最新の新しい授業で落ちる人、価値のある授業で劇的に点数を上げる人

 

 

最新の新しい授業で落ちる人
価値のある授業で劇的に点数を上げる人

―論文試験で平均9割点数を取る著者が教える「単に新しいだけの授業」と、「全体系が学べる高品質小論文指導」の違い―

牛山 恭範 (著)

 


Amazonの★★★★★は自作自演の偽装工作、★も競合つぶしの偽装工作、そしてアマゾン1位は誰でも取れる。瞬間風速のアマゾン1位、自分はアマゾンで1位なんて発言に注意。あっ牛山の本もアマゾンで1位だ。じゃあアマゾンで1位の人なんだね・・・ってそんなわけないでしょ。誰でも取れるんだから。取り方もへちまもなくて、単にLINE、ツイッターメルマガなどで告知すると誰でもすぐに1位になります。

 


受かりやすい塾を表現すると・・・

こうやって、マトリックスで考えればすぐにわかると思うんだけど、「古い授業を使っているあの塾は悪い」みたいな言い分って、そもそもおかしいんだよね。

なぜならば、
きちんとスキルアップできるだけの授業のボリュームが無いことの方がはるかに問題なんだ。塾というのは、スキルアップするために行くのであって、新しい授業をたんのうするために行くわけじゃない。だから、点数を取ることができる人が教えなければならない。点数を取ることができる人は、あれも教えないと、これも教えないとって、はっきりわかってる。でもね。その辺を歩いているお兄ちゃんをつかまえて、「小論文の授業やってよ」と言えば、「できないです。」となるよね。教えることが無いんだよ。

だから、授業を新しくしても意味がない。
もう一つは授業が少なすぎると何もスキルアップしないということ。 教えることが何もないから過去問題の解説をやったり、過去問題を練習させている。

 

そんなことやっても点数は上がらないのに、それしかできないんだね。それをやっていれば、それっぽいことをやっているから、皮相的に物事を見る受験生は実践的だと錯覚してしまうんだ。でも本当は実践的なんてものじゃない。点数を取れなくて、慶應にいくつかの学部に不合格になった平均点が低い小論文講師が、もう二度と出ない問題について、自分の間違っているかもしれない解釈をひたすら話すだけだからだ。

 

新しい出題に対応した小論文指導がいいっていう勘違いがある。

悲劇的にかわいそうな勘違いなんだね。

 

なぜかと言えば、そもそも新しいわけじゃないからなんだ。

新出題っていうと、何が新しいの?

新しく出たことが新しいわけだよね。

それは、新しい何かなのか?

 

違うそうじゃない。その新出題とは、教員が選んだものだ。

だから新しいというよりは、教員が選んだものと言える。

 

その「教員が選んだもの」を新しいと呼んだ時に、新しいことをやっていくと新しいものに対応できるはず・・・という非論理的な考えが生まれる。

 

単に新しいものをやるだけじゃ受かるようにはならない。

少なくとも、新しいものをやって意味があるためには、以下の3つの条件が必要だ。

 

 

【新しいことをやり成果を出すための3条件】

  1. 効果的でレベルが高いこと。
  2. 新規性があること(今までにない)
  3. 進歩性があること(簡単に思いつかない)

 

例えば、以下の内容は、今年慶應FIT合格者に指導して私が見せた解答例の内容だ。

この書き方は新しい方法に基づいている。このように、新しいと言っても、単に新しければいいわけではない。このあたりの秘訣は、このウェブブックの後半で話そう。

 

-------引用開始----------------

 

【2020年慶應法学部FIT入試解答例】

 資料Aは三権分立を支持し、資料Bは、イギリスにおいて三権は分立していないと述べ、資料Cは、イギリス憲法の長所として立法と行政の結びつきに言及している。上記の資料の争点は、三権分立の妥当性である。

 樋口は議院内閣制についての議論を均衡本質説と、責任本質説に分けている。すなわち、行政と立法の分離と結合である。樋口はどちらにも問題点があると指摘している。佐藤は、この点について、我が国は均衡型であると述べた上で、均衡型の方が民主的に機能する可能性を有していると述べた。その根拠として樋口は「無条件の不信任制度と無条件の解散制度の存在が、議会と内 閣に対し、たえず国民の意思へ近づこうとする動因を与えるから」と述べている。

 果たして三権分立である均衡説は妥当なのだろうか。私はこの点について、重要な論点を考察すれば、責任本質説よりは評価できるものの、妥当性は高いとは評価しにくいものであると考える。

 三権分立の均衡説を評価する上で重要な論点は三つある。第一の論点は、機能するかである。第二の論点は理想的であるかであり、第三の論点は、制度から国民の権利保護のプロセスである。私が結論に至った一つ目の論拠は機能性の低さである。三権分立の均衡説は、アメリカのトランプ大統領の暴走、安保法制の事件などを見る限り、十分に機能しているとは評価しにくいものである。無論その理想から言えば、均衡説は権力の暴走を阻止する。しかし、現実には高く評価はできない。結論の第二の論拠は理想的な度合いである。この点について、均衡説と責任本質説の長短に注目する必要がある。均衡説は、民意を反映するものの、衆愚政治となりやすい。責任本質説は、衆愚政治となりにくいかもしれないが、権力の暴走を食い止めにくい。従って、どちらにも一長一短があり、均衡説であっても手放しに評価はできない。第三の論拠は、均衡説の効果が発生するプロセスである。我が国では、行政府による立法プロセスが長年問題視されており、三権分立論の理想が、繁栄された均衡説が、十分に機能しているとは評価しにくい。

 以上の理由より、三権分立の均衡本質説について、相対論の立場では、責任本質説よりは、理想的な政治体制であると考える。しかし、実態を鑑みれば、総合的な妥当性は限定的であると私は考える。

 

【解答例の論証パーツ】

[1]議論の目的:国民にとって理想的な政治を行うこと

[2]価値観:国民の権利保護(憲法の理想的な概念を実現する)

[3]重要な前提:均衡本質説と、責任本質説がある

[4]反論:理想から言えば、均衡説は権力の暴走を阻止するが、現実には高く評価はできない。

[5]論拠と根拠:(前述の解答例)

 

――――引用終了-----------------

 

何か勘違いしていないかな?

過去の問題をやったら未来の問題ができるようになるわけじゃないんだよ。

これを見てみよう。



うちの塾が教えているのは、過去に出たものについて、過去に焦点をあわせて、過去について考えるなにかじゃない。三権分立だろうが、未来のエネルギー政策だろうが、税制だろうが、未来について、考える内容、つまり未来の内容を教えている。

 

新しい授業で新しい入試に対応するって発想がそもそも陳腐なんだ。

 

なぜかって?ここで三権分立についての解答例を見せたよね。過去の先行研究に基づいて、今と未来の政策の在り方について論考しているわけでしょ。 あなたができなければならないのはそういうこと。

 

つまり、未来について考えることなんだ。だから授業が新しいかどうかは何の関係もない。未来の妥当な在り方について、どのレベルであなたが考えることができるようになるかしか、大学は興味が無いってこと。あのね、大学が来年は人権について、その次は医療について、その次は、福祉について、出しますんでって、言ったって本当はかまわないんだよ。それじゃあ、人権について授業取りますって意味ないのよ。論考できて、推論できて、発想できて、そのレベルがどうかってことなの。過去にとらわれた新しい授業ほど無価値なものはない。点も取れないし、対策にもならない。あなたの点数は新しい授業で上がるわけじゃないってこと。質の高さで全部決まっていくんだよ。

 

新しい時代の新しい傾向には新しい指導が必要?いいえ。この考えは間違っている。

そもそも新しい内容ではなく、新しい傾向でもない、そして新しい指導に意味がない。それでも、意味が分からない人がたくさんいるだろう。なぜならあなたのことを騙そうとしている人がいるからね。だから細かく教えてしまおう。

 

もし新しい指導が必要で、慶應大学や東大のおじいさんの先生が、その新傾向に対応できないとあなたが思っているなら、試験も論文も研究も根本的に勘違いしている。レベルの高さしか関係ないんだよ。

 

【目次】

新しい小論文指導だといいという根本的誤解

理由1:レベルが高いか低いかだけしか関係が無い

理由2:論文の書き方に新しい古いはそもそも存在しない

⇒最新のUMモデルは、論証効果が検証された世界最先端

理由3:伝統を守れない人は、大学での評価が劇的に低い

 

 

根本的勘違い1:古い教材の使いまわしに価値が無いのではない、最初から点数が下がることが最も危険

 

根本的勘違い2:過去に効果が実証されていることを重視できない指導は根本的に弱すぎてなんの効果も期待できない

 

根本的勘違い3:指導者の年齢が若ければ若いほど論文指導、学術指導の分野では危険(御年80歳くらいの東大名誉教授の論文指導が子供ちゃんの指導と比較にならない理由とは?)

