慶應大学文学部 小論文2007年 過去問題の解説

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2007年度 慶應大学文学部 小論文過去問題の解説

 

こんにちは。 牛山です。

 

本日は、2007年度慶應大学文学部小論 文問題解説です。

 

【1】問題1

 

(1) 問題概要


この年の問題では、文学作品が戦時下でどのような役割を果たすことができるのかを問う考察文が出題されました。

 

文学と言えば、平時に味わうものというイメージがあるかもしれませんね。

 

しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。

 

そんな素朴な疑問が語られている文章が出題されています。

 

課題文では、サルトルという人が、文学を批判するかのような言説を述べていることが取り上げられています。

 

文学は所詮、裕福な人間の娯楽なんだとも、とれる意見。

 

アフリカで子供が飢えている時に文学に一体何ができるのか(何もできはしないだろう)

 

こんな風に述べているわけです。

 

(あくまでもわかりやすさを重視してお話していますよ。)

 

設問の要求は、以下のようなものです。

 

ちょっと課題文の内容について、細かい話が出てきますが、要は、先ほど述べた内容について問われています。

 

-------------ここから-------------

筆者は「包囲されたサラエヴォで、『ゴドーを待ちながら』を上演することをサルトルの「アフリカで子供が飢えているときに文学に何ができるか」という問いに対する「一つの、根源的な応答にほかならかなかった」と考えている。

それはどのような理由によるのか、説明しなさい。

-------------ここまで-------------

 

 

(2) 着眼点と解き方

 

サルトルは、文学に何ができるのか?と問うているのですが、これは、文学とは、

 

平穏な時期に、戦時下にいない人たちが享受するもの

 

という認識があるからだと、課題文では述べられています。

 

本当は、そうではなく、

 

苦しい時にこそ、文学が必要とされるのではないか

 

と、著者は考えているのですね。

 

-------------ここから-------------
詩人の黒田という人物は、ひもじさを忘れるために文学作品をむさぼり読んだ
-------------ここまで-------------

 

という事例も課題文では挙げられています。

 

なぜ戦時下で、特定の作品を演奏することが、「根源的な応答」になるのかと言えば、

 

その答えがズバリ課題文の第三段落目に書かれています。

 

文学とは飢えた者のためにこそある
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

↑ここがポイントです。

 

文学とは、飢えた者のためにこそあるから、戦時下で、特定の作品を演奏することが、「根源的な応答」になるわけなんですね。

 

このように、必ず解答の根拠が、説明問題では課題文の中にあります。

 

あとはこの内容を、加えて解答を作っていけばよいということになります。

 

(3) 解答例


 サルトルの問いが無条件に前提とし ているのは、文学作品を享受するの は、平時に生きる者であるということ であった。しかし、著者は、文学は飢 えている者のためにこそあると考えて いる。従って、包囲されたサラエヴォ で「ゴドーを待ちながら」を上演する ことは、「文学こそが飢えている者の ためになる」という仮説を検証する意 味で、サルトルの問いに対する根源的 な応答になっている。

 

【2】問題2

 (1) 問題概要


設問2では、文学は戦争の対義語たり得るかということが問われています。

 

(2) 考え方

 

戦争の対義語??

という感覚に襲われた人もいるかもしれませんね。

 

対義語とは、一般的に

 

正義と悪

損と得

平等と不平等

 

などというように、正反対の概念を連想させるものだからです。

 

ですから、戦争という名詞に、対義語を持って来られても、ピンと来ない人も多いのではないかと思います。

 

ここでは、あえて、直接的な表現を避けて、「対義語」という言葉を筆者が使っていることをあらかじめ見抜く必要があります。

 

それでは、どんな形で著者が戦争という行為を認識しているのかを把握する必要がありますね。

 

さっそく見て行きましょう。

 

(1)イスラエル軍に占領されたパレスチナジンの街リッダでは、住民一万人以上が追放された。

 

体力の無い子供が次々に倒れ、道には子供の無数の遺体が残された。

 

(2)愛するものを次々に奪われていくという暴力のなかでアーミナはいつしか精神に失調をきたしており、彼女が夢想する縁結び(死者たちのそれ)は狂気ゆえのことであることが、作品を読み進める内に明らかになる。

 

(3)アウシュビッツ

 

(4)ヒロシマ

 

これらのキーワードと事例から、この戦争というものを筆者はどのように認識しているのかということを、把握する必要があります。

 

そうしなければ、戦争の対義語が文学という意味がよく分からなくなってしまいます。

 

(1)~(4)をもう一度眺めてみましょう。

 

(3)は言わずと知れた、ナチスドイツによる、ユダヤ人の無差別大量殺戮が行われた場所です。当時のナチスでは、収容した人物は使い捨ての労働力であり、女子供などの労働に適さない人物は即刻殺されていたようです。

 

(4)のヒロシマとは、原爆投下の悲劇のことであり、9万~16万人が当時数ヶ月の間に亡くなったとされています。

当時の広島の人口が35万人程度であったことから考えれば、一発の原爆投下により、広島の人のほとんどの方が命を落としたことになります。当然すぐに死ぬことがなかった人は、その地獄絵図の世界の中で恐怖と絶望、多大な苦痛の中で時を過ごしたことが予想されます。

