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慶應大学文学部 2015年 推薦入試 小論文 過去問題解説(2014年度実施)
こんにちは。
牛山です。
本日は、慶應大学文学部 推薦入試2015年(2014年実施)の問題解説です。
【1】総合考査Ⅰ
(1) 設問1 解説
総合考査Ⅰでは、感情について考察する文章が出題されています。
私たちは、怖い映画などを見たときに、不快に感じるどころか、その怖さを楽しんだりしていますね。
なぜ一種の快感を感じてしまうのでしょうか。
この不思議な点について考察された文章が出題されています。
設問1の問いは以下のようなものです。
-------------ここから-------------
傍線部(1)「芸術作品が引き起こす感情の不思議な点」とはどのようなものであり、何に由来すると述べられているか、説明しなさい。
-------------ここまで-------------
この手の説明問題は、課題文の該当箇所を探して解くのが王道です。
さて、課題文を見てみますと、傍線部の直前部分と傍線部の後、20行くらいの部分に該当箇所があります。
多くのケースで、前後20行もチェックすれば該当部分があるものですが、たまにいろいろなところに解答の要素が散在していたり、大変離れた部分に該当箇所があることがありますので、注意が必要です。
それでは、解答例を見てみましょう。
設問1 解答例
芸術作品が引き起こす感情の不思議な点とは、本来であれば、体験したくないはずの感情が、芸術作品を通じて沸き起こった際に、快楽として受け止められるという逆説的な点である。
不可思議な快楽が起こる原因(由来)は大きく二つある。一つは、人間の模倣、学習の本能である。人は学ぶこと自体に快楽を感じる。芸術作品は、その作品様態が何であれ、事柄の真相の表現活動の産物である。ゆえに芸術作品の享受における快楽は本質的に知的な快楽となる。感情そのものが事柄の真相の表現であるからこそ、学びはより価値を増し、比例して快楽も大きくなると考えられる。第二の原因は、模倣の産物である芸術作品を眺めることにより生まれる快楽である。
(3) 設問2 解説
設問2は、少しやりにくく感じた人も多かったのではないでしょうか。
課題文の内容は、若干難解に感じる部分があったかもしれません。
そのため、どのように答えればいいのかが分からなくなったという人もいるかもしれません。
そんな時は、細部に注目するのではなく、課題文の大筋を追うようにしてみましょう。
大局的には、芸術作品が学びとなることそのものに人は快楽を感じるという趣旨になっています。
例えば、映画を見てそこから何かを学び取る私たちはその時の感情を真理の一つとしてみなします。
このように、大筋を捉えた上で設問の要求部分を見てみましょう。
-------------ここから-------------
傍線部(2)「芸術作品が引き起こす感情は、普段の生活の中で私たちの心に姿を現す感情と連続したもの」とはどういうことですか。あなたの意見を含めて論じなさい。
-------------ここまで-------------
この問題を理解する上で重要な部分は、この傍線部の直前の部分の記述です。
-------------ここから-------------
感情は、芸術作品によって与えられるものであるとしても、あるいは、平凡な色あせた日常生活においても誰もが出会うものであるとしても、感情であるという点において違いはありません。
-------------ここまで-------------
平凡・・・日常
非平凡・・・芸術作品(小説や映画)
ということですね。
そして、
芸術作品が引き起こす感情は、普段の生活の中で私たちの心に姿を現す感情と連続したものであるからこそ、私たちは映画を見て感動することができるのです。
と文章は続きます。
これは言い換えれば共感のメカニズムです。
怒りを感じるシーンで、私たちは自分を自己投影することで怒りを感じます。
悲しいシーンで涙するのも、私たちが物語の主人公に共感しているからです。
命を投げ捨てて誰かを助けるシーンに私たちが感動するのは、その主人公に私たちが共感しており、その命がなくなってしまうことに寂しさを感じるためです。
このような仕組みをここではうまく説明してみましょう。
それでは、解答例を紹介しますよ。
設問2 解答例
『感情と連続したもの』とは、我々の過ごす日常で感じる感情と芸術作品を通じて感得する感情が似た感情であるであることを示している。何らかの芸術作品を通して私たちは自分自身を作品の中に自己投影し、作品の中の感情と自分の感情を照らし合わせて共感する。課題文では、「連続したもの」であるがゆえに、私たちは感動することができると説かれている。この言は、人は共感した際に感動するということを意味する。
感動は常に起こるわけではない。共感しない作品に人は感動できない。自分の心が感動した経験を通じて、一般的に感受性は豊かになる。従って、『感情と連続したもの』とは、感情の同一性であると私は考える。
【2】総合考査Ⅱ
(1) 設問
総合考査Ⅱの問題は以下のようなものです。
-------------ここから-------------
次の文章を読んで、「想像力」と文学部で学ぶ意義とのかかわりについて、あなたの考えを述べなさい。
-------------ここまで-------------
課題文の内容は、近代社会を批判するものになっています。
どのような部分を批判しているかと言いますと、見えるものの豊かさを大事にしすぎていると、批判がありますね。
これは一種の「豊かさ論」です。
その上で、想像力こそが人間らしさの象徴であり、それを思いきり生かして暮らす社会を作ることが人間らしい生き方であると著者は説きます。
想像力の重要性を説いている文章ですね。
文学部はある意味で、大変研究対象が広い学部です。人間の心理なども含めたあらゆる対象が研究対象となります。
想像力が人間らしい生き方のキーなのであれば、この想像力の結果生み出された作品を学ぶこともまた、人間らしい生き方の源泉になるはずです。
この辺りの事情を、作文して、立論していくといいでしょう。
それでは、解答例をご紹介します。
解答例
想像力と、文学部で学ぶ意義との関わりとはどのようなものだろうか。私は、表現活動の重要性に、文学部で学ぶ大きな社会的意義があると考える。
近代的資本主義社会における一般的な価値は、経済的価値が趨勢であったと言える。しかしながら、よく指摘されるように経済的に豊かになったはずの我々の暮らしは色鮮やかにはならず、模倣品の経済的産物ばかりが日常生活のあらゆるシーンに登場する。広告、商品、サービスはどれも均一化しがちである。創造性は、例えばディズニー等のテーマパーク産業や、経済活動以外の生活における感情的彩りを鮮やかにするものである。
文学部で学ぶ意義は、このように経済的側面、非経済的側面における多元的な価値を豊かに流通・伝播させる力を育むことにあると考えられる。実用性だけが価値ではない。多元的な価値をイメージするには、創造性が不可欠である。文学部での学びはこの創造性と直接的に向き合う稀有なものである。