 

根本的勘違い4:人を騙してかき集めたアクセスで合格者を量産して騙す言になんの説得力もない

 

根本的勘違い5:今の時代は、最先端の優れた方法や情報にあふれているというのは勘違いも甚だしく、資本主義の原理で無価値かつ低レベルなものが普及している

 

根本的勘違い6:何も教えることが無い人が教えている時間だけ確保していると、教えられた側が何かを学んだ気になってどんどんレベルを落としている悲劇

 

根本的勘違い7:ギリギリラッキーで合格できた人に教える実力はない

 

根本的勘違い8:小論文に必殺技などそもそも存在しない

 

根本的勘違い9:今の時代も昔の時代も頭がいい人、問題解決力がある人はあるし、無い人は無い、逆に言えば、若さ意外に売りがないから若さしかアピールできない

 

根本的勘違い10:今年の合格者なら適応できるという勘違いは、適応主義的な適応力さえあれば実力が無くても何かレベルが高いことができるのではないかという期待に基づいているが・・・言うまでもなく、適応するだけの人はレベルが低い

 

反論:だって、SFCの特殊性は高いのだから特殊なことができなくてはならないのでは?⇒特殊性に対応する際に必要なのは、技術レベルの幅の広さと深さ(レベルの高低)であり、チンドン屋が、芸を披露しているわけではない。

 

反論:だって、今の時代に合格したってことは、今の時代に適応した今の時代に適応レベルが高いということでしょ?⇒受験生の質が低レベル化している現代において、思考力、記述力の平均値は劇的に下がりつつある。つまり、現代的に合格している少ない母集団通過者のレベルは総じて低い傾向にある。

 

反論:今の時代に適応しているのだから、今の時代のやつがあるってことでしょ?⇒論理思考は時代と空間を超えている、つまり、どこかの地域専用論理などというものはないし、どこかの時代専用の論理もない。フェルマーの最終定理という300年続いた数学の難問について功績を出せた人物は優秀で歯が立たなかったのは力がない人、それだけ

 

反論:今の問題解決と昔の問題解決は違うのでは?⇒(かわいそうに騙されてしまって・・・)問題解決の最先端は、ジャーナルであり、学問の最先端もジャーナル、大学の最先端もジャーナル、そのジャーナルに掲載できる論文を書くことができる能力が欠落している人が、いくら最先端と騒いでも、公衆トイレの書き込み議論とレベルが変わらない。そんなにレベルが高くて最先端だと主張するなら、そもそもジャーナルで勝負ができている。(牛山はジャーナルにどんどん論文をアクセプトしてもらっており、国際会議にも出席)

 

ざっと目次を見てもらうともう分かった人もいるかもしれないが、今の教育は、点数を取ることができない人、知識が無い人が教えているのが実情。自分で点数を取れない、自分で成果を出せない、研究も読んでいない、調べていない、だけど俺様が考えたこの必殺の小論文解法でって・・・大学教員が聞いたら失笑されてしまうような書き方をたくさんの人に教えてしまっている人がいる。かなり問題ありでしょう。役に立たない点数が下がる書き方を(新しいやつなんで)などと言いふらし、普及させようとしている人がいるらしい。

 

騙されてしまった人は、かわいそうとしか言いようがない。

 

新しい論文の書き方ですって??

これ新しい書き方なんで、評価高いんですよ・・・なんて言えば、大学教授からお叱りがもらえたらラッキー。心の中で馬鹿にされるだけ。つまり、自分の不勉強を言いふらしているようなものだからね。

えっまだわからない?

つまりね、新しいからこの書き方がいいとか、古い授業を使ったらダメとかって言説は有害でしかないってこと。そんなの信じてたら落ちるよ。

 

次に見せるのは、昔の授業を受けて1位になった人の成果。

 

あのね、最初に見せたのは、今年のフィットの解答例で、(サポートした子は合格報告もらったやつね。)新しい書き方じゃないとダメとか、古いのはいけないのとか、点数取れないとか、本気で信じてる人まさかいないよね。読んでる人が評価してるのね。人の脳みそは、数百年で変わるかもしれないけど、3年や5年で変わりゃしない。もしそうならもう大学の先生は君を教えることができないからね。

 

落ちるだけならまだしも、何年もそんなので浪人を重ねている人がいるでしょう。

本当にかわいそう。

 

だってダメな書き方だったら論文って評価されないんだよ。

新しいってなんだよって話で、ダメってことです。それは・・・

つまり、原理というものが世の中にはあり、原理的に効果的なことと、原理的に効果が無いことがあるってこと。

 

論文の書き方を新しくしてはまずい理由は二つある。

 

一つは、機能性の問題。つまり、そこらへんにいるお兄ちゃんが数百年間、カントやニュートンなどの世界的な知の巨人たちが確立してきた、世界的な頭脳の至宝と言えるような学者たちのやってきた論文執筆の完成された在り方にケチをつけることができるわけがないということ。

 

言い換えると、論理的でもなんでもない書き方を、新しいってだけで習って、お金払って落ちている人がたくさんいるってこと。

悲劇じゃないですか?

 

第二の新しい論文の書き方がダメな理由は、しきたり、伝統、規範の問題があるってこと。例えばさ、あなたが、新しい食べ方発見したのよ!と言って「これ新しいのよ!」って言いながら、げっぷとおならを連発しながら食べるってやり方を発明したとするでしょ??誰が評価するの?大ヒンシュク&失笑でしょ?そういうことをあなたはやってしまっていませんかって話なのよ。まだ学問を知らない若い学生をだまくらかして、新しいのよっ新しいのよって、まずいでしょ。そういうのは。それに対して、当塾がなんで成果を出せるのか、秘密を一つ言えばね、

 

牛山が東工大の博士課程に合格したのは、新しい論証モデルを工学的に研究して効果を検証したからなのね。東工大は、日本の学術の拠点であり、工学系では第二位、東大の次です。そして、世界的にはHarvard大学と肩を並べており、世界10位以内を目指している大学です。日本の学術のトップは、東大京大東北大東工大です。この4トップがずっと変わっていない。その大学で、研究成果を発表して合格しているのね。つまりどういうことかと言えば、世界的に最先端の学術的に効果がある程度検証された内容を持って、言い換えると、人の頭を良くする研究に成功してるってことなの。このことと、新しいからいいのよ〜っていうのと、どっちが最先端なの?東工大の博士課程に合格した工学的な研究、実証研究。でもね、アマゴのタケノコみたいに、たくさんある理論、どれとっても、新しいってことしか言えない、しかも、自称新しいだから、効果があるのかどうかもわからない。そもそも間違った論文の書き方、機能性低く、学術的に規範も守られていないから評価が低い書き方、そういうのをやって、新しいから受かるよって考えがどれだけまずかってことなのね。

 

だからそういう今の時代に対応している(自称)適応理論ね

適応しさえすれば誰でも受かるって論法、(そんなわけないだろって話なんだけど)そういうのに騙されて、「今年3浪目です」とか言ってる子がいるんだけど、ほんとうにかわいそう。

 

そういう悲惨な子が一人でも少なくなればと思って、このウェブブックを書こう。

いいかい?もう一度目次を再度掲載するよ。

 

【目次】

新しい小論文指導だといいという根本的誤解

理由1:レベルが高いか低いかだけしか関係が無い

理由2:論文の書き方に新しい古いはそもそも存在しない

⇒最新のUMモデルは、論証効果が検証された世界最先端

理由3:伝統を守れない人は、大学での評価が劇的に低い

 

 

根本的勘違い1:古い教材の使いまわしに価値が無いのではない、最初から点数が下がることが最も危険

 

根本的勘違い2:過去に効果が実証されていることを重視できない指導は根本的に弱すぎてなんの効果も期待できない

 

根本的勘違い3:指導者の年齢が若ければ若いほど論文指導、学術指導の分野では危険(御年80歳くらいの東大名誉教授の論文指導が子供ちゃんの指導と比較にならない理由とは?)

 

根本的勘違い4:人を騙してかき集めたアクセスで合格者を量産して騙す言になんの説得力もない

 

根本的勘違い5:今の時代は、最先端の優れた方法や情報にあふれているというのは勘違いも甚だしく、資本主義の原理で無価値かつ低レベルなものが普及している

 

根本的勘違い6:何も教えることが無い人が教えている時間だけ確保していると、教えられた側が何かを学んだ気になってどんどんレベルを落としている悲劇

 

根本的勘違い7:ギリギリラッキーで合格できた人に教える実力はない

 

根本的勘違い8:小論文に必殺技などそもそも存在しない

 

根本的勘違い9:今の時代も昔の時代も頭がいい人、問題解決力がある人はあるし、無い人は無い、逆に言えば、若さ意外に売りがないから若さしかアピールできない

 

根本的勘違い10:今年の合格者なら適応できるという勘違いは、適応主義的な適応力さえあれば実力が無くても何かレベルが高いことができるのではないかという期待に基づいているが・・・言うまでもなく、適応するだけの人はレベルが低い

 

反論:だって、SFCの特殊性は高いのだから特殊なことができなくてはならないのでは?⇒特殊性に対応する際に必要なのは、技術レベルの幅の広さと深さ(レベルの高低)であり、チンドン屋が、芸を披露しているわけではない。

 

反論:だって、今の時代に合格したってことは、今の時代に適応した今の時代に適応レベルが高いということでしょ?⇒受験生の質が低レベル化している現代において、思考力、記述力の平均値は劇的に下がりつつある。つまり、現代的に合格している少ない母集団通過者のレベルは総じて低い傾向にある。

 

反論:今の時代に適応しているのだから、今の時代のやつがあるってことでしょ?⇒論理思考は時代と空間を超えている、つまり、どこかの地域専用論理などというものはないし、どこかの時代専用の論理もない。フェルマーの最終定理という300年続いた数学の難問について功績を出せた人物は優秀で歯が立たなかったのは力がない人、それだけ

 

反論:今の問題解決と昔の問題解決は違うのでは?⇒(かわいそうに騙されてしまって・・・)問題解決の最先端は、ジャーナルであり、学問の最先端もジャーナル、大学の最先端もジャーナル、そのジャーナルに掲載できる論文を書くことができる能力が欠落している人が、いくら最先端と騒いでも、公衆トイレの書き込み議論とレベルが変わらない。そんなにレベルが高くて最先端だと主張するなら、そもそもジャーナルで勝負ができている。(牛山はジャーナルにどんどん論文をアクセプトしてもらっており、国際会議にも出席)

 

新しいからいいとか言っている書き方の正体はこうだよ。


脆弱な論証モデル(良くない例)の図


これで点数が取れる方がおかしいでしょ。
だから次のページから解説することをきっちり理解するんだよ。

 

 

本当はナンバーワンじゃないのに、ナンバーワンですなどと書く人もいる模様。

そうすると、おそらくだけど、人を騙してアクセスをかき集めることになるんじゃないかな。

それから、本当は全く役に立たないんだけど、「小論文の必殺技がある」と言ってしまう人もいるみたいだね。

仮に、人を騙してアクセスや訪問者、本の読者を増やすと、どうなるのかな。

でたらめを教えても合格者がたくさん毎年出るだろうね。

自分で解答例を書いていないのに、「模範解答」って書いて、本が出版されることもあるみたいなんだ。僕は、ランサーズなどのお仕事発注サイトに、小論文の解答例が募集されているのを見た。誰が募集していたのかも見た。だからびっくりしたんだ。

なんだ、解答例を何時間も解説しているような人でも、人に解答例を書かせてるのかと・・・・。

そして、解答例がたくさん集められただけの本って出版されているよね。自分で書いているならまだしも、自分で書いていない解答例の本があったら、君はどう思う??

