小論文の対策 無料ウェブブック(「小論文にセンスが不要と考える危険性」と「センスを磨く7つの対策」

 

 

牛山 恭範 (著)

 

 

T はじめに

 

 

(1) 落ちてからでは遅い

 (しまった!センスを磨いておけばよかった!)不合格になった後に、このように考えても遅い。従ってなるべく早い段階でこの文章を読んでおくことをお勧めする。なぜならば、実質的に小論文試験で、あなたのセンスが必要になる可能性はほぼ100%と言っていいためである。これからその理由を解説する。

 本来であれば、小論文の指導をカッチリ行っていくには、ロジックツリーや論理思考の話をするべきである。この点については、私の書籍ですでに十分すぎるほど行っている。このウェブブックでは、受験業界のタブーかもしれない感性についてご紹介していく。小論文の分野でまともに「感性」の話をする人は今までにほとんどいなかった。しかし、あなたが小論文試験で高いレベルに到達するためには不可欠な話だ。

 

(2)ミリオンセラーの作家が言った言葉「誰を師とするかは、センスの問題です。」
 ミリオンセラーである本田健氏は述べた。「誰を師とするかは、センスの問題です。」数百万部の販売部数を誇る彼の文章は言うまでもなく素晴らしい。人の文章には、階層化したものの見方で、常に評価できない複雑性がある。その複雑性や、おもしろさ、奥ゆかしさ、美しさ等を感じることができないのは、大変さみしいことである。センスがあれば、良い師を選ぶことができ、センスが無ければ良い師を選ぶことは難しいと彼は述べている。

 

(3)「桜餅 食べる」と言ってしまった芸能人I 
 それでは、センスとは何か。センスとは何かを説明する前に、某テレビ番組に出演したI氏の失敗を話そう。彼女は俳句の作品を作ったが大変点数が低かった。「桜餅 食べる」などのフレーズをそのまま俳句に込めてしまったのである。

  満開の 花見て食べる さくらもち

 彼女の点数は最下位であった。このような失敗は、センスにも大きく起因していると考えられる。(エンターテイメント番組なのでご愛嬌ということも考えられるが俳句にセンスが関係ないとまで言う人はいないだろう。)

 

(4)なぜセンスについての理解が大切なのか
 問題はこのような俳句だけにはとどまらない。当然あなたが書く小論文も、センスの影響を大きく受ける。センスについての理解が大切な理由は、あなたが受ける試験の合否を決定づける大きな要因になり得るためだ。とりわけセンスは、本田氏も述べているように、物事の入り口に大きく影響している。誰に学ぶか、誰に教えてもらうかすら、センスに大きく影響されうるということである。

 

(5)受験産業は「センス不要」が売り文句
 しかしながら、受験産業は、原則としてセンス不要が売り文句になりがちである。
問題は、この小論文試験というものは、「春のファッション・センス不要のコーディネート術」などの雑誌の売り文句とは、同じように考えられないということである。小論文とファッションの最大の違いは、競争試験であるかどうかの違いである。ファッションに正解は無いと言うのはその通りだが、(だからどうした)という程度の問題でしかない。しかし小論文は違う。あなたが何年もかけて努力してきたものが一発勝負で試されるのだ。そして相対評価で上から順番に合格していく。

 したがって問題は「小論文にセンスが関係あるかないか」ではない。「どうすればセンスを高めることができるのか」である。相対評価の試験で上から順番に合格するのであれば、センスはあるにこしたことはない。

 事実、センスがある受験生、センスを磨いた受験生は高い点数で安定した合格率を見せる。換言すれば、その「現象が見えている人」もいれば、「見えていない人」もいるという問題である。

 

(6)極論に走りやすい受験産業の性質
 受験業界の言説は極論に走りやすい。生徒獲得の目的から、いくつかの塾の経営者は大げさなトークをするか、単に他社の発言にかぶせるように否定して優位性を誇示しようとしがちである。情報の受け手では、真に妥当な方向性案を指導しているのか、単なる「かぶせ発言」や「逆ステマ」「ネガキャン」なのかが分かりにくいこともある。ネガキャン用IDを複数作れば、他人になりすますことも簡単だ。(犯罪なのだが。)こうして情報過多の時代では、多くの人が情報弱者になっていく。大変残念なことである。今後の警察と司法の活躍に期待したい。

 

(7)「センスがある」と言う人になぜ愛があるのか?
 「センスが存在する」と言うのは、ある意味で愛がある言葉だ。愛情の反対は、「無関心」である。「センスは存在する」と述べれば、生徒は良い顔をしないものである。

 生徒の顔色をうかがい、喜ぶことだけを言い、試験を簡単そうに見せることはできる。しかし、私はやらない。最後に泣くのは、その受験生だからだ。愛情とは、おべっかや、甘言ではない。常に厳しさと同居するものである。

 本を800冊位上書いているようなベストセラー作家である中谷氏は、文章論について、「かなり素質の要素がからんでくる」と言及している。論文試験に合格することを諦める必要は全くない。しかし、この前提に立って、対策を進めることが大切だ。

 

(8)「ラッキー合格狙いの対策」をしないために
 センスなど無くても受かることはある。しかし、それは単なるラッキー合格のパターンもある。あるいは、きっちり小論文の授業を受け、練習を重ねた場合である。過去にセンスが無いけど、うまくいった人がいるという話もあてにならない。それは単に過去の話である。合格した人は皆センスがいいとは、私は言っていない。センスの良さはかなりの程度合否に影響するので、センスの有る無しにかかわらずそれなりの対策が必要だということだ。一番多いパターンは、他の科目の点数が良いので、小論文もいけるだろうという目算である。この目算は多くのケースで外れる。

 問題は、「あなたができる最高の準備とは何か」である。ここを間違ってはならない。これから「あなたができる最高の準備」について、合格するための話をしよう。

 











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