 

(1)~(4)に共通するのは、
不条理というキーワードです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

↑ここがポイントです。

 

不条理とは、

 

道理にかなわないことを意味する言葉です。

 

課題文では、文学が不条理な世の中で生きる糧となっていることが述べられています。

 

ここから先は課題文には何も書かれていませんので、読者は想像力をふくらませる必要があります。

 

なぜ文学が、不条理な世界で生きる人にとって必要なのかということです。

 

文学とは飢えた者のためにこそある
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

という言葉が課題文で紹介されていました。

 

それは、なぜなのでしょうか。

 

飢えた者の心境を考える必要があります。

 

望んで飢えた状態になることを望む人はいません。

 

何らかの不条理な状況下で、飢えに苦しんでいるのでしょう。

 

私達が暮らしている社会は大変豊かな社会です。

 

このような社会を生きている時、私たちは、なぜ生きるのかという切迫した問いを感じにくいものです。

 

生きる意味とは何か

 

などということを考える必要はないとも言えるでしょう。

 

従って自分の権利だけを気にしていればよいという状態になりがちであり、今の現代社会を見れば、個々人の権利意識だけが肥大化している様が見て取れます。

 

一方で、戦時下など、人権のかけらもない世界では、無差別に生命、財産が奪われていきます。

 

生命や財産が奪われるだけではなく、時には拷問もあります。空爆等で体の一部が無くなる人もいるでしょう。十分な医療行為が成されず、疫病で命を落とす人もたくさんいました。わずかな栄養がなく、我が子が命を落とすのをなすすべも無く見守るしかない人もたくさんいました。

 

このような極限状態では、生きることそのものが苦痛に感じることすらあるでしょう。

 

いっそのこと死んだほうがはるかに楽かもしれない極限状態で、かろうじて精神の異常をきたさない程度に必死に生きる状態では、必然的に人は形而上の問いを発するしかありません。

 

文学は戦争の対義語たり得るか

 

とは、

 

◆戦争・・・不条理
◆文学・・・条理

 

という考え方が成立するかということです。

 

不条理⇔条理という点で対義語に
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
なっていますね。

 

文学とは、ある意味で、形而上の世界を扱う唯一の学問であり、生きる糧になり得るものです。

 

時にはそれを否定する人もいるでしょう。

しかし、本当にそうなのか。

 

と、問う問題意識から今回の問題が作られていることを把握する必要があります。

 

課題文の中では、黒田という詩人が極限状態の中で文学作品をむさぼり読んだことが紹介されています。

 

あまり文学作品を読んだ経験がない人は、ピンときにくい問題だったかもしれません。

 

(3) 余談

 

牛山は今回の課題文の内容がよく分かります。

 

その理由は、私自身青年期に薬害や病気で、普通の社会生活を送ることができなくなった経験があるからです。

 

生き地獄とも言える日々の中で、私は文学作品を読みました。

 

文学作品の中では、多くの作家が、答えのない問いを扱い、形而上の世界について論考を行っており、このことが救いになるとまでは感じることは難しかったかもしれませんが、少なくとも、強い興味を感じました。

 

その理由は、私自身が強い不条理を感じざるを得なかったからです。

 

人は不条理という感覚や言葉にどこか鈍感なことがあるのが一般的だと思います。

 

自分の子供が原因不明の難病にかかり苦しんでいる時や、不幸があった時、自分が苦しみの当事者になった時にはじめて実感するものだからです。

 

絶え間なく体を襲う苦痛は、言葉にできるようなものではありません。

 

健常な体を持ち、平時の環境下にいる人は生きる意味を疑うことはありません。疑うはずもないでしょう。なぜならば、日々生きているだけで、小さな喜びや幸せはあふれているからです。

 

しかし、そのようなプラスの幸せのひな形のようなものが全てなくなり、苦痛の連続になった時、人はなぜ生きる必要があるのかを無理矢理考えさせられるようになるものです。

 

それでは、解答例を紹介します。

 

(4) 解答例

 

 私は、「文学は戦争の対義語足り得 る」と考える。文学こそが唯一の不条 理に対する生きる手段であり、人の営 為であり得るからだ。

 戦争とは、一種の「不条理の極限状 態」である。アウシュビッツ、広島の 原爆投下など、大量殺りくの現場で は、一切何の責任もない市民が犠牲に なる。このような状況下では、人はな ぜ生きるのか、なぜ生まれてきたのか などという形而上の問いに直面 せざるを得ない。人生に意味など無い というニヒリズムを前提として生きる ことは、戦争で腕や足を奪われ痛みと 苦しみで悶絶している人には不可能で ある。親、兄弟、友人、子供など、最 愛の人物を戦争によって奪われた人 は、精神的かつ肉体的苦痛の極限状態 で精神に異常をきたすこともある。

 私自身かつて病に倒れ、通常の日常 生活を送ることができなくなった経験 がある。幼少期から処方された薬の薬 害にあったこともある。常軌を逸する 苦痛の中で、私が感じざるを得なかっ た問いもまた、前述した不条理に対す る形而上の問いであり、私は本をむさ ぼるように読んだ。

 前述した理由より私は、「文学は戦 争の対義語足り得る」と考える。文学 は人に条理を与えるものである。

 

 

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