このページでは、メルマガで流した慶應大学の文系学部の小論文問題の解説を掲載しています。
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1992年度 慶應大学文学部 小論文過去問題の解説
こんにちは。
牛山です。
本日は、1992年度慶應大学文学部小論文問題解説です。
【1】問題概要
(1) 設問の要求
この文章の主旨を300字以内で要約しなさい。。
(2) 考え方
主旨とは、中心となる事柄のことです。
したがって、実質的には要約なのですが、何を中心として話が展開されているのかに注目する必要があります。
まずは先に課題文の要約をご紹介します。
以下にご紹介する要約をさらに、ギュギュギュッと短くしたものが、主旨を要約したものになります。
(3) 課題文
「晩鐘」や「落穂拾い」などの作品で有名なフランスの画家ミレーの作品は民俗学や歴史学の観点から、貴重な証言として、見直されつつある。
十九世紀なかばの証言といえば、民族研究家などによるものであり、伝承慣行に深く根ざした農民たちの世界を「遅れたもの」として近代的規範へと教育する対象として見るようなものであった。
ミレーの作品は、大変興味深い。たとえば有名な「晩餐」は、十九世紀なかばの宗教と協会をめぐる状況が想起されるものになっている。当時の協会を支える主力は経験な女性信者でることが作品から見て取れる。彼の作品はその次代の一側面をよく映し出している。
ミレーの作品に「洗濯女」という絵がある。いうまでもなく、今では洗濯は電気洗濯機で行われている。当時のフランスの農民社会においては、洗濯という行為は日常茶飯のことではなく象徴的な意味をもった重要な「出来事」つまり、儀礼的行為ともいうべき性格をもっていた。当時のフランスでは、年に一度か二度行われる「大洗濯」は、たんに汚れを落とすという実用的機能をもったばかりではなく、季節の移行をしるす象徴的な行事でもあった。ミレーが描いたのは、こうした洗濯女であっただろうか。
だから洗濯のさいの手順や、桶のような道具の扱いについても、さまざまな決まりやタブーが存在していたのである。水は当時大変貴重なものであり、同時に象徴的な意味においても重要性をもっていた。人は身体的誕生において産湯という形で水に接し、社会的誕生としての洗礼において、また水に接した。死にゆくときには、水で身体が清められた。
もちろん、実際面からすれば、洗濯は衣服の汚れを落とす作業である。しかし、汚れや清潔さについて人々が抱く感覚はきわめて歴史的な文化的なものなのである。
洗濯の頻度が少なかったことが汚れや衛生に関する無関心とか無神経を意味するのかというと、かならずしもそうではない。
第一に汚れは身体にとって必要なものと見なされていた。例えばシラミを完全に取り除かず、あえて二三匹残すことで強い子供を作るという考えが当時のフランスにはあった。
第二に、汚れや垢は、その人を代表してあらわすもの、分身というふうに考えられていた。
このように、近代的な規範とは別の次元で経験的な実践的要素と象徴的要素が不可分に結合する形で伝承的に営まれてきた生活世界が、少なくとも今世紀はじめまでのフランス農民社会にはひろく看取しうるのである。
洗濯や汚れに象徴性が込められるような諸慣行は、近代的な合理的発想からすれば、たしかに迷信であり、奇異なものと想定される。しかしそこには独自の論理一貫性が貫いていることもたしかなのである。
この独自の世界をはっきりと認識するには、個別の慣行を他から切り離して分析するのではなく、さまざまな相貌をもった人々の生から死までを世界の全体としてまとまりと諸関係のなかでとらえることが必要となるだろう。
我々はいま、こうした生活世界の場から近代のなりたちと、その果てとしての現代の高度資本主義社会・国家のなりたちとをおさえかえしてゆかなければならない地点にいると考えている。
(4) 解き方
論理の流れを抑えましょう。
(1)一般的には、近代的な規範を通して物事が見られる。(前提)
(2)ミレーの作品である「洗濯女」は歴史的、文化的な観点から注目すべき点がある。当時のフランスでは、汚れを身体にとって必要なものと見る風習があり、また身体の一部であると見なしていた。
(3)近代的な規範とは別の次元で、経験的な実践的要素と象徴的要素が不可分に結合する形で伝承的に営まれてきた生活世界がある。
(4)このような諸敢行には論理の一貫性がある。
(5)これらの独自の世界をはっきりと認識するには、慣行を他の事象と切り離してみるべきではない。
(6)断片的に物事を見ず、宗教、風習、慣行、文化などの生活世界の場から現代社会や国家の成り立ちを理解していかなければならない時代に我々はいる。
※説明のために便宜的にナンバリングしています。
これらをまとめれば、主旨を要約することができます。
それでは、解答例をご紹介します。
(5) 解答例
ミレーの作品である「洗濯女」は歴
史的、文化的な観点から注目すべき点
がある。当時のフランスでは、汚れを
身体にとって必要なものと見る風習が