 

自分が書いた本にサクラで偽装工作して絶賛の★★★★★評価。こういうことをやる人もいるよね。それに騙された子がまた入塾して、かき集めた生徒の中でほっといても受かる子っているよね。要はダメな書き方でも受かっちゃう子、そういう子が受かって、いろいろな、不適切な事実とは異なる表現の広告によって違法的に集めたアクセスで合格者を量産する。その一連の「人を意図的に?錯覚させて、事実とは異なる認識を与える活動」よって生まれた被害者という名の合格者(なぜならば、次の被害者を生むからね。)に広告で加速をつける、そうやって負の連鎖で、資本主義社会では不幸が量産されていくんだな。

合格者というのは、みんな合格報告をくれるわけじゃないんだ。だから強引な方法で生徒に合格報告をさせる塾もあるみたい。うちの塾は普通にお願いして、断られたら、それで終わりなんだけど、実際に合格している数が合格報告ではないんだよね。かつては、どこかの写真素材のようなものをウェブ上から引っ張ってきて、それを活用して、あやしい合格実績が積み上げられている塾もあった。最初にそういうことをやって、後から徐々に被害者が増えていくように設計している塾も、僕が知る限りではある。そういうことを消費者の方は知らないのよ。

 

 

合格者を見て、騙されているあなた、かわいそうな状態になる前に、このウェブブックを読むこと。そして、一人でも多くの人に、このウェブブックを教えてあげたらいいと思うよ。何が起こっているのか、はっきり書いているからね。

サクラを使って自分の本に★★★★★の絶賛レビューで偽装工作するようなやつが、他の本に★をつけて評判操作するのが世の常。そんなのに騙されちゃだめだよ。順番にいくよ。

 




新しい小論文指導だといいという根本的誤解

理由1:レベルが高いか低いかだけしか関係が無い

 

新しい書き方だったら対応できるってのは、対応理論。対応できるなら合格できるし、対応できないなら合格できない。皮相的に考えると、これは正しく思えるかもしれない。でも考えれば、すぐわかるんだけど、馬鹿でもアホでも対応できてりゃ慶應が受け入れるなら、アホアホマン大学(アホしかいない大学をこのように呼んでみました。)になるでしょ?そんなこと大学が望むと思う?やるわけないでしょ。だから対応理論ってのはインチキなんだよ。そもそも大学はレベルが高いなら受け入れる、低いなら受け入れないんだ。

以下は、東大合格者の手紙ね。




この子は、牛山が研究計画書を見たの。で、アドバイスして、その通りに書いたの。で、合格したの。新しい指導?意味が分からないな。そんなのやってないよ。意味ないもの。新しいって、そもそも根本的に間違ってる。

 

聞くところによると、うちの塾が、昔収録した授業を使用していて、それが新しくないからダメなんだって批判がどこかであるみたいなのね。だからあえて、わかりきってることを説明するわけなんだけど、、、、、

 

新しいことに価値があるって、その人が新しいかどうかってこと。言い換えると、その人が時代待ちな人なのか、そうではないのかってことでしょ?

 

時代待ちの人だったら自分で本書くでしょ。それが最先端を見せてるんだから。でも人に書かせてるでしょ。ペンネームで出版したりしないよね。

さらに、自分が時代待ちの人だったら最先端の研究ができてるでしょ。

さらに、自分が時代待ちの人だったら論文試験で、点数取れてるでしょ。

AOで落ちてないでしょ。慶應受験で落ちてないでしょ。自分が小論文で点数を取って公開できるでしょ。そして自分の教え子が偏差値87.9になったりするでしょ。新しいことに価値があるってそういうことだよ。それなのに、点数を取れない人が、点数を取れる講師の塾を批判して、うちは、授業取り直してんだぜって、意味が全くわからない。(うーんどういうことなんだろう?????)もしその理屈が正しいならね。

 

新しい出題内容に対応していると点数が取れるわけではなく、思考力、発想力、論述力が高いと点数が取れる。そして新しい出題内容とは、あなたが最新の動向を調べておくことであり、その学習力が高いか低いかであなたの合否は決まっている

 

小論文は、出ることが分かっていてもあなたは点数を取れない。例えば、これが出ますってわかっていても、あなたは、論文テストで点数を取れない。このウェブブックの最初の方で、解答例を出しているけど、そういう風に書けない。だから新しい授業で、新しい内容が解説されて仮に的中してもあなたは点数が上がらない。

 

もしそれで点数が上がると思っているなら、論文試験を根本的に勘違いしている。つまり論文試験とは、知識を書く試験ではない。知識は書いてもいいけど、知識で評価されているわけではない。論理思考のレベルで評価されているんだ。

 

ところで、知識も軽視して、論理思考もなめている人がほとんどなのが実情。知識軽視論ではないのは、解答例を見てもわかるよね。つまり、知識と言うのは、あればあったらいいし、あるのが当たり前なんだ。それを塾に頼っても、塾はそこを伝達はできないんだよ。もしできたら不正に情報を得ているからね。ではどうやって受かるのかって話なんだけど、解答例を見せているよね。あれが、要は受かるプロセスの真実の瞬間なんだ。書くことができるようになっていれば、あんなのは5分で書けるの。

 

ではどうやってそうなるのかってことが大事。何が出てもそういうことができるような力をつけるにはどうすればいいのかってことが大切なんだね。

 

こんな風に言うこともできる。小論文の対策理論に関しては、以下のようなものがある。

 

  1. 構文にはめれば受かると教える理論

⇒大学教授がダメだと言っているので論外

  1. SFCの対策ができていればSFCに受かると教える理論

⇒対応できるから、評価されるからという論拠がおかしい。おかしな問題解決のやり方では全く対応できていないし、質も低くなる。それに、SFCっぽくしただけの答案なんて見破れない教員いないでしょって話で、大学教員をなめてる。

  1. 知識が最新なら受かると教える理論

知識は学力なのであるにこしたことはないが、いわゆるネタを論証などと間違った認識で覚えこむのは悲劇。教員が一つ見て、次の答案にも同じこと書いてあったら、なんだネタかとばれる。その時にあなたの評価が激減。またそういうネタを配布している資料の質の低さと言ったら、目も当てられない。無知な受験生を騙すよい手段になっているので気を付けなければならない。

  1. SFCは問題解決であり、これを知ると受かっちゃうと教える理論

問題解決であっても、そのレベルが低いと受からない。だから問題解決を教えてもらうだけでは受からない。SFC向けというのもまやかしで、よく問題が解決できれば評価は高い、そうでなければ、低い。つまり単なる売り文句にすぎない。

 

教える前に受かったかどうかを教えてください。点数教えて下さいって話で、たくさん受験生をアクセスを(いろいろな手段で)かき集めて、そのなかの才能がある子が、たまたまラッキーで良い点数取ったので信じてくださいっていうのは、信じないことが大切。

 

上記の合格理論が全部大嘘なの。ここまでに紹介しているように、筑波大学の名誉教授や立教大学の石川教授の言で考えてみればいいよ。大学教育なめてんのか?と思われるのは、1とか、2とか、3だよね。4は、論外なんだけどあるにはある。稼ぎたいんだろうね。ブログとか教材とかあるんじゃない。意味がないよ。なぜなら論文は結局書く力で決まるからね。点数の上り幅が極めて限定的だし、教わってるレベルが高くないと意味がない。

 

小論文の対策にしても、英語の対策にしてもほとんどの人が間違っているのは、ゴールから逆算できていないってこと。限られた時間を無駄に使いまくってるの。これは効果的だなと思い込んでることが全く効果的じゃないの。だから受からないんだよ。

 

じゃあどうかって言えば、ライティングの力があって、思考力があって、学習力が高いと、論文は書けるようになる。点数もらえないとダメでしょ。だから、そういうのを一瞬で書けるようにしていくんだ。それが論文の勉強だよ。新しいものを取り入れていって???って???全然意味が分からないな。そんなことやっていい成績取る子が出たら、才能がその子にあったんだね。でもね。例えば学士レベルの試験で全国模試1位ってめちゃくちゃにレベルが低いってことにも気づかないとダメなんだ。どこのレベルで戦ってんだっていう話なの。レベル感がとても大切で、どういう風にレベルを高めていくのかって計画も大事だよ。

 

 

勘違いしてはダメなポイントは他にもある。

そもそも大学って常に新しい何かを研究しているところだからね。だから新しい指導というのが必要なんじゃなくて、常に新しいことをやる大学において、高く評価される何かが必要なんだよ。指導を受ける意味はそこにしかない。

ちょっと事例を見せようか。

 

↑大学出てなくても、レベルが高いと大学院合格なの。

この事例なんだけど、牛山が研究計画を見て、アドバイスして、指導して合格。立教大学大学院も合格、つまりね、対応してるかどうかなんて意味ないの。レベルが高けりゃ合格、低けりゃ不合格。それだけ。

論文については、おおむねなんだけど、

 

学士レベルは0点から100点のイメージ

修士レベルは0点から200点のイメージ

博士課程は200点から300点のイメージ。

 

ということはね、ラッキーで慶應に合格している子は、300点満点中50点程度の実力ということ。

 

例えば、環境で65点取り、合格。総合で50点取り、不合格って場合は、平均点が58点くらいになるよね。それでも60点以下だね。総合で40点とか、30点なら、平均点は、50点、あるいは、50点以下ってことになる。

つまり、50点になる内容を教える50点先生ってことだよね。

 

