合格になってしまう人もいます。これが知的なんだとか、もっと知的な度合いをアピールしなくっちゃという考え方が鼻についてしまい、心象が著しく悪くなってしまうケースもあります。これは美意識の問題なのですが、文章はその人が持っている美意識に大きく左右されるため、このような現象が起こってしまいます。
ここでお話ししたいくつかの重要なポイントについて、不適切な美意識を持たないように気を付けましょう。遠回りに見えて、何について美意識を持つかが、合格の決め手になります。
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