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U 方法が弱く、スキルが強い事例
相手の要求に方法が対応していない事例 あなたが気になる異性がいたとする。あなたがこの異性に告白したいとする。 パターン別に分けてもうまくいかない。恋愛マニュアル本で、パターン分析しましたと言ってみたところで、こういう恋愛マニュアル本オタクは、たいてい次のような失敗をする。 自分が好きな人を目の前にして、 「あの、あの、あのーーーーぉ」 (声の調子がおかしい) ![]() というように、緊張してしまってどうにもならなくなってしまう。 方法で対処しようとしているからだ。微妙な相手の感情の機微を読み取れないのである。 以下の例は適当とは言えないが、分かりやすいと思われるので、異性と話をすることが得意な人間の例を挙げよう。 ナンパの達人などは、相手の顔色から敏感に話題を変えるなど、方法ではなく、「スキル」で対処している。その証拠に、ナンパがうまい男は、他のメンバーに後で細かく注意をすることがある。声の調子をコントロールすることや、下手なことを言わないように注意する。そして成功率が違う。当然恋愛マニュアル本でならした男はナンパが成功するはずもなく、恋愛マニュアル本など一冊も読んでいない熟練したナンパ師はどんどんナンパに成功していく。 横から見ている人が、「ナンパに成功した方法はこうだ」などと意味づけることはできるし、ナンパがうまい人間が、なぜ成功したのか、方法を説明することはできるだろう。
なんらかのスキルによって、臨機応変に対応した結果、何らかのパターンとして認識可能な場合の手順を私たちは「方法」と呼ぶ。しかし、現実には同じ現象を見た人でも、認識している「方法」は違う。 褒めたからナンパに成功したと感じている人もいれば、「話の間がうまかったから成功した」と認識している人もいれば、心理的に距離を縮めることで、ナンパに成功したと判断する人がいる。どの人も違う「方法」によって、ナンパに成功したと感じているのである。 したがって結果論として、後からやっていることを見れば、あの人の話し方はこうだった、ああだったと方法の批評をすることはできる。しかし、現実には方法で対処しているのではなく、瞬発力でアドリブをしているにすぎない。要はスキルである。 その様子を横から見ている人間が、そのやり方を「方法」として認識し、自分が認知するパターンの一つとして記銘あるいは、説明しようとしているにすぎないのである。 言い換えれば、後から「方法がこうだった」と意味づけすることはできるが、方法を起点とした場合、再現性が低くなりやすいということである。特に複雑なスキル型の行為を実現しようとする場合はこうなる。 歌、ダンス、絵、文章、格闘技、話術、スポーツなどである。 もちろん、小論文も然りである。 実際に高いパフォーマンスを発揮する人間は、方法を意識してやっているのではなく、無意識のうちに高いレベルの判断力が養われていることが多い。 もう少し言えば、特定の状況下で、何かをやり(ここはナンパでも書道でも、剣道でも空手でもなんでもいい)、その上で、その方法を実行している過程の90%〜98%の様々なものをそぎ落としたものが、いわゆる「方法」と呼ばれるものである。 全体の内の2パーセント程度のものを指して、私たちはそれを方法と呼び、すべてだと考えてしまう。ところがその「方法」はすべてではなく、単なる2パーセント程度のものである。この2パーセントは次のように呼ばれる。
このような考え方のどこに問題があるのか、具体的に事例を具体的に見てみよう。 ![]() ディジシステム HOME |
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