そういうのを教えてもらって、「最新のやつ」って言ってるのがどれだけまずいかって話。問題がありすぎて、話にならないというか、点数がどんどん下がっていく。冗談で言っていない。控えめに言ってる。つまりに、毎日朝から晩まで過去問題の徹底練習なんていって、レベルが低い書き方が固定化されている人っていたんだけど、目も当てられないくらいに、点数が下がってるのよ。かわいそうだね。だから書いてるんだよ。

その子も信じちゃったのかな。新しい書き方必要で、新しい授業がたくさんあると、新しい試験に対応できるって?ケッサクな理屈なんだけど、騙される人がたくさんいると、笑えないかわいそうな話なんだよね。

 

 

 

 

理由2:論文の書き方に新しい古いはそもそも存在しない

 

⇒最新のUMモデルは、論証効果が検証された世界最先端

まぁ数百年レベルで考えれば、論文の書き方に新しい古いはあるかもしれない。でもね、今の時代に生きてるなら関係ない。もし関係あるなら、古い書き方を大学で習う必要はなくなるよね。そもそもないんだよ。存在しないの。古い書き方なんて。新しい書き方ってのが、ここまでに紹介したように、大学の教授がダメっていってる。

 

-----引用開始-----

 わが国の小論文指導は、多くの問題を抱えています。筑波大学の名誉教授である沢田教授は、『論文のレトリック』(講談社学術文庫)という書籍の中で、市販の小論文の書籍の約95%の内容は不適切な内容であるとの趣旨の言葉を述べています。カンタンに言い換えれば、ほとんどの小論文指導は点数が下がるということです。さらに同教授は、「本当は99%がダメと言いたい」との趣旨の言葉を同著で述べています。妥当な本が一冊も無かったということです。

 一方で、大学受験対策塾を運営する当塾では、全国模試で全国10位以内の報告を多数いただいています。大学院も例外ではありません。旧帝大法科大学院次席合格、東大合格、京都大学合格、小論文全国模試1位3年連続の報告、偏差値87,9、偏差値20台から、約半年程度で慶應法学部合格、全国1万人中10位、などの報告をいただいています。このように、本書でご紹介する小論文指導の特徴は、全受験生の中でトップ1%〜トップ0,1パーセントの成績を実現しているということです。

 本書の著者である牛山は日本一小論文の配点比率が大きい大学である慶應義塾大学SFCに、一発で総合政策学部・環境情報学部にダブル合格し、大学院では、東大卒・東大院卒・東大博士課程修了者、京大卒、国立大学卒の医師が多数在籍するクラスで成績優秀者となり、MBAを取得しています。そして、大学院博士課程の受験においては、2時間で6千字書かなければならない小論文試験で約9割の点数を取得して合格しています。

 なぜ筑波大学の名誉教授は、現在一般的に行われている小論文指導について、『不合格になりやすい落ちる小論文指導』という趣旨の発言をされているのでしょうか。

 なぜ私が指導する小論文(全国の学校法人様で、継続的な指導実績あり)は、このように『上位1%〜上位0,1%の成績取得まで、ダントツ化する小論文指導』なのでしょうか。

 このような事情が起こる理由を詳しくご説明しましょう。

 

――――引用終了-------------------------------

100歩譲って古い慣習はダメなんだと考える人はいるかもしれないね。

古い慣習がダメということと、大学受験の論文の書き方で何が妥当かってそもそも別の問題なんだよね。論文問題を慣習問題に置き換えている時点でずれてる。

 

 

 

 

理由3:伝統を守れない人は、大学での評価が劇的に低い

 

新しいから価値あるでしょ?ていうのは、その対象によるの。新しい学術的発見ならいいよ。だけどね。新しい書き方というのはまずい。なぜかというとね、大学では先行研究を無視した独りよがりな言説って死ぬほど評価が低いからなんだ。つまり、(きちんとやれよ)って思われるだけになっちゃうってこと。

 

何言ってんの?と思われてしまって取り合われないの。

論文の書き方を守ると、何が出てもこんな風に評価される。

でもね、僕にも文章が苦手だった時があった。ぜんぜんかけない時があったんだね。

牛山は大学院在学中に、東大卒、東大院卒、東大医学部卒、東大博士課程修了者、京大卒、旧帝大卒の医師、国立大学出身の医師、ソウル大学卒業者などが在籍するクラスで成績優秀者になった。

博士課程レベルで300点満点中9割程度の点数を取っているので、300点換算すると、270点くらいの点数を取っている証拠。

論文の点数に100点はない。だからほぼ満点。

 

学士レベルは0点から100点のイメージ

修士レベルは0点から200点のイメージ

博士課程は200点から300点のイメージ。

 

こういうイメージが非常に大事で、どのレベルの何を頭にインプットしようとしているかってことがまず根本的に大事。

 

新しいからって?博士課程受けて、新しい書き方で書いたんで8割くださいって言ってもくれないよ。新しい書き方に意味が無いんだから。しかも自称新しいでしょ?

自称新しいって意味あるのかな?

 

そもそも、新しいって、時代待ちの人ってことでしょ。今日撮影したので、価値高いなんてことはひとつもないんだよ。法学部のFITの解答例を見せたよね。つまりああいうことで、スキルがあれば5分で書けるけど、無ければ書けない。

「新しい、三権分立が新しい出題です!!」って言ってみたところで、何百年前からある議論なんだよって話。つまり、出たから新しいって後付けして、追いかけてるんでしょ。先回りしないと意味ないじゃない。そういうのを新しいとは言わない。じゃあ、どういう人が先回りできているんですか?そうです。点数を取れている人です。つまり、点数を取ることができなかった人、今も取れていない人、そういう人が、いくら新しいと言ってみたところで、新しいの基準が不明瞭で、その人の考えが誰が新しいと評価したのかも不明瞭。証拠もない。自称新しいなの。

そういうのをやるとどうなるかというと、

 

(何書いてるのかさっぱりわかんないんだけど・・・)

 

となり、点数が激減。本当にこうなるの。

あのね。大学の先生は、学問の脳みそになっているから、学問のやり取りを学問的な言語で記述していかないと話が伝わらないのね。

そこが、大学での評価になるの。とても難しいことだし、一生勉強なんだけど、ここの感覚が分かるようになると、点数が取りやすくなります。

 

新しいからこの書き方さいこぉーって言うんなら点数見せてという話で、みんな隠すでしょ?それで点数取れてると思うからって話なのかな。

思うからなんなの?と言う話なのね。

思うじゃなくて、証拠が大事だよ。

合格者?だまくらかしてかき集めてラッキー合格したかわいそうな子たちがさらにだましの連鎖に協力しちゃって、かわいそうな悲劇が拡散するじゃない?だから証拠が大事なのね。

 

 

 

 

根本的勘違い1:古い教材の使いまわしに価値が無いのではない、最初から点数が下がることが最も危険

 

今の時代はね、最高のものを一人に教えてもらえばいい時代。オンラインだからね。まずこの感覚がないのがまずい。例えば、思考レベルが高いってどうなの?新しいから思考レベル高いの?関係ないよね。牛山が大学院に在籍してたとき、大前研一さんの知り合いだったソフトバンク代表の孫さんが講義してた。その映像を学べたんだよ。大前先生ならってことで講義してくれたやつなんだけど。

その映像で学ぶとまぁ古いわな。で?

 

僕ならそのへんのお兄ちゃんに教えてもらって時間無駄遣いするのと、世界の孫正義だったら世界の孫正義に教えてもらいたいけど?新しいからなんだって話。関係ないんだよ。新しいだけみたいな情報が今溢れてるじゃない。特にYouTubeはひどい。点数取れない人が新しいからって、AOに落ちた人が新しいからって、教えてるでしょ?君新しいも古いも、どっちにしても落ちてんだよね?と。

AOに落ちた人が堂々と、エッヘンって感じで

「えー、AOの対策はこうです。」

とかって、どの口が言ってんだ?という話でもあるんだけど、新しいからいいのかな。

 

牛山は一発で慶應ダブル合格。2学部受けて、2学部合格。

だから教えてるのね。

 

過去問題の解説なんて意味ないよ。点数取れる人は取れる。取れない人は取れないんだよ。点数取れない人が今も昔もないんだよ。

 

たとえば、昔の天才に今の科学は支えられているんだよ。ブラックホールの研究がなんでできるの?ラマヌジャンのおかげだよ。毎日定理や公理を発見できる大天才がいたんだよ。

 

 

-------------引用開始---------------------

 

写真も白黒の時代にね。

シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン(Srinivasa Aiyangar Ramanujan、1887年12月22日 - 1920年4月26日)

--------引用終了-------------------------

 

そういう人が宇宙の真理に迫る純粋数学の研究をやって、ケンブリッジ大学の研究員として招かれているんだ。あのね。その辺のおにいちゃんが、俺新しいのおもいついたどーーーって言うのと、世界の真理を、原理を発見する研究と知性、何が違うと思う?世界の最先端って言うなら、学術の分野でラマヌジャンのように、成果を出しているでしょ。

 

 

牛山は、大学院博士課程で最先端の研究をやり、ジャーナルに掲載。学会発表。国際会議採録、国際会議発表と今もがんばってやっているよ。最先端っていうのは、自称最先端じゃだめなんじゃないかな。きっときちんと、参加して、結果出してからじゃないと、何も最先端とは言えないよね。

 

ちなみに、論文の質というのは、

学士課程卒論

修士課程卒論

博士課程、博士課程以降で一般的に投稿される学術論文

 

こういう形になっていて、きちんとジャーナル掲載されると一応の成果として見られるのね。そのレベル感というのを知らないのをいいことにめちゃくちゃ言ってる人がいるじゃない。騙されちゃだめよ。人生台無しになるよ。

 

新しい書き方なんでぇーとか、新しい授業なんでって・・・・成果が出てない授業が量産されてるだけの話でしょ。成果が出ていない、効果が実証済みではない、何かよくわからない単に新しいものと、全国模試小論文1位を輩出させた上で、博士課程で満点近く出して、ジャーナル掲載されている論文指導で、変更の必要がないから変更していない授業、つまり、成果が出ることもほとんど実証的である指導とどっちがいいの?俺なら後者しか興味ないけど。

 

 

 

根本的勘違い2:過去に効果が実証されていることを重視できない指導は根本的に弱すぎてなんの効果も期待できない

 

当塾で成果が出ている秘訣の一つは、きちんと何が適切で何について、どうするとどうなるのか、調べた上で教育プログラムが組まれているからなの。リサーチを東工大博士課程にいる牛山がやってるのね。

 

その上で、仮説を立て、ソフトを組み、研究をやり、成果が確認されたことを土台として新しい理論構築を行う。そういうことをやってるから、うちの塾は成果がダントツになるんだ。偏差値27から半年で慶應法学部に受かるんだよ。

でも普通の教育機関は違う。(新しい授業作ってるんで)と言ってしまうところもあるのかな。何の話??としか思えないんだよね。新しい思い付きをその場その場でやってる授業でしょ。そういうことの何がどうなの?だから無意味な練習しちゃうんだよ。練習に意味がないのに。練習って目的が適切じゃないと逆効果なのね。

 

あのね。毎日過去問題の英語を練習している帰国子女なんていないよ。でも彼らは9割とるでしょ。

あのね。毎日小論文の過去問題を解いてなんかいないよ。牛山は過去問1回か2回くらいしかやってないよ。9割平均論文でとってるの公開してるよね。

 

誰が練習しろって言ったの?