あり、また身体の一部であると見なし
ていた。近代的な規範とは別の次元
で、経験的な実践的要素と象徴的要素
が不可分に結合する形で伝承的に営ま
れてきた生活世界があるのだ。このよ
うな諸敢行には論理の一貫性がある。
従って、これらの独自の世界をはっき
りと認識するには、慣行を他の事象と
切り離してみるべきではない。断片的
に物事を見ず、宗教、風習、慣行、文
化などの生活世界の場から現代社会や
国家の成り立ちを理解していかなけれ
ばならない時代に我々はいると考えて
いる。
【2】問題2
(1) 設問の要求
本文の視点をふまえて、われわれの日常生活の事例から、「近代のなりたち」を400字以内で論じなさい。
(2) 考え方
本文の視点をふまえて
という設問の要求に注意しましょう。
本文の視点をふまえる、、、とは、ここでは何を意味しているのでしょうか。
少し思い出してみてください。
-------------ここから-------------
断片的に物事を見ず、宗教、風習、慣行、文化などの生活世界の場から現代社会や国家の成り立ちを理解していかなければならない時代に我々はいる。
-------------ここまで-------------
という主張の前提になっている部分ですね。
以下の部分です。
(3)近代的な規範とは別の次元で、経験的な実践的要素と象徴的要素が不可分に結合する形で伝承的に営まれてきた生活世界がある。
(4)このような諸敢行には論理の一貫性がある。
(5)これらの独自の世界をはっきりと認識するには、慣行を他の事象と切り離してみるべきではない。
このような視点をふまえて、今私達が住む日常生活の事例から「近代のなりたち」を論じることを求められています。
ところで、今回の問題はどのように考えれば、思いつきやすいでしょうか。
何も思いつくことができませんという人がよくいます。
問題は、思いつくアプローチをきちんと教えられていないことにあります。
どんなに問題の解き方を教えてもらっても、問題について思いつくようにはなりません。
素直に自分の頭で考えることが大切です。
いつもお話することですが、小論文の基本は、感性と論理です。
センスを働かせて、論理的に何がいえるのかを紐解いていくことが大切です。
本当はビジネススクールのようなゴリゴリに論理を扱う機関を卒業しても、論理的にどれだけ考えることができるようになるかは、相当な個人差があると考えるくらいでちょうどいいでしょう。
論理的にものを考えるということなど簡単なことなのだと考えている人は、あまり実情を知らない人です。
何年もかかって論理思考を鍛えていく必要があります。しかし、この現実を認めたくない人がいます。
感性を働かせてセンスを活かすといえばさらに分からなくなる人がいます。
だから多くの人は手っ取り早い解決策にかけてしまいます。
そういう態度は受験をギャンブルにします。
大変危険だと指摘しておきましょう。
ところで、今回の問題に話を戻しますよ。
今回の問題については、
文化、政治、経済など、論じる範囲はある程度、広くても大丈夫でしょう。
諸慣行等にも目を向けることを著者は指摘していますので、、、
日本における文化的な諸慣行から、現代を形作っている、日本に特有の事例を考えれば、ひらめきやすいでしょう。
「近代のなりたち」という言葉ですがこの言葉は、イメージで捉える方が安全です。
直近の100年くらいの政治、経済、文化等をイメージしましょう。
その変遷が近代のなりたちです。
今回は過去問題の解説ですので、考え方はこの辺にしておきます。
最低限のヒントはお伝えしました。
それでは実際に考えてみましょう。
何かの原因を考えて解決策を考えるなどの考え方にはめることを教わっていた人は何も考えることができなくなるか、まったく求められていないことを考えてしまう危険があります。
また、論文ではなく、作文になっていることが珍しくありません。
この点にも気をつけましょう。
それでは、10秒でも、3分でもいいので考えてみてください。
考えてみたでしょうか。
それでは、解答例をご紹介します。
(3) 解答例
一般的な文化的規範を通してのみ物
事を見ず、広く宗教、風習、慣行、文
化等から生活世界を見た場合、我が国
の近代の成り立ちとはどのようなもの
だろうか。
私は「足るを知る」という精神を例
に挙げ、日本国民の消費欲求の少なさ
を検討したい。日本国民は、アメリカ
や中国の国民に比べ、派手に消費活動
をしない傾向が強いと言われる。国民
の資産は1500兆円とも言われており、
貯蓄が好きな国民性がある。このよう
に大変質素に暮らすことを美学とする
禅のような生き方がある一方で、茶道
の茶器に至っては、かつて城を買うこ
とができるほどの価値が一つの茶器に
あったと言われている。日本文化は見
栄や果てしない欲望の追求を理想とせ
ず、自分自身の価値意識に沿った消費
や生活をよしとする文化や風習がその
背景にある。高価な物への消費は個々
人の価値意識に基づいたものであり、
近代の日本経済を考察する上で、重要
な視点であると考える。