96-1 浪人3年目の子
「今年で浪人3年目です。」と話してくれた子がいます。今年当塾に入塾してきたある子は、以前、他の小論文の塾でお世話になっていました。この子は、その塾で、毎日慶應大学の過去問題(小論文)を解いていたそうです。
一見すると、徹底した練習で効果的な印象を持つ人もいるのかもしれません。
しかし、現実には、毎日違うアルバイトの先生が、いろいろな視点から違うことを言うので、何がいい小論文なのかが分からず、混乱していたようです。
小論文の過去問題をやればやるほど、何が正しいのかがわからなくなってしまう・・・そういう悲劇があったようです。
以前彼が在籍していた塾では、特定の「構文」にはめて5段落程度で書く書き方を彼は練習させられていました。毎日やっていた練習はこの構文にはめるための練習です。ただ、構文にはめるだけの練習を過去問題を使い、ずっと彼はやらされていました。
その構文にどれだけの意味があるのか、どれだけの効果があるのかもわからず、ただひたすら、彼はその構文にはめる作業を毎日繰り返していたということです。どの問題を見ても、そのワンパターン解法の構文に彼ははめる練習をしていました。そうすることが正解だと教わっていたからです。
また、このようなやり方は英語も例外ではないらしく、毎日英語の過去問題を繰り返し解いていたようです。この子が私の塾に入ってきた時、今の英語の実力を判定するために、過去問題を2年分ほど解いてみるように指示したところ、「英語の過去問題は、毎日やっていたので、何度も同じ問題をやりまくって、ほとんどすべて解答を覚えてしまっています。」と彼は言います。その時に私は初めて、彼が英語の過去問題を毎日やっていたことを知ります。
なんという悲劇でしょうか。
そんなに意味のない作業を繰り返していれば、無駄の極みなので、やってもやってもまったく成績は上がらないでしょう。
事実、彼は慶應の本試験で、英語が50%程度しか取れなかったそうです。慶應の過去問題の英単語が分かる、覚えられるとか、パターンにはめると何パターンだとか、そういう指導を受けていたのに、何の効果もなかったということです。
こんな悲劇はありません。一日に10時間以上勉強していたようで、年間3650時間も勉強して、慶應の本試験で半分程度しか点数が取れない状態にしかなっていなかったということです。彼の話では確固として英語の上達理論がそもそも存在しなかったようで、その代わりに、「過去問題をやりまくれば受かる」という練習根性指導が行われていたようです。
指導者が、どうすればいいのかをきちんと分析できない場合、このように、生徒はただやみくもに、「がんばる」しかなくなってしまいます。難関試験は、練習すれば受かる、頑張れば受かるというものではありません。それで受かるのは、一部の才能に恵まれた人や、他の科目ができる人です。
指導を間違えると、不幸になります。何を信じるかが重要です。
この話を聞いた時に、本当にかわいそうだなと思いました。
96-2 本試験で「構文」がはまらない
この子が困ったのは慶應大学の本試験です。本試験で教わった構文をはめようとすると、設問の要求からはめることができませんでした。
たまたま問題に恵まれた総合政策学部の小論文は、そこそこの点数が取れたものの、環境情報学部の小論文は、半分も取れなかったそうです。
このように、ワンパターン解法の構文は、問題に恵まれれば、その内容で、一応つじつまがあっているかもしれないような錯覚を与える文章を書くことができますが、(きちんと読めば、論点がずれた答案)問題に恵まれない場合、目も当てられない結果になります。
一年間勉強を頑張り、肝心な本試験で、のるかそるかのギャンブルをするはめになってしまいます。
そもそも、なぜ、そのような構文が流行るのかといえば、小論文の塾やサービスを売るためです。「この構文で受かる」と言ってしまえば、瞬間的に差別化ができるため、その構文に何の効果がなくても、塾の経営者は、「この構文で受かる」などと主張してしまうというわけです。モラルが無い経営者や、論文のことが分かっていない指導者は、「この構文で小論文は受かる」などと言ってしまいがちです。
96-3 AO入試対策のアドバイスをする
毎日ワンパターン構文にはめる練習をしていた子と話をしていると、AO入試にチャンスがありそうでした。
彼にAO入試を受験することを勧めたところ、「もう2回受験したので、ダメだと思います。」との回答。
関係がないので、とにかく「以前に提出した書面を見せてください」と伝え、送られてきた書面を見て、私は愕然としました。
小論文のワンパターン構文そのままに、まるで壊れたロボットのように、「志望理由書」の構成が、「小論文のワンパターン構文」と全く同じ構成になっていました。
(こんなので受かる方が奇跡だ・・・)つまり、以前在籍していた塾では、特定のワンパターン構文が金科玉条とされており(その構成がいいなどという根拠はどこにもないにも関わらず)、その内容で、志望理由書まで書かされていたということです。
地獄だ・・・と私は感じました。
志望理由書には、趣旨にそった構成があります。小論文にも趣旨にあった構成があります。それらの趣旨を考えず、大学の教員に問われていることも考えず、ただその構文にはめればよいと指導を受けていたということです。
このような事実は、その「ワンパターン解法の構文」に微塵の根拠もない何よりの証拠です。それもそのはずです。「ワンパターン解法の構文」というのは、多くのケースで、(こんな風に書くと、頭がいいっぽく見えるような気がするし、それっぽい雰囲気を醸し出すことができている感じ)という程度の、なんら一切点数が上がるような要素が考慮されていない、論文を書く規範からも外れた内容だからです。