落ちた人なんじゃないの?

点数公開できない人なんじゃないの?

 

なぜあなた信じたの?

そこが不思議なんだけど、いろいろたくみに情報操作されてるから気を付けないとだよ。

 

コンサルタントとして、世界一のコンサルティングファームと言われたマッキンゼーのボスに世界一の思考術を牛山は教えてもらったのね。誰に?世界経済のグルって呼ばれた人物だよ。世界一と言われるMIT博士課程を一番に卒業。その後マッキンゼーに入社。アメリカ法人代表となり、日本法人の立ち上げを成功させ、アジア太平洋局長となる。スタンフォード大学で教え、世界一と今なっているオックスフォード大学の記念論文集に論文が採録されている。そして、大統領のパーティーにも招かれるような人物。そういう人に直々に教わったんだ。論理思考、学問、研究者としての心得をね。で、

新しいなんだっけ?俺様が思いついた最強のぉー新しい超絶怒涛の書き方だったけ?興味ないです。

意味ないからだよ。価値が無いの。

新しいだけに価値が無いのね。

レベルの高さしか関係が無い。

質が高い指導を受けると質が高くなる。

 

それで、そういう一流の指導を、塾でも教える。するとどうなったか、小論文全国模試トップの生徒が続出したよ。

 

頭の使い方が違うの。

小論文と言っても書く試験じゃなくて、考え方ことを書く試験なんだよ。

だから考えている内容のレベルが低いと論述内容もレベルが低くなるのね。

で?新しい何だっけ?

必要ないです。

関係ないの、もうさすがにわかるよね。

 

 

 

 

根本的勘違い3:指導者の年齢が若ければ若いほど論文指導、学術指導の分野では危険(御年80歳くらいの東大名誉教授の論文指導が子供ちゃんの指導と比較にならない理由とは?)

 

俺が東工大に入学した時に、論文指導セミナーってのがあって、英語や日本語で論文の書き方が指導される講義がたくさんあるのね。これ取りなさいって指導教員から言われて、ノーベル賞輩出者大学として、学術に力を入れている東工大では、そういう論文の書き方をずっとスキルアップできる環境があった。

 

そこで指導しているのは、新しい書き方を思いついた渋谷や池袋のおにいちゃんじゃないよ。当たり前の話で、東大の教授などです。御年80歳くらいかな。どうやったらいい論文になるのかって、秘訣を教えてもらうのね。で・・・その通りに書いたらどうよ。

国際会議も通ったよ。やっぱり質が高い指導は違うのね。

 

当たり前って話で、何十年研究やってる日本の最高レベルの知性なのよって話でしょ。

そういう大先生が指導してくれる内容は、宝。

俺なら、立派な先生の新しい授業でも古い授業でも何の文句も言わずに受けるけど?

関係ないからね。何も関係ない。

 

 

 

 

 

根本的勘違い4:人を騙してかき集めたアクセスで合格者を量産して騙す言になんの説得力もない

 

なんだかね。人を騙してアクセスかき集めて、合格者が出てるの、かわいそうとしか言いようがない。なぜならそのほんの一握りのラッキー合格の背景に無数の役立たない内容を教わってしまったかわいそうな子がいるから。

今年の合格者が多いって自慢はね、今年もいろいろアマゾンで★★★★★などの偽装工作で大量の被害者を集めることに成功しましたって告白と紙一重なんだよね。そういうことを消費者の人は知らないでしょ。普通の神経してれば偽装工作しないからね。もちろん中には、★5で偽装工作しない著者もたくさんいるよ。そういう人が多い。偽装工作はすぐにばれるよね。見抜き方はウェブ検索するといくらでも出てくるよ。いまだにこの時代に、アマゾンのレビューを信じてるような人、まず検索してください。

Amazonレビューの見抜き方、サクラ見分け方、偽装工作、評判操作などで現実を知らないと、ずっと死ぬまであなた騙されますよ。逆ステマも激しいから。この言葉も気になる人は調べておこう。純粋な人がかもにされてんの。カモがねぎしょって歩いてきてるって昔から言うでしょ。まんまと騙されている人が多いのよ。

 

 

 

 

 

根本的勘違い5:今の時代は、最先端の優れた方法や情報にあふれているというのは勘違いも甚だしく、資本主義の原理で無価値かつ低レベルなものが普及している

 

資本主義社会で普及するのはいいものって勘違いしている人がいるけど、多くのケースでお金をかけたものだよ。騙して稼いでる人もいる。ベストセラー本の中にもそういうのがあるね。気づいてる人は気づいているよ。めちゃくちゃやって暴利を得る会社もアクセスをかき集めてる。質がいいから売れてるんじゃなくて、例えば★5の偽装工作で人を騙してね。そうやって、偽装工作や嘘で、品質がいいと勘違いさせたうえで、仕事をしない。丸投げして、利益だけ吸い取る、それを広告にあてる、そして被害者がまた増える。それでも利益だけ出せばいいって考える人は、そういう違法性が高いと考えられることを繰り返す、どんどん被害者が増えて、塾は大きくなったり、時に有名になることもある。それで合格者も増える。YouTubeもおんなじなんだ。この単純な仕組みに気づいている人も今は少ないのかな。

 

 

 

 

根本的勘違い6:何も教えることが無い人が教えている時間だけ確保していると、教えられた側が何かを学んだ気になってどんどんレベルを落としている悲劇

 

教育って怖いのは何を教えても教育になるってこと。だから無意味な指導があふれている。

何を教えても、教育しましたってなるでしよ。それでその辺歩いている大学生のお兄ちゃんつかまえて、「いいアルバイトあるんだけどう?」って話して、やりますって話になると、あなたにあてがわれるわけ。

 

大学生がダメって話じゃないよ。論文指導には、普通まずいけど、本当に力があれば、一応何かしらアドバイスできるかもしれないからね。でもね。本質的にはそういうことなのよ。それで、教えているうちに何かを話して、あなたが何かを聞くの。それで、一年間で100万円くらいかかってるんだよね。

で、何を学んだの?品詞分解なの?でどうなるの?何が変わるの?何か証拠あるの?

 

よくわからないけど、何かを話してたんだからね。それで生徒さんは満足して、そして変わらずに不合格になっちゃう。でも授業が新しいんだよね。昨日撮影したやつかもね。落ちた人とか、自信満々にAOとか教えたり、慶應に落ちた人が、昨日収録した最新のSFC対策授業なんで、新しいんでって。それで、SFCに一発で両方受かったんですか?って聞いたら、「いいえ、かろうじて一つ受かりました。」っていう話だったりするのね。で、新しいんだよね。新しいやつなんで価値あるんでって。そういうことが起こってるのね。

 

 

 

 

根本的勘違い7:ギリギリラッキーで合格できた人に教える実力はない

 

これもよくある勘違いなんだけど、合格にもラッキー合格があるのね。つまり、ギリギリ合格した人と、トップ合格した人がいるの。トップ合格した人はいい点数を取ってるよね。ギリギリ合格の人は、40点取って落ちて、65点くらいとって受かったんだね。だから間を取ると、平均点数50点ちょっとってこと。それは、「50点先生」って言ってもいい人なんだよ。慶應にやっと一つ受かりましたって。でも受験生は合格者はみんな同じだと思ってるから、合格した人に教えてもらいたいってなるんだ。で、50点の指導を受けて、最新の50点になる授業で50点の頭を作るの。それで試験会場に行くと、50点なんだよね。だからうまくいかないんだよね。でも新しいんでしょ。新しい50点の授業があるんだよね。

 

 

ちょっと思い出してもらいたいんだけど、

 

 

牛山は大学院在学中に、東大卒、東大院卒、東大医学部卒、東大博士課程修了者、京大卒、旧帝大卒の医師、国立大学出身の医師、ソウル大学卒業者などが在籍するクラスで成績優秀者になった。

 

〈重要なので再掲〉

学士レベルは0点から100点のイメージ

修士レベルは0点から200点のイメージ

博士課程は200点から300点のイメージ。

こういうイメージが非常に大事で、どのレベルの何を頭にインプットしようとしているかってことがまず根本的に大事。

 

 

 

 

根本的勘違い8:小論文に必殺技などそもそも存在しない

 

よく小論文はこう書けみたいなのあるじゃない?あれが危険なんだよね。だって違ってるんだから。もちろんね、書き方にはルールがあるようなものでないの。でもね。規範から外れてまともなことができてるならまだしも、まともなことができてないのがまずいんだよ。

受験生は適応しているかどうかを気にするでしょ。あれがそもそもの間違いなの。レベルが低いのに、僕SFCに適応していまーすとか、慶應に適応していまーすとか、アピールされてもうざいって話で、誰なんだよって話。

