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15 良いか悪いかの意見は世界で最も安いものである
16 どっちが本当なの? (1)アイディアが評価の対象にならないという言説
(2)本は読まなくてもいいというアドバイスの危険性 本は読まなくてもいいというアドバイスは、大変無責任なアドバイスだ。もちろん、本を読まなくても合格した事例はある。しかしだからといって、本を読まなくてもいいということにはならない。本を読まずに合格している人物はたまたまスキルアップに間に合っただけだ。小論文については、何もやらずともそれなりに書くことができる人がいるためだ。また、このような人物がラッキーで合格することもある。 本は知識を得るだけのために読むものではない。ヒラメキを生む触媒になるものである。従って「知識が無くても受かる」などというのも、反論の論拠として不適切だ。 「構想力、表現力を問う」「発想、論理的構成、表現など総合的能力を問う」などと慶應のウェブサイトに明記されている。本は構想力を得るための触媒となる。本は表現力を得るための貴重な学習機会になる。文章を書くことができない人は文章を読んでいないことが多い。 本を読めば、知識力、構想力、表現力がつく。 本を読まなくてもいいというアドバイスを受けた不合格になった多くの人がかわいそうだ。 ※ただし、ネタ本は読まなくてもいい。
(3)小論文はセンスではないというアドバイスの危険性 「小論文にセンスが不要と考える危険性」と「センスを磨く7つの対策」 感性を用いないと、あなたは半分以下の力で受験することになる。自分で自分の頭を悪くするようなものであり、このような考え方は一生を通じてお勧めできない。一方で、 感性を働かせる頭の使い方を教わった私の教え子は、慶應SFCに現役合格し、その後世界一の理系大学である、マサチューセッツ工科大学の博士課程へと進学した。慶應大学に進学後も、「大学で考える際に、教えてもらったことが役に立っています。」と彼は語っていた。 ※海外の大学院(トップスクール)の場合、本当にわずかな人数しか博士課程で学ぶことができない。 慶應クラスで学んだ人は、慶應大学に進学した後も、付き合いがあることが珍しくない。大人になってからも役立つことを教えている。受験の時だけ役立つ内容を私は教えていない。違いを作る違いとは、人生を変えること、自立すること、自分の頭で考えること、より深く考えること、人よりはるかに精緻に考えることなどを含む。
17 絶対合格と合格の違い
運が良ければ合格するような勉強を絶対合格法ではやらない。あらゆる手段を尽くして、確実に合格することを目指すのである。 ・英単語を覚えたが、試験当日間に合わない勉強はしない。
18 「絶対合格って本当なの?」という問いはナンセンス
99%は、100%ではないと誰かが言っても、計算してみればわかるが99,9パーセントには簡単にできる。「残りの0.1%の不合格率があるのでだめだ」などと言う人は最初から受けなければいいのである。試験は水物で努力しても0.1%パーセント程度の不合格確率は存在する。同様に、数学の確率計算についても、一日試験会場に行けば、独立した施行には厳密にはならないという揚げ足取りも無視していい。実質的には変わらない。 何を成し遂げたいのであれば、1パーセントの確率でも勝負できるくらいでなければ成し遂げられない。最初からソロバンをはじいている時点で、マインドに問題を抱えている。自分を信じることができない人は合格できない。自分が合格率を高めるのである。マインドに問題があれば判断が狂う。判断が狂えば合格できない。常勝というのは、0.1%の不合格にビビるマインドからは生まれない。なぜ慶應クラスが常勝なのか。その理由は絶対に合格する、合格するように動くというマインドから鍛え上げるからである。獅子の外見でも羊のマインドなら負ける可能性がある。勝つと確信しているから勝てるのだ。 慶應大学絶対合格法に書いた「獅子の咆哮のようなものである」とは、お手軽一般論勉強法ではないからである。徹頭徹尾すべての側面から問題解決学的に戦略立案した結果、絶対合格を可能にする戦略軸を取るためだ。
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