(1) 設問の要求(概要)
以下の資料は、日本国が宣戦を布告した際の、「勅」の冒頭部分である。個々の勅に書かれた語句や文章を比較検討し、そこから導き出される近代日本の国家と戦争の歩みについて考察し、400字程度でまとめなさない。
(2)解説
出題されている勅は、1894年の日清戦争、1914年の第一次世界大戦のドイツに対する宣戦の勅、第二次世界大戦における、1941年の我が国の英米両国に対する宣戦の勅です。
例えば、資料文は以下のようなものです。
清国に対する宣戦の詔
天佑を保全し、万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は、
忠実勇武なる汝有衆に示す。
朕茲に清国に対して戦を宣す。
朕が百僚有司は、宜く朕が意を体し、陸上に海面に、清国に対して交戦の事に従い、
以て国家の目的を達するに努力すべし。
苟も国際法に戻らざる限り、各々機能に応じて、一切の手段を尽すに於て、
必ず遺漏なからんことを期せよ。
このような文章が3つほど並んでいます。
我が国の自虐史観をどのように捉え、戦争の歴史をどのように解釈するのかという問題について、どのように考えているのかが問われる問題となっています。
同時に、戦争法規や国際法の適用を我が国がどのように認識し、戦争に至ったのかという解釈が重要になるでしょう。
〈自虐史観について〉
自虐史観とは、簡単に言えば、日本国の戦争の良い面と悪い面の内、悪い面をことさらに強調して認識する歴史観のことです。
従軍慰安婦問題や、南京大虐殺については、各国のプロパガンダ政策による作られた歴史観であるという見方とそうではないという見方の2つが存在します。
また、今回の問題で問題視されているのは、開戦の布告に関する勅が扱われているわけですから、「戦争の理由」、「開戦の理由」ということになるでしょう。
日本が戦争を起こした理由については、大きく2つの立場で争われているという認識が重要です。
1つめは、日清戦争も日露戦争も、日本の侵略戦争であったという見方です。この場合、日本は周辺諸国に戦争を仕掛け、侵略行為を行ったという戦争の負の側面が強調されることになります。
一方で、日清戦争や日露戦争は、当時の西欧列強の帝国主義による植民地支配の時代にあって、国防のための自衛戦争であるという見方があります。現代のような比較的平時と言える時代にあっては考えにくいことかもしれませんが、人類の歴史とは常に戦争の歴史でした。特に当時は、西欧列強による植民地支配と、富の収奪、現地住民の虐殺や奴隷化が状態であったため、世界の各国は西欧列強の植民地支配からどのように自国を守るのかということが切迫した問題でした。また西欧列強は、圧倒的に近代化された兵器を保有していたため、武力のレベルが未開拓の地の現地住民とでは比較にならず、未開拓の地を見つけては、その土地を収奪し、現地住民を虐殺、奴隷化して、植民地化政策を推し進めるという時代でした。その土地は、先に未開拓の地を見つけた国のものという、ある意味で無茶苦茶な論理がまかり通っていました。この論理こそが、当時の国際法と言っても過言ではないという認識がここでは重要になります。帝国主義の時代にあっても、国際法や戦争法規は存在しましたが、当然それらは西欧列強にとって都合のよいものであったということです。そして、この時代から存在した戦争は今もなお続いています。形を変え、ウォーエコノミーなどと呼ばれています。非自虐史観的な見方をした場合、日清戦争や第一次世界大戦への参戦は、世界中で戦争が行われていた時代にあって、日本が植民地化を避け生き残るためのギリギリの決断であったという見方もできます。
〈戦争法規と国際法について〉
出題されている3つめの勅(みことのり)を見ると、国際法等への言及が無いことが分かります。1941年の我が国の英米両国に対する開戦は、どのような経緯であったのかという認識がここでは重要になります。日本が大陸の朝鮮半島において、西欧列強と同様に権益を得るようになると、この状況を快く思わず、自国の経済を戦争によって活性化させたがっていたアメリカは、事実上の宣戦布告を日本につきつけたという考えがあります。それが「ハルノート」と呼ばれる日本に対する厳しすぎる条件提示でした。大陸から全軍を引き上げ、大陸における権益を事実上手放すことをアメリカは要求します。いわゆる全面降伏を即時に認めることを要求する内容であったとの見方が支配的です。自虐史観においては、日本は常に侵略戦争を行ったということになっています。しかし、日本は日清戦争、日露戦争のどちらにおいても、圧倒的に弱小国だと世界各国から認識されている国でした。アジア各国は西欧列強に次々と植民地化されており、アジア各国の中で、唯一日本だけが日露戦争でロシアに勝利したのです。アジアの小国が、西欧列強に勝利したという事自体、どれだけ奇跡的なことであったのかという考え方を重視する見方もあります。冷静に考えて、日本は世界の主要国を相手に、侵略戦争をする利は無いとする見方です。それでも日本が開戦に踏み切ったのは、アメリカのこのような挑発行為があったからだという見方も存在します。このような経緯で開戦に踏み切ったので、この際の宣戦布告の勅の中に、西欧列強に都合よく作られていた国際法に対する言及がないとみなすことができます。
それでは、解答例を見てみましょう。
(3) 解答例 近代日本の国家と戦争の歩み
我が国の戦争の歩みについては、自虐史観的な見方と、その反対の非自虐史観的な見方が存在する。非自虐史観的な見方の場合、西欧列強の帝国主義による植民地化政策が世界各国で展開される中、我が国は自国の植民地化を免れるため、自衛戦争として日清、日露戦争を行い、朝鮮半島における権益を拡大したと見なされる。このような時代において、日本が生き残る道は西欧列強と肩を並べる大国化への道であったと考えられる。当時我が国は西欧列強を中心として形作られた国際法に基づき、日清戦争、第一次世界大戦への参戦を行った。宣戦布告の勅にも、この考え方が反映されている。
第二次世界大戦中の英米に対する日本の開戦は、西欧列強による我が国への実質的な収奪行為に抵抗する自衛的開戦であったとみなす考えも存在する。このような考えに立脚した場合、我が国が国際法に基づいた開戦であることを宣言する意義は薄れる。そのため、資料3の開戦の勅では、国際法に基づく文言が記載されていないとみなすことができる。