 

こういう人なら欲しいんだけどね。

ラマヌジャンの才能に誰もが嫉妬したんだよ。一生かかっても見つけることができない数学の真実をどんどん発見するんだからね。君はなんで慶應大学に受かりたいの?自分の優秀さを証明したいの?だったらレベルの高さを見せなきゃ。

あたらしいやつ〜とか言ってちゃダメなんだよ。

せこいまねして受かること考えるくらいなら、さっさと実力付ける方が、急がば回れなの。ほんとだよ。

才能がないって?だから努力するんだよ。努力から逃げたらダメだ。

笑われてもスキルアップするんだよ。その先に合格はあるよ。

 

 

 

 

 

根本的勘違い9:今の時代も昔の時代も頭がいい人、問題解決力がある人はあるし、無い人は無い、逆に言えば、若さ意外に売りがないから若さしかアピールできない

 

昔の人は馬鹿で今の人は、頭がいい?昔の日本人は頭がいいって言われたんだね。なぜか。頭をフル回転させる教育が一般的だったからだ。それが戦後、教育改革で愚民政策に変わったらしい。そこで、何も考えない人を大量に作る教育に変わった。でも、高慢で傲慢な人はたくさん産んだ。それが今の日本。

 

今も昔も頭がめちゃくちゃにいい人はいいし、普通な人は普通なんだ。その時代なりに。

有名さと頭の良さは比例しない。有名でもダメなのはダメ。

超一流はいるんだよ。

 

ここからは、牛山の個人的な空想だとおもって聞いてほしいんだけど・・・・

 

ある所に、あまりにも全国1位を輩出する塾がありました。他塾は、あまりにもその塾が日本で最高の点数を取らせるので、あせっていました。なんとその全国1位輩出の塾は、偏差値87.9などの成果を出していたからです。

そして、あせった他塾は、なんとかしてその塾の評判を落とすことができないかと考え始めました。そして、思いつきました。

昔の合格者や昔の点数は今に関係ないと言って消費者を信じさせることに成功すれば、うちの塾に生徒が流れてくるだろう!こりゃ名案だ。さっそくやろう。どんどん今の新しいやつしかダメだと顧客を洗脳していこう。(まっ、倍率高い時に点数取れるやつが今取れないわけないんだけどなぁ)

 

こんな感じで、思う人がいたりして・・・

なんて、空想小説みたいなことを考えてみたのね。

あなたはどう思うかな?

 

 

 

 

 

 

 

総合全国1位

環境全国1位

三田の学部でも全国1位

 

こんな塾日本にありますか?

うちの塾以外に聞いたことないけど、今の時代は違うんだい違うんだい違うんだいって言う人がいるなら、そうなのかもね。(笑)

先日ジャーナル掲載の報告もらったけどね。で、今日は慶應法学部の合格報告もらったけどね。

 

 

 

 

根本的勘違い10:今年の合格者なら適応できるという勘違いは、適応主義的な適応力さえあれば実力が無くても何かレベルが高いことができるのではないかという期待に基づいているが・・・言うまでもなく、適応するだけの人はレベルが低い

 

ここまでで解説してきたけど、適応しても受からないよ。そもそも適応できてないから。落ちた人が考えた適応理論なんでしよ。真実の瞬間はそうじゃないんだよ。いいかい。真実の瞬間はね。問題用紙をめくった瞬間だよ。文字を読んで、君が何を考えるかなんだ。何がきてもいいようにしておくんだよ。

 

なんらかのテンプレートで受かるんじゃない。

それで受かるって言われたんでしょ?君が。新しいやつだって。

新しいなんだって?

落ちた人が考えた新しい何かなんだよね。

なんでそれ信じちゃったの。

いいかい。受かっててもレベルが高いんじゃない。才能があるってことなんだよ。

才能があることを前提とした指導はね。

才能がないとダメなんだ。再現性がない。

でも才能が無くても受かるやつって言われたんだよね。

誰が言ったの?

なんの根拠があって言ってんの?

ないでしょ。

受かった人がいる?

もうさんざん説明したでしょ。

いい加減に目を覚ましなさい。

ってドラマがあったな。

つまりそういうことなんだ。

 

どう頭を使うとパフォーマンスが高いのかを、点数を取れない人は説明できないんだ。だってできないんだからね。だから過去問題を解説しているでしょう?ここからここまではこれが書いてありますって、説明するんだよ。どうやるのかは話さずにね。

なんでって?

できてたら受かってるでしょう。

できていないから落ちてるんだよ。

だからどうすれば点数が高いのかを説明できない小論文の講師は多いの。

どう頭を使うのか、どう読むのか、どう考えるのか、根拠もないし、できないの。

体操選手で金メダルを取った先生は、体操のやり方について説明できるし教えることも高度だよね。

それに対して、地区大会で敗退した人が、一番新しい方法を思いついて君に教えるよね。意味あるかな?

たぶんないと思うわけだけど、広く一般的にこういう誤解は支配的なんだ。

なぜならば、新しいやつじゃないとダメなんだって、説得しようとしている人がいるからだよ。

 

 

 

 

反論:だって、SFCの特殊性は高いのだから特殊なことができなくてはならないのでは?⇒特殊性に対応する際に必要なのは、技術レベルの幅の広さと深さ(レベルの高低)であり、チンドン屋が、芸を披露しているわけではない。

 

特殊性が高いから特殊なことをやっていくといいってのは、論理に飛躍があるんだな。そのことに気づかないと。言葉だけで考えるから本質を見失うんだ。

特殊性が高いというのは、事実。

特殊性が高いことをやっていくといいというのは解釈だよ。

 

事実と解釈を分けて考えるのが論理思考の基本なんだ。

特殊性が高くても、レベルが高いと通過するんだよ。

例えばね。僕がジャーナルに掲載した論文は、従来の先行研究が間違った定量研究をしていたことによる。つまり、定量研究で検証したしたって思ってたってことなの。

それで論理的でしょうって。

当然ジャーナルだから特殊なジャンルなんだよ。

でも特殊なことを言ったからパスしたんじゃないんだ。

もともと定量研究がおかしいよって言ったの。

そこが一段上の論理思考だったんだよ。

特殊性に対応してジャーナルにパスしたんじゃないんだよ。

レベルを高めていくから特殊なジャンルでも認められるんだ。

逆にね。

 

レベルが低いのにもかかわらず、特殊なぁ〜SFCのぉー、とってもとっても特殊なね、SFCだけのね、問題解決のね、あれなんでね、これってめちゃ対応してるじゃないですかぁ僕以上に対応している人いないじゃないですかー?だから僕合格なんですよね??

 

って、そんなわけないでしょ。

レベルが低いなら、厳しい言い方だけど、ご遠慮願おうか・・・ってなっちゃう。

そういうものなんだよ。

 

だから特殊性に対応するには、スキルを幅広く身に着けると考えるといいの。

例えば、研究力とか、議論力とか、プレゼン力とか、構想力とか発想力とか、そういうのがあるでしょう。

 

そういうやつのレベルをなるたけ高くするのね。

そうすると、対応できるから。

でもね、気にするところが違うの。

 

対応するから受かるんじゃなくて、レベルを高くするから受かるんだよ。

くれぐれも、ここを間違えちゃだめだよ。

 

そこを間違えてしまうから、新しい授業で解決するのかなって思っちゃうの。

出ることが分かっても受からないんだよ。小論文はね。

だからその意味でも新しいって意味が無いの。

ましてや、ここまでに説明したようにスキルのレベルで決まるから、結局低いスキルレベル、50点になるスキルを徹底して仕込まれるとどうなるんでしたっけ?

そうです。

あなたの実力がMAX50点みたいになっていくイメージだね。

 

 

 

 

 

反論:だって、今の時代に合格したってことは、今の時代に適応した今の時代に適応レベルが高いということでしょ?⇒受験生の質が低レベル化している現代において、思考力、記述力の平均値は劇的に下がりつつある。つまり、現代的に合格している少ない母集団通過者のレベルは総じて低い傾向にある。

 

これは笑われてしまう意見だね。

あのね、渋谷の女子高生が選んでるんなら、そうかもしれないよ。だけどね。選んでるのは、渋い慶應の教員でしょう?彼らは渋いダンディーなミドルエイジだったり、それなりに年齢をいい形で重ねていたり、つまりね、大先生なの。そういう人が選ぶ試験でね、今の時代に適応したレベルの高さって言っても、意味が分からないよね。それじゃ彼らは今の若い人じゃないからレベル低いの?そんなわけないでしょ。何度も言うけど、レベルが高いとレベルが高いし、低いと低いの。

そして、大学でレベルが高いって一般的には、どれだけジャーナル掲載しているか、引用されているかなんだよね。

だからおかしなことを気にする前ににね、論文のアウトラインだけ気にしたらいいんだよ。

ちょっと確認してみよう。再度ね。

 

 

【論文に求められる要件】

 

「全体をまとめているしっかりとした論理構成が必要である。」石井(1981)

「論文とは著者の主観的な主張を述べたものではない」「著者の提案する仮説・事実から・・・論理的、理論的に導かれた帰結が書かれている」山崎(2016)

「論述内容が独善的なものでなく、多くの人が納得する的確な内容」(小林)

「論文の基本は問題提起・意見提示・理由説明・具体例・結論」(出口)

「序論で問いかけ、本論で論証し、結論で問いかけに答える」(湯浅)

「あなたが研究方法を説明しなければ読者は理解できず、論文全体の評価が下がるでしょう。」,Hilary Glasman-Deal,(2009)

「次の三段論法が妥当である。[T]問題の正確な把握[U]態度の決定と理論構成[V]結論」(近江)

 

 ここでご紹介している多くの言は、大学教授のものです。

 

 

まとめるとね、問題設定、論証、結論なんだね。

序論、本論、結論です。

ここから外れているのは論文の書き方としてまずい。

最初に意見提示を入れるのは接頭型と言うよ。

点数を取りやすかったりする。

適応主義的な考え方の問題点は、その思考プロセスが非論理的ってことだね。

 

