牛山 恭範 (著) 第一章 学年ビリでも慶應?人がうらやむ不思議な現象
学年ビリのギャルがなぜ一年で慶應大学に合格するのか? このあたりの裏側を本ウェブブックでは詳しく紹介する。 東大と慶應の二強が関東で幅をきかせている
普通に勉強すると国立も慶應も難しい 一方で慶應大学は文系に限っては受験科目が少ないが、高い倍率と母集団のレベルの高さから、やはり一般的には合格しにくい大学である。
やり方次第で、国立も慶應もサクッと合格する道がある 第一のパターンは、難関試験に合格した者の発言である。よい勉強法が無いならば、自動的に自分の頭は他の人よりも良いことになる。従ってよい勉強法があっては困る。知性を売りにして自分を売っていく人物は、この手の発言が多い。つまり、 「よい勉強法などありはしない!俺は頭がいいってことになってないと、俺困るじゃん?いろんな意味でさぁ。」 というところまでが実はセットになっている。だから無責任なのだ。 第二のパターンは、単なる他社批判の言説である。つまり、勉強法が効果的になる他社がめざわりなパターンである。どうひいきめに見ても、勉強法では勝てないと思った場合に、「よい勉強法など無い」とこの手の論者は述べる。つまり、 「良い勉強法などない!少なくとも私は知らない」 というところまでがセットなのである。だから無責任なのである。 第三のパターンは個人的な恨みのパターンである。公然とツイッターなどで有名人を批判しておき、事実無根の誹謗中傷を繰り返した結果、司法手続きで、追跡され、「あなたは、○○にお勤めの○○さんだったのですね。」などとツイッターで返答された時、急に下手に出て、「すいません。もう言いませんので、個人情報を削除してください。」などと懇願することがあるという。インターネットの匿名性と、言論の自由をたてにやりたい放題やった挙句、旗色が悪くなると急に態度を変えるような人物がネットには多い。 つまりこういうことだ。 「よい勉強法などありはしない。とゆーか、だって俺、あいつ気に食わないんだもぉん。」 無責任な発言、「良い勉強法などありはしない」という不勉強な発言に惑わされないことが大切だ。本当のところを詳しく解説しよう。
○合格者の喜びの声
ディジシステム HOME |
||