ディジシステム牛山の人生七転び八起き



※ご注意:このお話はかなり重たい話になるので、
予告なしに読んでもらうと無粋な内容になります。
軽めの話がいい人は、こちらの
「牛山のバレンタインデーの思い出」をどうぞ。
バレンタインデーの思い出を読む








〜牛山ってどんな人?〜


牛山(私)はもともとあまり頭がいいわけではない。

ごく一般的な家庭の3人兄弟の末っ子として生まれた。

私の家庭環境が大きく変わったのは、小学生の頃だ。
公務員であった父が、病気で倒れ、入院してからである。

それまで豊かに暮らすことができた家庭環境は一変。
貧しい暮らしと言っていいだろう。

そんな私はやんちゃな三男坊として育った。
小学生低学年の頃は、いわゆる「悪ガキ」。

ガキ大将のようなどうしようもない子供だった。
当然学校の成績などいいはずもなく、そもそも、勉強が
当時はまったく好きではなかった。

一方の兄と言えば、数百人の生徒の中で成績がいつも
10番以内。生徒会長もやっていた。

学年で成績が2位になるなど、かなり頭の良い兄だった。

次男は大学付属の中学へと進学。
県内でももっとも偏差値が高いような中学へと進学していた。

まったく勉強しないのに成績が良い次男。
勉強をしっかりするしっかりものの長男。

一方私はと言えば、まったく勉強せず、勉強の意欲もなく、
さらに、成績もまったくよくなかった。

私が好きだったのは唯一美術だけ。
絵を描くということが私は好きだった。

 

そんなわけで、私はもともと頭がいい人を超えるには
どうすればいいのだろうか?というようなことに
興味を持つようになった。

 

そんな私が大きな病気をしたのは、思春期の頃。
高校1年生までは、空手部で元気に空手をやっていた。

 

病気がだんだんと深刻になっていったのはその後だった。
具体的な病名は、大変深刻だったので伏せておきたい。

当時私は、普通の社会生活を送ることができなくなった。
なんとか、生きていくのがやっとという状態で、勉強どころ
ではなくなった。

健康というのは、大変大切なもので、これが無くなると
他のことはどうでもよくなるものである。

 

 



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