小論文の対策 無料ウェブブック(「小論文にセンスが不要と考える危険性」と「センスを磨く7つの対策」

 

U センスの実態

(1)センスとはそもそも何か

国語辞典によれば、センスとは、以下のようなものである。
----------ここから----------

【センス】
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的な―がある」「―のよくない服装」「バッティング―」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としての―を問われる」

---------ここまで-----------

 ここで大事なポイントは、センスとは「天性の才能」のことだけを指してはいないということである。センスは、「感覚」「判断」を伴う。

 私はまさしくこの「判断」を大学院で研究していた。どうすればその判断が高まるのか等を研究した結果、小論文指導を行っている。

 

(2)マルチプルインテリジェンス
 マルチプルインテリジェンスとは、1983年に、合衆国ハーバード大学の教授であるハワード・ガードナーが提唱したものである。ガードナー博士は人間の潜在的な能力を測るものとして以下の8つの知能をあげている。

1)言語的知能            Linguistic intelligence (word smart)
2)数学的・論理的知能    Logical-mathematical intelligence
(number/reasoning smart)
3)空間的・視覚的知能    Spatial intelligence (picture smart)
4)身体的・運動的知能    Bodily-Kinesthetic Intelligence(body smart)
5)リズム・音楽的知能     Musical intelligence (music smart)
6)対人関係の知能         Interpersonal intelligence (people smart)
7)内観の知能            Intrapersonal Intelligence (self smart)
8)自然・環境の知能      Natural-Environmental intelligence (nature smart)

 それでは、上記のような各能力に個人差はないのだろうか。
当然、個人差は存在する。細かなデータを紹介してもピンときにくいことが予想されるため、ざっくりした「マルチプルインテリジェンス理論」の教育への導入事例を紹介する。以下は、京都教育大学の紀要に収録された論文の一部である。

※MIとは、マルチプルインテリジェンスの略

----------ここから----------
MI によるチャートを見た先生方が、児童・生徒の星形のプロファイルの 多様な違いに驚くように、日本人は、基本的に各個人がそれほど大きな違いはないと思っているようである。ま た、このような認識は、大学生や現職教員に MI を実施したときに、相互に見比べてその違いの大きさに驚くこ とが多いことにも表れている。そして、探究学習を体験して、MI に表れた特徴が各人からうかがえるときの驚き はさらに大きなものとなる。
---------ここまで-----------
※下線部は、著者(牛山)が作成

 

 人の才能は、平たんに同じではない。皆違う才能や個性を持っている。これは極めて当然と言えば当然のことである。ここで問題になるのは、「才能が個々人あるので、才能がある人しか合格できないのが小論文だ」という話にはならないことである。あくまでも「センスや感性が豊かな人は、小論文試験で合格しやすくなる」という話である。センスや感性は磨くこともできる。

 人生は公平ではない。人は外見も違えば、環境も違えば、遺伝子も違う。当然才能やセンスも個性や個体差が存在する。この前提に立っていかにして勝つか、勝負するべきかと考えることが大切なのである。なぜならば、センスや感性の問題は、記憶力などの問題より若干影響力が大きいからだ。記憶の問題は努力で埋めやすい。しかしながら、センスや感性の問題は、ブルドーザーやイノシシのように猪突猛進するだけでは、解決しにくい。いかにしてこの問題を克服するかということが極めて重要になるのである。

 

 

 

 

 

 物事は、常に(努力すればいい)と考えるだけではうまくいかないことがある。分野によっては、努力の仕方が大切だ。

 ここまでに述べたことを含めて、本田氏の言葉を思い出してほしい。
「誰を師とするかは、センスの問題です。」本田健
(文章術のセミナー会場にて)

 「物事を誰かに習うということ」は、その人物から技術の伝承を受けるということである。算数の答え合わせをしているのではない。時には言語化しきれない技術の体系や哲学を学ぶということである。文章を誰かに学ぶとき、何がどれだけ影響するのか、その指導がどのような影響を結果(自分の目的)に与えるのかという考察は、あなたのセンスによって行われるものだということである。

 

(3)思考力の研究で一次情報を取得して分かったこと
 私が大学院で行っていた研究でも、人によって大きく推論能力は違った。男性、女性、年代別に関係なく、推論能力はまばらに分布した。ただし、例外的に女性の方が男性よりも優れている内容もうかがえた。それは、「直観的な推論」である。センスとは判断力であると、辞書の内容から確認を行ったが、女性は直観が鋭く、この類の推論能力は男性よりも高い傾向にあった。男性は、論理的な思考や推論が得意であるため、様々な推論テストを実施した場合、男性と女性の推論能力は、トータルでは平均するとほぼ同じになる。

 念のために言及しておくが、推論能力を高めるための対策は存在する。

 

(4)女性の方が、感性が豊かであることが多い脳科学的理由
 なぜ女性の方がより一層、直観が働くのか。この点については、脳科学の観点からは脳梁と呼ばれる部位の性質に起因する可能性が推測されている。女性の方が、左右の脳をつなぐ脳梁という部位が一般的に男性よりも太い傾向にある。そのため、男性に比べ左右の脳を連動させた思考が得意な傾向にあり、言語で考えず感覚的に感じ取り、判断する力が高いと言われている。

 余談だが、男性の浮気が女性によく見破られる理由はここにあるのかもしれないと言われることもある。

 

(5)「センス」と「スキル」の違い
 センスとスキルは違う。センスとは、感受性や判断であるため、物事を受け取る際に働く。

 

 

 

 平たく言えば、センスとは「感じるもの」であり、スキルは、「技術」である。どのような行為も、「感じ取ること」が入り口になる。絵を描く、文章を書く、考察する、論理的に考える、非論理的に考える、歌う、などの行為の入り口には、あなたが「何かを感じ取る」という段階が存在している。

