93-1 大体のケースでやれていない
論文に関して、自分はまぁまぁやれていると考えている人がいます。本当は、ほとんどのケースで、やれていません。
〇〇大学の〇〇学部を受験するのだ・・・と思った瞬間に人は慢心で心がいっぱいになるようです。
慢心で心がいっぱいになると、気持ちが大きくなり、自分には万能の知性があると考えるようになりがちです。
気持ちが大きくなると、(小論文指導は必要ない)と考えるようになります。
なぜならば、頭がいい自分は、既に高い点数の小論文を書くことができているのだから・・・このように考えるケースもあれば、頭がいい自分はプライドが高いので、人に聞きたくない・・・・このように考えるケースもあるようです。
どのようなケースも共通点があります。
気持ちが大きくなるだけで、実力が伴っておらず、良い点数が取れないことです。
93-2 ポテンシャルで勝っているような気持になる
プライドが高い人ほどヒエラルキーで物事を見る傾向があります。
ヒエラルキーで物事を見ると、ポテンシャルには、序列しかありません。
つまり、偏差値が1でも高い方が、頭がそれだけいいという理屈で、序列化して物事を見るようになります。
ところが、偏差値とは、下手をすると為政者が愚民政策を実行するために活用しているものです。元総理大臣が、愚民政策を実施するために、偏差値教育を取り入れたと発言したことがあるようですが、このような事実を、多くの人は知りません。
かくして、「僕は彼よりも頭がいい、なぜならば、僕の目指している大学の学部は彼のそれよりも偏差値が4大きいからだ。」という具合に物事を考える人が急増します。
この方式で考えると、東大医学部を受験すると考えた瞬間に日本で一番頭がいいことになる・・・という話になるでしょう。なぜならば、東大医学部が偏差値の頂点に位置するからです。
私牛山は、大学院で東大医学部卒よりも、論文の成績が良く、チーム対抗戦のワークでも最優秀チームに選ばれて、成績で勝っているわけですが、このような事例については、(よく分からない事例)ということになり、とりあえず耳をふさぐか無視しておいて、頭から消すことで、常に偏差値が少しでも高い方、あるいは世間体が少しでもいいような気がする方が頭が良いというルールを自分の中に作ることで、人を下に見たり上に見て卑屈になったりするのが、ヒエラルキーに弱い人の特徴です。
93-3 別のヒエラルキーにも目をつぶるようになる
ヒエラルキーには多くの種類があります。例えば、世界大学ランキングで言えば、東大、京大、東工大が日本でトップの3大学だったりしますが、こういうランキングもとりあえず無視します。法律のヒエラルキーに関しては弁護士になるための司法試験が上位に位置しますが、大学の学部がどこかという情報を上位に位置付ける人もたくさんいます。学部しか出ていない人は特にこの傾向が顕著です。東大は灘高校の劣化版だと述べる人もいます。これは、東大生の平均値は灘高校の学生の平均値よりも学力が下という考えに基づいています。学位の種類は、学士、修士、博士と3つのヒエラルキーがありますが、ここもとりあえず無視して頭から消すことで、自分を他者よりも上に位置づけようとする人がいます。
プライドが高い場合、このように自分にとって不都合なヒエラルキーには、すべて目をつぶり、見ないか頭から消すことによって、自尊心を保ち、他者を見下すことで、気持ちを大きくする人が一定の割合でいます。このような考え方は、言ってみれば個人の勝手なので、このような考えが愚かだと私は言っているわけではありません。一つの考え方です。従って認められるべきでしょう。問題は、どのような見方が認められてもいいわけですが、とりわけこのようにヒエラルキーを好む人は、次のような問題を抱えてしまうことです。
93-4 質問・反省・学習ができず成長できない
自分がすごいというアイデンティティーを持っている人は、人に質問ができません。質問などする必要が無いと考えているからです。また、自分がすごいと思えば思うほど、学習もできなくなります。学習しなくても自分はできているし、頭がいいのだから誰も自分には何も教えることができないと考えるからです。そして、自分がすごいと考えると、このように学習全般ができなくなります。
言い換えれば、自分がすごいと思えば思うほど、人は全く成長できなくなってしまいます。
93-5 頭が良くても点数は低いことはよくある
ここで、(自分はすごい)と考える人が失敗しやすいのは、(頭がいい人は点数が高い)という固定観念を有していることです。小論文試験では、頭がいい人の点数が高いケースもありますが、頭がいい人の点数が高いわけではありません。
かつてお笑い芸人であった島田氏が述べたように、結果は才能×努力で決まっています。
言い方を変えると、結果は才能×適切な技術で決まっています。
