方法を教えてもらっても9割の人がうまくいかない?「方法とアプローチの違い」

     

Z 方法ではなく、アプローチと考えよう


 「問題発見」にしろ、「問題解決」にしろ、方法ではなく、アプローチと考えることが大切だ。小論文を書く時も、小論文を書く方法ではなく、アプローチと考える方がいい。

 アプローチは臨機応変に対処できる。
 臨機応変にアドリブで考え、アドリブで書くことができるようになることを目指す。

 思考力や記述力のスキルを高めることを考えてみよう。
 何らかの方法でうまくいかない時、方法に問題があると考えてはいけない。
 その方法は、単に何らかのスキルを手順化し、簡素化したスカスカのもの、言い換えれば、「あなたが何かをやり遂げるためのヒント」になっているかもしれないからだ。

 「あなたが何かをやりとげるためのヒント」として、インスピレーションをもらい、あなたが自分の頭で考える必要がある。

 もちろん、何も考えずに、ただ猛然と何かをやることもできる。
 しかし、そういうやり方をする人は、少なくとも勉強方法については、あまり良い結果にならないことが多いようである。

 勉強法については、世の中のほとんどすべての情報は、このウェブブックに私が記載したような前提を無視して、発信されている。

 ここにあなたにとって値千金となる考え方があるわけだ。
なぜならば、世の中の情報はほとんど「方法」を起点として発信されているからである。

 このように情報が発信される理由は、私たちの脳の仕組みと関係がある。資本主義下では、大学のような学術機関も含めて、商業的、産業的価値がある内容に情報が偏るきらいがある。

 学術機関は国家から研究費を集め、国家は産業的に価値があれば研究費を出しやすい。

 マスを対象とした情報は、分かりやすいことが特に大切であり、同時に手っ取り早い解決策が好まれる。大ヒットする情報は、それがエンターテイメントであれ、実用本であれ、ウケが良いものや、何らかの好ましい雰囲気が感じられるもの(あまり考えなくてもよい権威が感じられるものなど)が多い。その結果として、「方法」という手っ取り早いハウツーがどうしても流通する情報として幅を効かせるようになりがちである。

 「方法ではない」と考えた瞬間に、いくらか頭を働かせる必要が出てくる。多くの人はここを嫌い、大きく損をする。その理由はこのウェブブックで述べた通りである。受験勉強の場合は、(しまった)と思った時にはもう遅いのである。




[ 「皮肉」と「言葉遊び」と「実態」



 私がここに書いたことを、高いレベルで理解する人もいれば、もしかするとあまり理解しない人もいるかもしれない。

 いずれにしても、私の経験から言えば、皮肉の類を言う人は出てくるものである。要は「言葉の字づら」を表面的になぞり、以下のようなことを言う類の言説である。

 「方法は○○なのですか?」
 「良い方法を教えてください。」
 「方法が大切だ」
 「アプローチと考えることがいいわけではない。」

 いわゆる「かぶせる発言」である。

 私がこの手の発言を見ていてとても面白いと感じるのは、根拠がないことである。また、同時に論理に飛躍があることだ。

 しかし、発言者はかぶせることが目的化しているため、この手のことには無頓着である。

 また、論理的に物事を考えることは、本来大変レベルが高いことである。この手の論者は、あまりそこには興味が無いことが多いか、論理的には問題のある言説であることはあまり気にしないことが多いようである。

 なぜこのようなことを書いたのかと言えば、肝心要のあなたが、この手の言説に判断を狂わされる可能性があるからだ。















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