合格した⇒合格した原因は、適応したことだ

これって数学的に考えてもおかしい。PならばQとつながらないでしょ。

つまり論理的じゃない。主張があるだけ。

合格した原因は僕が思うにきっと適応したことに違いない、いや、きっとそうだって、マジで

 

という話なんだよね。

 

問題が違うと、点数が取れないっていうのは、思い込みで、もし仮にその考えが真ならば、大学の先生は、昔の試験にしか適応していないので教える資格を失うということになるね。

論文執筆の実力はできる人はできるし、ダメな人はダメなんだ。

それは回数の問題じゃない。時間の問題でもない。問題の種類の問題でもないの。

そのような考えは、大学の先生をなめてるとしかいいようがない。

つまり彼らは古い遺物だと。

 

違うよ。彼らは、最新のネタに関しても誰よりも早く文献整理するし、リサーチをはじめたら、ものの1分以内に革新的な論文を検索もできる。これが中核的な研究になる、そしてこうすればいい、そういうビジョンが目の前に一気に展開するのが、学術のレベルがそれなりってことなんだ。君たちはだから学びに行こうとしているんだね。

 

あのね、それに大学で教員をやっている先生は、単に難関大卒じゃない。その中で本当に学術についてものになったごく一握りの人たちってことなの。

だから比較するのも本来失礼な話なんだ。レベルが違いすぎるんだよ。

難関大学に進学した程度のレベルとはわけがちがうんだ。

その中の屈指の知性なんだよ。

 

 

それなのにね、

新しい書き方だからとか、これ新しい情報なんでとか、新しい問題は違うんだよねとか、新しい問題だと先生ダメなんだよねって・・・

なめるのもたいがいにしないとダメだよ。

 

 

何度も落ちる人はね。本質的に実力を見誤っています。

自分の実力、先生の実力。

あの人あほなんだなぁとか、現代人はすぐに思っちゃうの。

先生も神さまじゃないんでしょって、尊敬しない人今多いでしょ。

なんだったら先生はアホで自分は頭がいいとか思ってしまっているの。

謙虚でなくなったんだね。

人は今どんどん傲慢に、高慢になっているんだよ。

そのことに気づかないといけないんだ。

なぜそうなったのかって。

考えたことあるかな?

 

無論、みんなに実力がないって言ってるわけじゃない。

皆才能の塊なんだよ。

 

だけどね。レベルはあるの。

今のスキルは未熟なんだよ。

だからたいそうなものを書いたって絶対に思っちゃだめなの。

恥をさらしてるんだよ。

僕も含めてね。

 

でも成果は発表しなくちゃだめでしょ。

だから、謙虚に学び続けて、教えてもらい、実力を高めるんだね。

手っ取り早く成果を出そうとしちゃダメなんだよ。

 

いいかい?

先生を馬鹿にしてはダメ。

こんな当たり前のことを言わないといけない世の中になってしまったんだ。

先生の優れたところを吸収するんだよ。

 

新しことあたらしいことって、本質を見失っちゃだめだよ。

パスすることだけ考えたらダメだ。 先生の優れたところを教えていただいて、少しでも自分をレベルアップさせる、それで受かるんだよ。

こんなの言うまでもなく、当たり前のことでしょ。

 

 

原因を書いて対策案を書くとかやってると、以下のような論証になってるの。

 

 

 

 

これ、めちゃくちゃ恥ずかしいことなんだよね。

そこに気づかないとダメ。

点数ってそもそも、論証モデルで決まってるんだよ。

ある程度ね。そこだけじゃないけど、論証モデルがダメだとダメなの。

 

 

 

 

--------引用開始---------

有名な論証モデル3 トゥールミンの論証モデル

 三段論法の不十分な論証を補う方法として、トゥールミン(以下、かっこ書きの内容につき、一部ウィキペディア引用:ケンブリッジ大学で博士号取得。オックスフォード大学講師、リーズ大学教授、1965年に渡米、南カリフォルニア大学教授)は、新しい論証モデルを提案しました。次の図が彼の提唱する論証モデルです。

 

図:トゥールミンの論証モデル

 

 




 それぞれのパーツを説明します。

 

【トゥールミンモデルのパーツ説明】

 

[主張:Claim]・・・仮説のことです。

[データ:Data]・・・主張の裏付けとなる根拠、事実、FACTのことです。

[理由付け:Warrant]・・・論拠、理由のことです。

[裏付け:Backing]・・・理由の裏付けのことです。

[限定:Qualifier]・・・たぶん、きっと、おそらく、必ずなど主張の強度のことです。

[反証:Rebuttal]・・・論拠の保留条件を提示することです。(〇〇である限りは)

 

 例文で確認してみましょう。

 

〈例文〉

 死刑制度の存置は認められるべきではないと考えられる。(主張)(限定)なぜならば、完全なる司法判断が技術的に可能になるまでは、常に間違いによる死刑執行があり得るからである。(理由付け)(反証)冤罪による死刑執行事件がかつて起こった。(データ)

 

 このような論証モデルをここで確認する意味はどのようなところにあるのでしょうか。ある文章が説得的である、あるいは、論理的であるためには、「論理にもれが少ないこと」、「記述内容に論理的連関があり、意味のある記述内容になっていること」などの条件が必要です。

 トゥールミンの論証モデルは、いい加減に書かれた文章に比べて、論理的であり、論理に飛躍が生まれにくいという点で、優れた論証モデルの一つと考えられています。

 

-------引用終了-----------------------

論文はこの論証モデルが反映されていくと、論理にもれや重複が無くなっていき、自然と論理的な考察がより一層できるようになる。

これがないと、いい加減に考えてしまうんだね。

ただ、この論証モデルも不十分なところがある。

そこで、新しい論証モデルを牛山が提唱したのね。それがこの牛山モデルで、UM。


 

この論証モデルは、何を根拠に提案しているのかと言えば、これを使用する人の推論能力が高まったのね。それを発見した上で、提唱しています。

だから最新の内容っていうのは、自称すごい方法じゃなくて、多くのケースで学術の分野にあるんだよ。

 

 

 

 

 

反論:今の時代に適応しているのだから、今の時代のやつがあるってことでしょ?⇒論理思考は時代と空間を超えている、つまり、どこかの地域専用論理などというものはないし、どこかの時代専用の論理もない。フェルマーの最終定理という300年続いた数学の難問について功績を出せた人物は優秀で歯が立たなかったのは力がない人、それだけ

 

今の時代の問題と認識すると、それが普通の問題でも、今の最新の問題ってことになるの。

だから本当は選ばれた問題であって最新の問題というわけでもない。新しい出題に対応できる何かを考えている人っていうのは、技術を根本的に勘違いしているだね。

 

つまりね、新しい時代の論理思考とか?それはここまでに紹介したように例えばAIや工学的なものかもしれないけど、基礎的な研究は重要になるし、時代を超えて原理なんだよ。だから今の時代で論理がダメなら過去でもダメだし、過去に活躍した人は、高度な論理思考をできる。君がフェルマーの最終定理について、いくらかでも貢献できたか?おそらく文系なら無理にもほどがあるんだけど、世界中の数学者がよってたかって300年どうにもならなかったの。それで、新しいなんだって??という話で、もともと数学できない、論理思考がダメという人が、いくら今の時代ですごいと言ってもなんの説得力もあるわけがないんだよね。

 

論理は地域別じゃなくて、世界共通なんだよ。これは僕のお師匠さんに教えてもらったことで、世界各国どこに行っても通用すると。だけど非論理的に考える人は、新しい問題だったら、それは新しいのであるからして、新しい考え方が必要・・・なわけないだろって話。つまり、レベルが高い人なら高度な思考ができるし、低いならそれなりってだけなんだよ。教員がいくつかの候補から問題をチョイスする。それについて考える。つまりね、長々と書いたけど、「これについてあなたどう思うの」って、これだけなの。

 

論文試験では何百年もそう聞かれていて、アホなこと言えばアホだと思われてしまうし、それなりの内容を回答すれば、それなりって評価される。そこでチョイスされた内容が、新しいの古いのって言っても仕方がないのね。

 

だから、そこに対して新しいものを用意するとか、しないとかってのも意味がない。

 

もう一度言うけど、その新しいというのは、価値を分解すると、@効果、A新規性、B進歩性のことなんだ。その新しいって何のことを言ってるの?と問われて、新しいってことは新しいってことです・・・みたいな回答が一番まずいのね。

要はこういうことだよ。説明できないとだめ、プレゼンできないとダメ、構想立てられないとダメ、学問できないとダメ、研究できないとダメ、読解できないとダメ、論述できないとダメ、論理思考ができないとダメ、クリティカルシンキングができないとダメ、発想力が無いとダメ、

 

こういうライティングや、その他の思考力すべてをもって、評価されているの。

新しいことに対応できている配点が、100%中100%あって、新しければ合格じゃない。

だから、そもそも新しいということが何かもわからずに、新しい何かをやろうとしているってことがめちゃくちゃレベルが低いのね。これらの各スキルをどれだけ高度にできるかが勝負だよ。いいかい。

 

昔AOで落ちたけど、今は新AOになっているから、大丈夫、俺の言うとおりにすれば合格するから、AOは俺に任せろって言われても説得力無いでしょ。新しい授業がどうのこうのってこういう話なんだよ。牛山は東工大にプレゼンで合格している。それでプレゼンを教えているのね。

 

 

 

 

反論:今の問題解決と昔の問題解決は違うのでは?⇒

 

(かわいそうに騙されてしまって・・・)問題解決の最先端は、ジャーナルであり、学問の最先端もジャーナル、大学の最先端もジャーナル、そのジャーナルに掲載できる論文を書くことができる能力が欠落している人が、いくら最先端と騒いでも、公衆トイレの書き込み議論とレベルが変わらない。そんなにレベルが高くて最先端だと主張するなら、そもそもジャーナルで勝負ができている。(牛山はジャーナルにどんどん論文をアクセプトしてもらっており、国際会議にも出席)

 

 

 

ここまでいろいろと、新しい傾向に対応した新しい授業必要とか、そういうまぼろしのような言説について説明してきた。

 

要は分かったと思うけど、点数が低かった人、自分が受からなかった人、AOに落ちた人、点数を取れない人、点数を公開できない人の言い訳だと思うよ。

 

そういう人が、新しいのじゃなきゃだめっ

って言ってるんじゃないかな?

