このページでは、メルマガで流した慶應大学の文系学部の小論文問題の解説を掲載しています。
慶應クラスでは、構造ノートや構造議論チャートを使ってもっと詳しく細かく各学部の過去問解説を動画で行っています。
1999年度慶應大学総合政策学部 小論文過去問題解説
こんにちは。
牛山です。
本日は、1999年度 慶應大学総合政策学部小論文過去問題解説です。
今回の問題は次のようなものです。
設問1
以下の二つの論文を読んだ上で、どちらかの立場に立って、相手方の立場を批判しなさい。
論文Aには3つの文章があり、3つの文章の内容をまとめると以下のようになります。
(1)所得の再分配を否定する。
(2)格差社会への批判は的外れなものである。その理由は、豊かになった個人は自由な選択によってそうなったからだ。
(3)累進課税は、公平性と正反対のものの表明である。
論文Bは、要は、「公益は打ち捨てるべき概念ではない。市場原理主義的な政策ではなく、公共財の投資を行い、資源の再分配を行っていくべきだ。」という趣旨のことが書かれています。
課題文の内容を抜き出すことは禁止されています。従って、細かく読んでも仕方がありません。
この手の問題を解くポイントは、きちんと相手の論拠を崩すことです。
時々反論だけをやりっぱなしにしている人がいますが、有効な反論ができなくなるので、必ず相手側の論拠を崩しましょう。
解答例
論文Aに記載された3つの文章は、どれも妥当性を欠くという立場を私は取る。
第一の文章は、所得の再分配を否定する文章である。子供がおもちゃで遊ぶシーンを比喩的に用いて、子供のおもちゃの再分配は妥当性を欠くという言い分である。しかし、民主主義社会における公共政策と、子供のおもちゃの配分を同じ土俵の上で論じることはできない。市民社会における統治体制の前提となるのは、民主主義の根幹をなす法制度であり、我が国においては、国の最高法規である憲法が統治の前提となる。国家が絶対の権力を有し、法による暴力を許容(死刑などの極刑を含む。)されているのは、公正な社会及び社会秩序の安寧を期待されているためである。ゆえに、程度の問題は残るが、所得の再配分を国家が行うのは当然のことであり、公共政策の必要性は論じるまでも無いことである。
第二の文章は、「格差社会への批判は的外れなものである。その理由は、豊かになった個人は自由な選択によってそうなったからだ。」という趣旨のものである。しかし現実には、豊かさと自由な選択は、1対1の関係にあるものではなく、現実の社会で経済的に成功する場合、個人の選択、個人の能力、運、資本力、人脈など多様な要因が存在する。この中でもとりわけ近年注目が集まっているのは、資本力による不労所得が生まれる仕組みである。トマ・ピケティはその著書「21世紀の資本」の中で、格差社会を是認する重要な前提であった、「努力すれば報われる」式の能力論や選択論が間違っていることを指摘した。少なくとも社会正義という視点から見れば、高度に発達した金融資本主義社会は、公正さを失った社会であると言える。第二の文章は、計算を行わず、感覚論で公共政策について論じている点で不適当である。また第一の文と同様に、市民社会の公共政策課題を個人の体験談をベースに論じようとしている点で、第二の文は、妥当性を欠く。
第三の文章は、累進課税は、公平性と正反対のものの表明であると説く。十分に働かなかった者が、稼ぎが少ないのは、当然であり、従って課税金額に差異をつけるのは不適当だという言い分である。しかし、十分に働かなかったから稼ぎが少ないとは限らない。働きたくても働くことができない事情がある国民も存在する。また前述したピケティの研究結果である「資産から生まれる資本の方が労働から生まれる資本よりも大きい。」という事実があるため、第三の文章の論拠は成立しない。
以上、第一~第三の文章で述べられる主張は全て妥当ではない。従って私は論文Bの立場を支持する。
あなたは過去問題で練習するような小論文の勉強をしていませんか?
大変危険なので、きちんと小論文の基本から学んでいきましょう。
知性の働かせ方、感性の働かせ方を学び、高みに到達できる学習をしましょう。
解き方などの小手先のテクニックに逃げないことが大切です。
骨太の対策をすれば、総合政策学部も合格できます。