![]() |
||
![]() |
W 方法を追い求める悲劇と方法を教えてもらう悲劇 エンドレス無限連鎖質問方法だけですべてが成立しており、方法によってすべての行為は再現可能であると固く信じている人は、次のような質問をしてくる。 【一連のやり取り】 「英語を読むにはどうすればいいんですか?」 牛山「適切なアプローチで勉強していきましょう。」 ↓ 「勉強できないんですけど、どうすればいいんですか?」 牛山「そうですか、それでは、モチベーションを上げることを順番にやっていきましょう。」 ↓ 「やる気を上げるのに困るんですけど、どうしたらいいんですか?」 牛山「○○ですか?それではまずは○○をやっていきましょう。」 ↓ 「○○するのが、なんかできないんですけど、どうすればいいんですか?」 牛山「それでしたら、○○するような工夫を行っていくといいでしょう。」 ↓ 「○○するのもしんどいんですけど、どうしたらいいんですか」 牛山「それでしたら、コミットメントの問題ですね。今、○○ですか」 ↓ 「決断するのも、できないんですけど、どうしたらいいんですか?」 以下、エンドレスで永遠に続く・・・・ なぜエンドレスに質問が続くのかと言えば、聞いている本人は、何かがうまくいかないのは、方法だけに問題があると考えているからである。 このように、意思の問題があることや、スキルで対処していくという認識が希薄な人がいる。 何かがうまくいかない時に、いかにしてスキルを高めて対処能力を引き上げていくかという発想は極めて重要である。なぜならば、多くの問題は方法が間違っていることではなく、スキル不足によって引き起こされているからだ。 そもそも、何らかの方法を瞬発力で選択することができる能力がスキルである。従って、何らかの方法が有効に機能するかどうか以前に、スキルが無ければ方法は使いこなせない。従って、スキル不足ではどうしようもない、方法を知っていてもどうにもならないことが割と多いということになる。まとめるとこうなる。 【方法が分かってもどうにもならないケース】 ◆方法だけでは対処できないケース 小論文などのスキル型の科目では、特定の方法だけを教えてもらった人は、ざっくり、約10%程度しか現実には対処できていない。判断力が優れた人間や適応力が優れた人間が、なんらかの方法を教えてもらい、パッと使いこなすことがある。 読解も方法ではなく、読解アプローチと読解スキルが大切になる。 勉強法も読解も、「この方法はだめだったので、他のをやりまーす」といっている人はほとんど慶應大学などの難関試験には不合格になっている。 ところが、受験産業では、分かりやすいので、「方法」が一般的に教えられがちである。 そして、「過去問題の分析方法を教えていないのでダメだ」などというくだらない突込みを入れる人間が出てくるのだ。 方法至上主義は完全に思考停止状態である 仮に私が過去問題の分析方法を教えたとする。 そんな方法で分析ができるなら、この世の中にマッキンゼーのようなコンサルティングファームはいらない。 そもそも、分析ということをなめているからこそ、このような発言ができるのだろう。分析など、心配しなくても世の中の99,9パーセントの人はできない。論理思考が徹底してできる人間だけが、分析が可能だからだ。 論理思考のスキルレベルが限界まで高く、深い洞察力や高い知性があって初めて妥当な分析は可能になる。 プロフェッショナルスクールで2年間かけて、約100回のケースメソッドと呼ばれる思考の訓練を私は大学院で受けた。マッキンゼーのOBに分析方法と、論理思考を学び、私は必死に学んできた。その中で東大卒、東大院卒のOBが多数いるクラスの中で成績優秀者になることもできた。しかし、私はまだまだ未熟だと考えている。大学院卒でも、論理思考などしっかりできる人間は一握りだろう。 分析うんぬんを語る前に、そもそも過去問題の分析を試みることが大切だ。 自分の頭を働かせる前に、完全思考停止状態になって、答えを教えてくださいと懇願するような人を一人も入学させたくないからこそ、例えば慶應大学などは小論文試験の配点を高く設定しているのである。 誰も「感じ取れ」とは教えてくれない。そのようなことを言えば、いい加減なことを教えていると錯覚するからだ。何もかも手順化できるという幻想と先入観を持った人が多い。しかし、現実は違う。ここまでにお話しした通りだ。 テンプレート思考がなぜダメなのか。その理由は、テンプレート思考は、方法思考だからである。言い換えれば、本質的に思考停止状態なのだ。この思考停止状態を、思考活動状態にすることが、第一に重要になる。
![]() ディジシステム HOME |
![]() |
![]() |