スキル不足で現実に対応できない事例 以下の文章は、他のウェブブックで紹介した内容である。 同様の理由で方法が通用しないケースなので紹介しよう。 ---------ここから---------- 過去問題をやることが大切なので過去問題をやらなければ、、、という考えも同じである。両方共先入観なのだ。 過去問題をやる目的は何ですか?と質問してもこの手の人は答えることができない。そもそも考えたことも無いからだ。 場合によっては、過去問題分析のためだなどと、もっともらしいことを言う人も出てくる。 なるほど、ボクシングの試合に勝つためには、相手選手の動きを研究することは悪いことではない。こんな具合に、徹底して分析することも役にたつことはあるだろう。 ところが、現実にボクシングの試合で、あなたが対戦相手と向かい合った時、TVで分析した内容と違うということに気づくだろう。 現実の世界はこうだ ↓ TVで分析した内容と違う。分析以前に、パンチが見えない。気がついたら殴られている。相手は仕留めにくる目でこちらを見ている。頭がフラフラする。みぞおちを殴られて息ができない。苦しい、こちらのパンチが当たらない。 おかしい、方法を教えてもらったのに。勝てるテクニックを教えてもらったのに。なんで勝てないんだ・・・と思う前に、あなたは、(怖い)と思うだろう。 単純な話、実力が足りていないのである。過去問題をやる?というのは、練習せずに、ボクシングのビデオ研究をやっているようなものだ。 基礎体力がない、力が足りない、練習をしていない、基本がなっていないのである。 本番形式だったら最短で実力アップできると考えるのは、なめているということなのだ。バスケもボクシングも、小論文も勉強も同じである。 多くの人は過去問題はやるものだと思っている。そうではない。過去問題は、年度別と分野別でやる意味が全く変わってくるものなのだ。年度別は、捨て問の選別など、解答力を引き上げるためである。後者は、必要なスキルを見極めるためである。このような目的意識が無い人は単にやることが目的になる。現実には高いレベルでスキルを発揮しなければ、合格できない論文試験も数学の過去問題のように考えてしまい、過去問題ができれば、合格できるなどと錯覚するのである。そんなことはない。 単にやることが目的化した人は膨大な無駄な作業をするようになる。 ---------ここまで----------- 言い換えれば、過去問題ができない時に、なんらかの「方法」で対処するということは、多くの対策の中の一つの手段に過ぎないということでもある。 そんなことをあなたは考えたこともなかったかもしれない。 疑いもなく、この過去問題をどうやったらできるようになるのか?などと考えていなかっただろうか。 要は他の受験生以上に力を見せることができればいいのである。単純な話、他の受験生よりも力があれば合格で、他の受験生よりも力が無ければ不合格だ。 だから医学部などでは、50点も取れていないのに合格などということがある。他の受験生以上であれば合格なのである。 「方法」をあなたが選択する時、その「方法」がうまくいくことにかける必要がある。しかし現実には、その方法がうまくいくかどうかは分からない。 セクシーに見える? 少しもセクシーではないのである。(失礼だが) なぜセクシーに見える(はずの)方法を使ったのに、セクシーに見えないのだろうか。 要は、方法を一人歩きさせているからだ。何も考えずに、方法を繰り出してしまっている。物事の成否が方法だけで成り立つと考えるとまずい。 趣旨に合致しておらず、評価が下がる事例 面接会場は、「方法」の熟達度を見るところではない。あなたを見るところなのである。 ディジシステム HOME |
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