このページでは、メルマガで流した慶應大学の文系学部の小論文問題の解説を掲載しています。
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慶應大学文学部 2017年 推薦入試 小論文 過去問題解説(2016年度実施)
こんにちは。
牛山です。
本日は、慶應大学文学部 推薦入試2017年(2016年実施)の問題解説です。
【1】総合考査Ⅰ
テーマ
今回の問題では、文系学部廃止論についての課題文が出題されています。文系の学部は廃止してもいいのではないか?という議論は、極論なのですが、近年よくある議論でもあり、形を変えて出題されているので、受験生は注意が必要です。
近年、時代の変化に伴い大学教育の形が再度問われています。よく言われるのは、文系の学部は就職してから仕事に役立たないことを教わっているということです。
この点については、すぐに役立つことがそもそも大事なことなのかという論点や、ゆっくりした時間の中で、学問に取り組むことこそが大切などという論点が存在します。
そして、その他にも様々な論点があり、文系学部全般で出題されることがあります。
設問1
傍線部(1)に「文系が「役に立つ」のは、多くの場合、この後者の意味においてです」とありますが、それはなぜですか。著者の主張に基いて説明しなさい。
解説
この問題は、筆者が、文系が「役に立つ」理由を述べている箇所を引っ張る問題です。著者は課題文の中で、2つの論拠を取り上げています。単純な抜き書きでは対応できないので、文章をまとめ直す必要があります。
それでは、解答例を紹介します。
設問1 解答例
なぜ文系の知は価値創造型と言えるのか。理由は大きく二点ある。第一の理由は、文系の知の長期視野である。文系の学問は長い場合に、1000年単位で対象を分析する。そのため、価値や目的自体を創造していく価値創造型にあてはまるものであると言える。第二の理由は、文系の知は価値の軸を多元的に捉える視座を有していることである。文系の知は、現存の価値軸である多くの人が自明だと思っているものを疑い、反省し、批判を行い、別の価値軸を見つけるものである。
設問2
傍線部(2)に『文系=教養」という誤解』とありますが、「文系」と「教養」はどのように異なるか、著者の主張に基いて説明しなさい。
解説
課題文を見ると、
「文系=教養」
「文系=文化≒文化的知識」
という二項対立の論点が存在します。その上で、著者は、「文系とは、人文社会系のことである。」と述べています。
従って、「文系=文化≒文化的知識」という説明の下りを抜き出すように文章を設計します。
問題では、「著者の主張に基いて説明しなさい。」とありますので、著者の言葉を用いて説明を試みます。
設問2 解答例
文系とは、人文社会系のことである。一方で、教養とは、文化のことである。かつてドイツは、文化=教養の概念を掲げ、そうした文化=教養の府として、大学を立て直す必要があった。このような行為は、ドイツの知的達成の伝統と言える。このドイツの大学概念と制度が、二十世紀を通じて米国に中心を移動させながら世界に広がった。「文化=教養」を通じた国民国家の一致という考え方が我が国の東大の初代総長も大切にした大学の理念であった。このような発想は教養擁護の緒論に引き継がれている。従って、文化資本としての国民的知識が教養の内実である。
【2】総合考査Ⅱ
(1) 問題
あなたがこれまで読書で経験した「小説の外側にある世界につながる瞬間」を具体的に述べなさい。
解説
今回の問題では、課題文が出ており、「小説の外側にある世界につながる瞬間」について説明があります。
端的に言えば、小説の卒側にある世界につながる瞬間とは、目的志向型の読書をしない場合に、読書内容をより深く把握できることを指します。
例えば、目的に合致した読書をした場合、経済功利性だけを追求し、自分にとって得になる部分だけを読み、他は読み飛ばすということを読者はするかもしれません。しかし、このようなことをやると、小説の場合、あらすじだけ理解してしまい、本質的な理解や「本質的な部分を把握することによる作品の味わい」が無くなってしまうことがあります。このような状況を避けることの大切さを著者は説いています。そこで出てくるのが、「小説の外側にある世界につながる瞬間」という言葉です。この言葉は、「目的志向型の読書をしない場合に、読書内容をより深く把握できること」を指していますので、簡単に言えば、じっくりと読書に取り組んだ場合にどのようなことが自分に起こったのか、何が理解できたのかについて、今回の問題では述べていけばよいということになります。
今までの読書経験を思い出してみましょう。
また、しっかりと読書をしていなかった人は、今回の問題に苦しんだかもしれません。
それでは、解答例を見てみましょう。
解答例
私がヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ時、私はストーリーを追うのを忘れたことがある。この著作は、学歴が重視される社会的な重圧の中で、落伍者になるまいと若者が懸命に人生と格闘し、まるで車輪の下で押しつぶされるようにその人生が苦難に満ちたものになってく様が克明に描かれている。社会の歯車の中で、どのように若者が落伍者となっていくのかについて、類まれなる心理描写の技法により、ヘッセは見事に社会の実相と原理原則を描き、その後ノーベル文学賞を受賞した。あらすじだけを読んでもこの作品は理解できない。仮にあらすじだけを読んだ場合、この本から得られる知見は、能力不足の若者が落語したストーリーという実態とはかけ離れたものになってしまうだろう。『現実には「機会の不平等」や「弱肉強食の自己責任の論理」によってこの社会が成立しているという欺瞞』を、見事に本作品は描き出している。