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このページでは、メルマガで流した慶應大学の文系学部の小論文問題の解説を掲載しています。
2019年度慶應大学看護医療学部 小論文過去問題解説
こんにちは。
牛山です。
今年は、終末医療についての課題文が出ましたね。
それでは、さっそく問題を見てみましょう。
今回の問題は次のようなものです。
問題1
「病む者に元気になってと声をかけることが、いかに残酷であるか」について、なぜそのように指摘しているのか、本文の内容を参考に100字以内で述べなさい。
この問題は、いわゆるオーソドックスな説明問題です。
ポイントは二つあります。
課題文の中から、解答の要素となるパーツをきちんと拾うこと。
二つ目のポイントは、100文字指定なので、一気に説明してしまうことです。
今回の問題の場合、解答の要素をもれなく拾った場合、100文字だと文章を分けにくいでしょう。分けても構いません。どちらでもOKです。
今回は、見舞う人の励ましが時として残酷である理由を問われています。
以下に、解答例を紹介します。
問題1 解答例
元気になりたいと願いながらその困難を本人、介護者が知り抜いている時、他者からのはげましは、「元気になること」が関係を結びなおす条件であるように聞こえる「結果としての暴力的な表現」になっているため。
それでは、続いて、問題2を見ていきましょう。
問題2
下線部2の「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」とはどのようなことか。
これは、なかなかに難しい問題かもしれませんね。
ポイントは、課題文の文脈を把握することです。
普通は逆に思うじゃないですか。
「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」
というのは、一般的な常識に反するように一見すると思われますよね。
だから問題になっていますよ。
しかしながら、終末医療の現場を知り尽くしていれば、本当はそうではないと。
つまり、
「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」
この法則性が成り立つと著者は説いているわけですね。
頭がこんがらがってきました?
大丈夫。
分かりやすく説明しますからね。
本試験を受けた人は課題文をもう一度確認してほしいのですが、文脈に注意です。
なぜ、「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」なのか・・・ということです。
課題文では、筆者の奥様が末期がんで、絶望的な病状であること、その介護の過程で心が通じ合うこと、そして、死が怖くないと感じるようになったことが紹介されています。
そして、
「がんばって」とお見舞いの際に述べる人の言葉が時として非常に残酷なものである理由が書かれています。
その上で、見舞う者が自分を「支援者」だと誤認しちえると著者は説くわけです。
その上で、「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」と著者は自説を展開しています。
この文脈が重要です。
つまり、筆者が否定的に見ているのは、見舞う者が、患者の心を推察せずに、自分が支援者の立場で無神経に会話をすることです。
著者が何を否定的に見ているのかが非常に重要なポイントになります。
そこに読解のヒントがあることが多いのですね。
それでは、
「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」
とはどういうことなのでしょうか。
著者は初めの部分で、妻の看病をすることを通して、心が通じ合う発見をしていました。そして、その経験について、「魂にふれる」という文章を書いているわけです。
※この文章のタイトルは「魂にふれる」でしたね。
言い換えれば、著者は、看病を通じて、自分が何かを学び取ったということです。
つまり、それまで不通に生きてきて、自分が気づくことができなかったことに、妻が気づかせてくれた。それは何かということです。
この点について、著者は以下のように書いていますね。
------------------ここから---------------------
外界の出来事に最初に接触するのは、皮膚ではなく、魂なのではないだろうか。肉体が魂を守っているのではない。魂が肉体を包んでいる。
---------------------ここまで--------------------
大事なことは、この考えは、筆者が感得したことだということです。
つまり、妻の看病を通じて学び取ったということでしょう。
そうやって死や生に対して、真摯に向き合うようになった筆者から見たとき、さっと見舞いに来て、無神経にも「がんばって」と表面的なはげましをすることに何らかの憤りが感じられたのでしょう。
そのような心の機微を、この文章から読み取ることができたかどうかが、まず重要なポイントになります。
このようなことは、単なる読解論や読解テクニックの話ではありません。
受験生であるあなた自身の人間力がこの問題で問われています。