才能がいくらあっても適切な技術が無い人は、いつまでも低い点数となります。運動神経さえよければ、努力せずともスポーツで一流になれるわけではないのと道理は全く同じです。どんなに運動神経がよく、才能に恵まれていても、適切な努力ができない人、慢心で自分はすごいんだと考え、努力を怠る人は、残念ながら努力の人に勝てないことが少なくありません。
93-6 小論文は才能だけではなく、かといって構文でもない
小論文は才能ではなくて・・・では何なのかと言えば、構文が重要だと教えてしまう指導がたくさんあります。
しかし、このような指導は、多くの大学教員がダメだと断言しているように、点数が安定して取れません。
正確には、小論文は才能×適切な努力で決まります。あなたの小論文の点数は、スポーツと同じように、才能×適切な努力の成果でしかありません。
ここで問題があります。(自分はすごい)と考えている人が、必ずしも小論文の才能を有しているとは限らないということです。もちろん、中には小論文の才能を有している人もいます。しかし、それは稀です。
93-7 模試を受けてみよう(法学部受験生の平均点は49点)
模試を受けてみましょう。あなたの点数の目安が分かります。
ある年の慶應大学が発表した慶應法学部受験生の小論文の点数は49点です。
つまり、30点程度しか取れていない人から、70点程度の点数まで開きがあるものの、多くの受験生は50点前後であることが予想されます。
93-8 聡明な人は事実に謙虚
模試のデータが信用できない場合は3回模試を受けてみましょう。その点数の平均値がおよそのあなたの現在の実力です。
聡明な人は事実に謙虚です。
模試の結果(事実)を、重く受け止めましょう。
93-9 不合格になっても学べない
私の経験から言えば、プライドが高い人は不合格になったくらいでは反省しません。自分はスゴイと思っているので、不合格はたまたまの何かの間違いだと考えていることが少なくありません。
93-10 本論で論点がずれる失敗が多い(深刻な問題)
プライドが高い受験生や(自分はすごい)と思っている受験生は、本論で大きく論点がずれてしまった答案を書くことが少なくありません。
例えば、特定の構文を使用している場合も同様です。
原因を書いたので点数が高いだろう・・・などと思っていると、原因を書くことなど全く問題で求められていなかった・・・などということが法学部ではほとんどです。
この場合、原因を書き、出題者の要求を無視し、余事記載を行うことそのものが、(頭が悪い)などと思われて、評価が下がる要因になっています。
受験生は一般的に、課題文に書かれていることを書いたので正解とか、原因を書いたので、人より余分に何かすごいことができているとか、分析をしたのですごいとか、(本当は分析をしたのではなく、自分が原因だとその時にふと頭に浮かんで思ったことを書いただけ)対策案まで書いたので、人より一段優れたことができている(本当は、対策案を書いても、書くことを求められていない場合、単に求められていないことをやったという意味で、論点がずれ、余事記載を書くことで評価が下がっている。)などと勘違いをしがちです。
これらは全部論点のずれです。
この問題は深刻です。なぜならば、大幅に点数が下がるからです。
少しまとめましょう。
法学部の受験生が、小論文で失敗して、大きく点数を下げている典型例です。
【法学部受験生が受験に失敗している典型例】
・本論で自分の主張をやたらめったら展開しまくり論点がずれる。
・原因を書いて論点がずれる。
・分析したと考えて、論点がずれる。
・構文にはめて論点がずれる。
・対策案を書いて論点がずれる。(出題意図を読み取ることができていない。)
93-11 受かりたければワンパターン解法は今すぐにやめるべき
どんな問題が出ても、何を聞かれても、特定の構文にはめて書くやり方があります。
自分の思考プロセスをテンプレート化する構文は危険です。
一方で、考えた内容を特定の論文の型にはめることは問題がありません。
問題は、多くの大学教員が述べているように、特定の思考プロセスをパブロフの犬のようにたどってみたり、言い回しのフレーズを固定して思考も論述内容もその型にはめることです。
93-12 何かやっているのでまぁまぁやれていると勘違いしてしまう
多くの受験生は、何かの対策をした瞬間に、(何かの対策をしているのだから、まぁまぁやれているはず・・・)と勘違いしてしまいます。
自分が小論文の対策を何かしたので、まぁまぁやれているなどということにはなりません。
ここでご紹介したように、逆立ちしても点数が上がらない小論文指導はたくさんあります。
ところが頭がいい子ほど、それなりに文章も書くことができるので、そのことをもって、(まぁまぁやれている)と勘違いをしてしまうことが少なくありません。
何が妥当で、何が妥当ではないのかをしっかり考えていきましょう。
また、不合格になった時は、その事実を謙虚に受け止め、同じ失敗をしないようにしましょう。