 したがって、「センス×スキル≒成果」という図式が一定程度成り立つと考えられる。現実に小論文試験で高い点数を取り、難関大学に合格する若者は、書くのがうまいわけではない。考えるのが得意なだけではなく、物事を感じ取る段階で、人とは違った物事の感じ取り方をしていることも珍しくはない。

 

 

(6)受験産業では「実力」とアバウトに考えられるか「ハウツー」のみで対策が論じられがち

 受験産業では、一般的に小論文のスキルは鍛えられない。そもそも、そのようなスキルがあることすら前提とされていないことも多い。もちろん、センスや感性を育むことも一般的ではない。ほとんどのケースで、指導されているのは、「ハウツー」である。

 「感性の働かせ方」が指導対象になることが、そもそもほとんどない。上記の図のように、そもそも「技術の伝承」については、学問的にも特定の技術を言語化できるかどうかということがよく問題となる。それほど技術を組織的に伝承させることは難しく、属人的な性質があるとも表現できる。従って、小論文の指導対象は、よくいってもせいぜい論理の指導までとなりがちだ。(この論理指導すら、私が小論文の本を書くまでは、あまり一般的ではなかった。小論文指導の分野で、ピラミッドストラクチャー・フレームワーク思考などの論理の原理原則を説いたのは、恐らくは「慶應小論文合格バイブル」が最初であったと思われる。この点について、初版発行年月日よりも先に他の書籍にピラミッドストラクチャー・フレームワークが何らかの書籍に掲載されている場合は、ぜひお知らせいただきたい。)

 しかし、特に文学部などの、感性が重視される試験や、医学部、看護系学部で「心の問題」が取り上げられる小論文では、論理一辺倒の書き方では評価が低くなりがちである。このような傾向は、何も感性が重視される文学部や医療系だけに限ったことではない。昨今では法学部においても、陪審員制度の導入等により、人々の共感を得ることができる人物は、評価されやすくなってきている。この点においては経済学部も同様である。

 

 

 

 言ってみれば、白紙のキャンパスの前に画家が座った際に何を頭に描いているのかということこそが、本来は重要であるにも関わらず、「筆の動かし方」や「画法」のみが指導されているようなものである。当然だが、このような画法の先にも、筆の動かし方の先にも、高い評価を受ける絵は存在しない。数百年の時を超えて評価される画家は、そのほとんどがハウツーレベルのテクニックによって書かれた絵を描いてはいない。

 

(7)文章指導の現場
 小論文の指導は、様々な角度から行われるのが理想である。感性面の指導を重視するため、私は過去問解説を含めれば200を超える授業を用意し、デジタル教育で小論文指導を行っている。(中には4時間を超える授業もいくつもある。)単に数を増やせばいいわけではない。そのようなことをすれば、逆に思考アプローチの哲学や文章の設計理論がぐちゃぐちゃになり、生徒の側は頭が混乱するだけである。ポイントは数ではなく、「思想」「哲学」にある。

 

(8)感性と思想・哲学の関係
 以下、感性についての大まかな理解のために、若干勘所としての解説となることをご容赦いただきたい。

 そもそも感性とは、モノの感じ方や一定の美意識、美学などの認知様式を伴った先に存在する。従ってなんら美学が存在しない、あるいは、設計思想を持たない、哲学を有していない思考方法やハウツーレベルのテクニックの先には、本当の意味での感性はない。厳しく言えば、「子供の遊び」になってしまう。
シャネルの感性と、バーバリーの感性は違い、バッハとベートーベンは違い、ピカソとゴッホは違うのである。

 「どうやれば感性を磨くことができますか」というご質問に答えるためにも、ここの理解は大切だ。あなたが小論文試験のために磨く感性とは、文藝賞をねらうための作家のような感性だけではない。また、神仏の域に達することを望むような万能の感性でもない。(時々このように考えている人がいるので念のため。)当然天才になる必要もない。小論文試験に必要な感性とは、あなたが評価されやすい思想や哲学に沿ったものである。

 例えば、論文ではあなたが書く文章が論理的であることが求められる。従って論理的であることや、何がどの程度論理的であると言えるのかということについての理解も、あなたの感性を高める。しかし、もし文章に設計思想や哲学が無ければどうなるか。あなたの感性の働きは鈍る。ここまでにお話ししたように、そもそも感性・センスとは、あなたが何かを感じ取る認知の段階に存在している。認知にはパターンや様式がある。その認知の様式やパターンでとらえることができないものには、あなたの感性は働かない。

 感性は機能不全となり、(何が良くて、何が悪いのかさっぱり分からない。)ということになる。あなたが美術館に飾られている絵を見て何も心が動かず、陶芸の壺を見て、何も心が動かないのであれば、このような感性が特定の美意識や設計哲学に基づいて形作られた作品に対して機能不全を起こしているとも言えるのである。超一流の建築士によって作られた建物を見て心が動かないのも同様である。

 感性やセンスについて、あくまでも一面的な説明にすぎないが、あなたが小論文試験対策として鍛えなければならない感性とは、「作家気取りの文章表現」でもなければ「天才しか持っていない特別な能力」でもない。あなたが小論文試験対策として鍛えなければならない感性とは、小論文試験で高い評価を得るための、思想や哲学に裏付けられた確かな「物の感じ方」「考え方(思考の味わい方)」「認知レベル」のことである。

 したがってバカみたいに量だけ増やしていけば何かなるだろう・・・というような安直な考えの先に、合格する感性の磨き方は存在しない。

 











ディジシステム HOME