この意味で、この年のこの問題は非常に看護学部の問題として良問と言えるでしょう。
問題はここからです。
このようにセンサーとして、心の機微を読み取ることができたかどうかの次の問題として、次はあなたの知性が問われています。
「苦しむ者は、多く与える者である。支える者は恩恵を受ける者である」
これは、どういうことなのかと問われているわけですよね。
今度はここまでに読み取った内容を言語化することが大切です。
大事なことは、話をそらしてみたり、どうでもいい関係のない具体論に話をもっていかず、正面からこの問いを受け止め、その問いに応答することです。
そこで知性が問われます。
従ってまず大事なことは、問いを設定し、その問いに対して端的に応答することです。
その上で、なぜそのように考えられるのかを書いていきましょう。
説明の方法は、前提の列挙で大丈夫です。
変な構文にはめたり、変なテクニックに走る必要はありません。
きちんと問われたことに答えていきましょう。
普段の小論文の勉強が問われますよ。
問題2 解答例
苦しむ者は多く与える者とは、どのようなことだろうか。私は著者の言は、病者が周囲の人々に与える心理的な影響のことだと考える。
病者は病になることにより、周囲の人に健康のありがたみや、生きることの意味を考える機会を与える。健康なうちは、多くの人がその健康のありがたみを感じることができない。人生の目的や生きることの意味も、私たちは日常生活の中で考えることは難しい。しかし、病者が自分よりも少し早く病気になることで、いずれは私たちも老いや死の直前の病からは逃れられないことを知る。見舞う人が、「がんばって」と声をかけるのは、健常な自分が優位に立っていると考える一種のおごりである。自身の生と他者の生を真摯に考えるのであれば、このような言葉は自然には出てこない。なぜならば、病者は、自分に生きる意味や生きることの価値を教えてくれる教師だからだ。すべての病者は、この意味で、貴重にして重要なメッセージを発信している。私が祖父の病室を見舞った時、もうほとんど自分で動くことができない祖父の手を私は握った。この時、祖父は私の手を強く握り返してきた。すでに言葉は交わせなかったが、私はこの時言葉にならない多くのメッセージを受け取った。
以上のように、病者の闘病は、生きるメッセージであり、この意味で苦しむ者は多く与える者であると考えられる。
【解説】
今回の解答例では、著者が述べていた内容の行間を埋める路線を採用しています。以下の部分です。
------------------ここから---------------------
人生の目的や生きることの意味も、私たちは日常生活の中で考えることは難しい。しかし、病者が自分よりも少し早く病気になることで、いずれは私たちも老いや死の直前の病からは逃れられないことを知る。見舞う人が、「がんばって」と声をかけるのは、健常な自分が優位に立っていると考える一種のおごりである。自身の生と他者の生を真摯に考えるのであれば、このような言葉は自然には出てこない。
---------------------ここまで--------------------
もちろん、この内容にすることが正解なのではありません。あくまでも解答例です。著者が「魂にふれる」と表現した内容に触れても構いませんし、あなたが体験した「魂にふれる」という体験でもいいでしょう。あるいは、そのような体験がなければ、それに準ずるような体験や、その考察でも構いません。知識や体験がなければ書けないということはありません。なぜならば、小論文試験は原則として、考えた内容を書く試験だからです。
【解説2:余談】
私が小学校高学年の時だったでしょうか。祖父が私の家に遊びに来まして、そこで、私と少し散歩をしたのですね。祖父は、「何か欲しいものはないか。」「何でも買ってやるぞ」などと、普段なら絶対に言わないようなことを私に言いました。私の家は、当時裕福ではなかったので、私は祖父に遠慮して、「ほしいものは高いものだからいいよ」などと言っていました。本当は、ゲームか何かが欲しかったのだと思いますが、強がってみせていたのですね。アホです。祖父は、私の手を握って歩きたそうにしました。笑いながら手を握ってきたのです。たまにしか会えませんでしたし、孫はかわいいものなのでしょう。しかし、当時私は既に思春期でしたし、近所は知り合いもたくさんいるので、年頃だったのか、恥ずかしかったのでしょう。祖父の手を離してしまいました。今の年齢なら少しも恥ずかしくなく、祖父と手をつなぐことができたのだと思います。小さな男の子だったので、きっと恥ずかしかったのでしょうね。その時に、祖父の顔を見ると、少し残念そうな顔をしていました。そのことをずっと少し私は後悔していました。その後ずっと時が経ち、祖父が老衰で入院している時、私はお見舞いに行き、祖父の手を握りました。あの時以来ずっと心のどこかで引っかかっていたからというのもありました。そんなエピソードを今回の解答例では書いてみました。
皆さんも、もう大学に入学するくらいの年になっているので、もし祖父母と手をつなぐ機会があれば、手をつないでください。
それこそ、私の場合は、祖父ももう長くないことを悟っていたのでしょう。その意味で、魂がふれる経験でした。