そこで私が見た「指導を受けたはずの志望理由書」の内容は、論旨が不明瞭な内容でした。研究をやりたいと書いているものの、書かれている内容は、「流行り言葉」をちりばめた漠然としたものでした。言い換えれば、研究の体をなしていないということです。IT,Iot、人工知能、機械学習などの流行りの言葉を入れれば受かるほど、大学教員は馬鹿ではありません。研究構想そのものが、研究の体をなしていないのは、指導に関わった人物が研究そのものを根本的に理解していないか、あるいは、研究スキルが非常に低いことを表しています。(どちらなのかは不明です。)小論文も同様です。明らかに序論、本論、結論という、重要な論文執筆の規範から大きく外れる構文は、論文の体をなしていません。このように、箸にも棒にもかからない全く見当はずれな指導内容が、大学受験生からすれば、時に魅力的に見えてしまうことがあるのでしょう。
なぜならば、彼らはまだ論文の書き方を知らず、経験が浅いからです。
単にそれっぽい雰囲気を醸し出すことができればいいという考えは、まだ上達過程の人がすぐに考えがちなことです。ただ、この危険な考えの恐ろしいところは、意外にも、聡明で「できる」若者、能力が高い若者も感染していることが少なくないことです。若い子や文章が未熟な子は、表面的に文章の雰囲気をいかめしくし、ただ難しいっぽい雰囲気を出そうとしてみたり、さも考察ができているかのような雰囲気を醸し出すという皮相的な対策をよしと考えていることが少なくありません。
そのため、頭がよく、能力が高い子でも、この罠にはまってしまうのでしょう。事実、今回ここでご紹介している「3浪目です。」と述べた子も、宿題を出すと、かなり高いレベルで、的確に期限を守り、文章を作成してきています。さらに、英語の能力も、慶應の本試験では点数が取れないものの、高いスコアを出すなど、能力も非常に高いと言えます。
しかし、非常に残念だったのは、「特定のワンパターン解法の構文」にはめるだけの教育を徹底的に受けることで、考える力が根本的に奪われかけていることでした。
言い換えれば、文章を作るということは、「特定のワンパターン解法の構文にはめることである」という考えが、脳の中枢にまで浸透してしまっているということです。何らかの作文の宿題を出したところ、何らかの新しい構文にはめることで対処しようと、彼は考察した
のでしょう。やはり、新しい構文に文章をはめて、私に宿題を提出してきたのです。
私は、この文章を見た時に、(こんなに能力が高い若者が、壊れたロボットのようになりかけている・・・)と、恐ろしさと悲しさの入り混じった複雑な感情を持ちました。そして、少しだけ涙が出そうになりました。
若い子は、感受性も豊かであり、吸収力が高ければ、何を教えても、ぐんぐん成長していきます。おじさんを教えているのとはわけが違います。だからこそ、若者を教育する重要性は、他の教育に比較して、国の未来や社会の発展のために、比較にならないのです。
未来ある若者の思考回路が破壊されていくこと、能力の高い若者の感性が失われていくこと、情熱のある若者の思考力が奪われていくこと・・・こんなに悲しいことがあるでしょうか。
96-4 そもそも過去問題の練習で受かるのは検定試験と資格試験
過去問題をやりまくっていれば受かるという指導は、何の根拠があるのでしょうか。何の根拠もありません。ただの先入観です。一般的に過去問題をやって点数が上がるのは、過去に出題された問題をもう一度出題する必要がある検定試験や資格試験です。運転免許のテストなどは、毎年一定の難易度にするために、過去に出題した問題を一定の比率で織り交ぜる必要があります。そのため、過去問題をやっておくと、無難に点数が取れるようになります。ところが、大学入試の競争試験では、そのようなことをやる必要はまったくありません。ヨーイドンで、競争させて、点数が上の人から順番に合格させていけばいいだけだからです。
例外は数学です。数学は、出題傾向が偏ることが多いので、過去問題をやっておくことで、問題の解法をマスターすることができます。しかし、英語も歴史もそのようなことはまったくありません。従って、毎日過去問題をやるなどというのは、何の成果にもつながらない愚の骨頂と言える「空回り対策」です。だからこそ、一日10時間以上も勉強を頑張る子が、わずか50%程度しか点数を取ることができず、浪人3年目になってしまうというわけです。
小論文も事情は同じです。過去問題を繰り返しやるなど愚の骨頂です。
ちなみに、私は慶應大学は一発でダブル合格し、どこの学部にも不合格になっていませんが、過去問題は2年分(2回分)程度しかやっています。その2年分(2回分)も、どれだけまともにやったかはかなり怪しいと言えます。つまり、過去問題については、1回程度しかやっていない可能性があります。
96-5 何が正しい小論文なのか
何が正しい小論文なのかについては、次の章で詳しく述べます。
ここではヒントだけを書いておきます。
1:規範にそっている。
→いい加減に考えられた小論文の構文は、学術の規範から大きく外れています。
2:実際に講師が点数を取ることができている。
→理論だけで教えている人が点数を取れないものは正しいとは言えません。
3:再現性がある
→単に難しい雰囲気をかもしだているものや、それっぽいものは点数を取れません。
4:考え方が適切
→MBAを保有していないなど、考える正規の教育を受けていない人が教える論理思考はハチャメチャです。
96-6 厳密には正しいかどうかではない
論文の書き方には、暗黙の不文律や決まりがあります。ここから外れると、評価されないばかりか、馬鹿にされてしまいます。
しかし、だからといって、厳密には「正しい論文の書き方」と表現できるものがあるわけではないでしょう。
学者の先生がいちいち何も言わなくても、評価される論文には一定の法則性があります。受験生は、正しい小論文が気になるかもしれません。次の章では、その「正しい」の概念を深堀して、あなたが、低い点数を取らないように解説します。