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X 「方法」は左脳で「感じ方」は右脳である 以下は正確な定義でもなんでもないが、物事の理解には大切な考え方である。 左脳は論理を司る脳だと言われる。 このように、高度な頭脳活動が行われる際に、そろって右脳が活発に活動している理由は、演算能力が比較にならないからであるとも言われる。将棋は、長年パソコンが人間に勝てなかったゲームである。近年稀にパソコンが勝つことがあるようだが、逆に言えば、そのようなことがニュースになるほど、圧倒的に人間の方が強いということだ。もちろん、言うまでもなく、パソコンの演算能力は極めて高い。何万手先も読むことができる。しかし、人間の頭脳、とりわけ右脳はそのさらに上を行くということである。 私が物事を「感じ取れ」と指導する理由は、右脳の直観の方が、言葉による情報量が少ない思考よりもはるかに正確に物事を分析することが可能だからだ。 逆に言えば、過去問題の分析を「方法」などという低レベルなやり方でやらせることに大いに違和感を感じた理由もここにある。 方法というのは、一般的に知性や洞察を必要としないものである。従って、使えない実用本は、方法のオンパレードになっていることが珍しくない。物事を恣意的に見て、その内容を記述すれば方法の出来上がりである。もちろん、知性や洞察、分析の結果生まれた方法もある。しかし、情報の受け手はそんなことを知りはしない。その結果、(たくさんある方法の内の、どの方法がいいのか?)と頭が混乱してくるのだ。 方法の次にアプローチが難しく、アプローチの次に戦略設計が難しい。方法とはもっとも簡単なやさしい情報の類である。 私たちが見分けなければならないのは、その方法がどのような作業の結果生まれたものであるかだ。 Y 「方法」を教えない方が全脳的に教えている 方法で教えることは悪いことではない。「方法だけを教えること」が悪い影響を与えるのである。 歌の指導で「もっと楽しく」と指導するのは、方法的指導ではない。楽しい雰囲気を感じ取ることでより高いパフォーマンスを発揮することが期待されている。 方法だけで私たちの世界が構成されていないのに、方法を教えることで、何でもうまくいくという前提に立って、物事が指導されるとき、悲劇が起こる。 また、同時に、方法だけで私たちの世界が成り立っていないのにもかかわらず、方法だけで何かうまくいかせることができるのではないか?などと考える人がいる時にも悲劇が起こる。 したがって以下のような考えを持つ人は、大失敗する可能性が大きい。 ・なぜ方法を教えてくれないのですか? ![]() ディジシステム HOME |
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