 

そもそもその新しいという概念がうやむやであいまいでいい加減だったでしょ?論文がある程度できるなら、新しいということについて価値があるのは、@効果、A新規性、B進歩性って定義できるよ。つまり、@〜Bまでの指標で高度なものは、確かに一定程度価値があるかもしれない。

でもな。その辺に転がってる本から書き写したような授業資料配布して、これで、昨日撮影したやつなんで、新しい授業だから、うちの塾はちゃんとやってんだって言い張る人いるとまずいと思うよね。意味がないからだよ。その前に、自分が点数取りなよってなる。

 

点数が取れる人はすぐに見抜ける。価値がある新しさを定義するならば、@効果、A新規性、B進歩性みたいにね。ほかにも考えることはできるかもしれないけど、ここはそもそも考えてもあまり意味がない。

ここまでに紹介したように、現実はこうなってるんだ。

 

 

スキルを分解して、評価されるポイントを限界まで高度に高める。

これで簡単に受かるんだよ。

今日この内容を書いているのは、2020年11月2日なんだけど、慶應FITの合格報告だったのね。

やることは簡単。

どうやって受かるかと言えばね。

 

ステップ1

志望理由を見る。20点くらいだったのでアドバイスして80点に高める。

 

ステップ2

課題論作文を見る。アドバイスして80点くらいまで高める。

 

ステップ3

面接を見る。アドバイスして80点くらいまで高める。


これで激戦区の関東でも合格なの。

わらっちゃうくらいシンプルでしょ。

新しいこと?何が新しいの?三権分立が出たけど新しいの?

新しくないよ。

古い概念を現代に適応すると新しい概念になるよね。

そんなの何百年も学術がやってることだから、ことさらそのことが新しいってわけじゃない。問題はその作業をどのレベルでどのスピードでできるかでしょ。

 

このサポートした子は、四苦八苦して、何度も何度もメールで文章を私に送ってきたの。傍目に見ても、相当努力してた。何度も質問してきた。何度書き直して、それで牛山からアドバイスをもらったんだよ。あの本読んで、論文呼んで、しっかり先行研究調べてってね。

それで歯をくいしばって、土俵際でとてもがんばったの。

何度も全然だめって突き返されてね。

それでもめげなかったんだね。

牛山もめちゃくちゃに忙しかったけど、その中でサポートしたんだよね。それで、よくなった。合格。シンプル。

 

何が新しいの?三権分立?それを今の社会にあてはめること?その出題内容?

違うよ。

できた内容がそれなりなら、合格で、そうじゃないと不合格ってだけ。

新しい授業じゃないと対応できないの?


冗談。誰が言ったんだよ。点数が高いと合格で、低いと不合格なんだ。

シンプルでしょ。

誰が新しい内容があるって君に言ったの?

新しいって具体的に何なの?

新しい論文と研究なの?

読めばいいじゃない。

読んだの?

何本読んだの?

きちんと読んだの?

そこが重要なんだよ。

読まなくてもいいとかいい加減なことを教わっている人がいるでしょ。

だからダメなんだよ。

だからその指導者は落ちてるんだよ。

気づきなさい。

きちんと大切なことに。

 

牛山は解答例を作るときも、5分程度先行研究を調べて、高校生が見る解答例だけら、知らない法学の分野だったけど、5分で論文読んで5分で書いたよ。

そういうことなんだよ。

一方で何年やっても受からない人もいるでしょ。

インプットが違うの。

考え方が違うの。

アウトプット方法が違うの。

新しい?

新しいインプット?

はぁ?何の話なの?

何冊一日読めるの?

新しい方法で読んで2冊なの?

じゃあ及びじゃないんだよ。

牛山は20冊一日に余裕で読めるし、

書くスピードは普通の人の10倍くらいなんだ。

新しいなんだって?

何が新しいの?

どう新しいの?

意味あるの?

無いんだよね。

つまり、

現代がめちゃくちゃに時代遅れなの。

 

そのことにほとんどの人が何も気づいていない。

まだ時代は、まったくうちの会社に追い付いていない。

残念だけど。

研究ってもともとね、世界がとても時代遅れなのを先に進めるためにやってるところもあるよね。それで掲載されるってことは、時代を追い付かせてるんだよ。

時代遅れなこの現代社会の最先端と思われているのを、本当に最先端に乗せるのが研究だよね。

そういう意味もあると思うの。

 

それは牛山がすごいからじゃない。

先人がすごいの。そして運が良かっただけなの。人様のおかげなのよ。

天からの届け物かよってアイディアもたくさんあったよ。

牛山はそういう巨人の肩に乗った。

新しいやり方を提唱する池袋のあんちゃんの肩に乗ったんじゃない。

 

世界のグルって言われた大前研一先生の肩に乗り、東工大の博士を二つ持っているような先生の肩に乗らせてもらってるの。景色が違うのね。

 

つまらない新しい方法なんて及びじゃない。そんな時代遅れすぎる、成果も出せない、出ていない、今やってるだけの時代遅れに何の興味もない。だから世界の最先端のジャーナルに今日も論文を投稿してアクセプトしてもらい、英語で国際会議で発表して、ジャーナル掲載してもらう。

 

 

 

それが最先端なんだ。

本当の最先端のごく一部にすぎない、

それでも、まだ先端的とは言えない。

 

 

だから君が新しいかどうかをどの次元と考え方でとらえるかってことが大事なんだね。

 

決して、見失わないように、

見誤らないようにね。

 

 

牛山より

 

 

あなたの未来が輝くことを願って。

 

 

2020年11月2日

 

 

ここで終わるつもりだったんだが、そうそう。

―論文試験で平均9割点数を取る著者が教える「単に新しいだけの授業」と、「全体系が学べる高品質小論文指導」の違い―

 

という副題をつけたんだった。

全体系が学べる高品質小論文指導ってなによ?という人は、ここから読んでほしい。

 

あのね。授業なんて、つまらないものです。

未だに新しい授業は追加するけど、より一層厳選するようになっているのね。

だってさ。

授業を見て、何かを教えてもらってね。

その違いが品質で分かる人なんてほとんどいないのよ。

もしあなたが小論文授業の品質を見極めることができるなら、最低でも、大学教員レベルってこと。

それは、博士号取得レベルってことでしょ?

そんな人ほとんどいないって話で、

それで、どんな授業を受けたって、わーっとはならない。

それに、直接教えても、結局ほとんどの生徒は目先の効果ばかり気にするものなのよ。

 

気にしないといけないのは、成果で点数を取ることなんだけど、

すぐ読めるようになる

すぐ点数取れる

すぐ表現力上がる

すぐ思いつくようになる

 

こういうすぐが好きなのね。

で・・・そういう授業もたくさんある。

だけどそれだけだと、実力アップが限定的になるから、体系的にしっかり学べて、ダントツになることができる体系があるのね。

 

それが慶應クラスや文和会の授業。

まるっとね。いろいろなスキルを身に着けることができるようになっています。

授業と言うのは新しいとダメだと思うのね。

 

なぜかっていうと、ここまでに話したように、新しいだけになるからだよ。

それ以外に何も売りがないの。

そうじゃなくて、到達地点で考えないとダメ。

つまり、小論文の授業の価値は、どのレベルになるのかって話なの。

 

おもしろいかどうかとか関係ないです。

すごい感じがするかどうかも関係ないね。

新しいかどうか?もういいよね。意味ないね。

 

そこで大事になるのが、そもそも小論文試験で博士課程の入試レベルで9割くらい点数が取れる講師はほぼ存在しないということ。

私が知る限りいない。

 

自分の点数を公開していない。

成績優秀者にもなっていない。

だからまずこの時点で到達地点が低いということです。

 

授業を見ても、博士課程レベルで9割くらいの点数にならないということは、50点くらいの点数になっていることが多いということ。

300点満点で50点くらいの点数になる授業、・・・・これが最新ですよと。

 

そういう塾が多いわけです。

当塾は50点、になる授業がとにかく新しいです。毎年新しい授業をとって、みなさんに、50点をとってもらうということでやってます!

とは、言ってくれないからね。

でもそういうことなんだね。

 

だから見た目の派手さとか、解答例とか、何にも気にしないことがめちゃくちゃに重要。

つまり、全体の無料系情報の95〜99%くらいの小論文情報は、50点の指導ということ。

 

そういうのを朝から晩まで見て、(どうやったら点数上がるんですか?)とか、(今から間に合いますか?)とか、(どんな風にあなたの塾では、勉強を進めていくんですか?)とか、なんの関係もない質問なの。

 

点数が取れないことをやって、いくら何万時間授業を受けても意味がないし、時間が無くて間に合わない時は、点数を上げるしかないの。今から間に合わせたかったら点数を上げるしかないの。FITでも同じなの。AOも同じなの。AOはプレゼンだったでしょ?だからAOの塾じゃないと・・・ってまた考えるでしょ?レベルが高いか低いかしか関係ないの。

大学が評価してるんだから。

 

やってみて、とっつきやすいかどうかも関係ない。

わかりやすいかも関係ない。

続けられるかも関係ない。

品質がいいかも関係ない。点数が取れたら品質がいいから。

 

 

こんな風に残酷かもしれないけど、ちょっと言うのはばかるけど、ほとんどみんな関係ないことを気にしてる。

 

慶應に受かるのって死ぬほど、気絶するほど簡単だよって。

またまたー牛山さん、冗談顔だけにしてくださいよってなるの。

 

でもね。300点満点で270点くらい取る人がね。

50点やそこらの試験で、60〜65点、なんだったら70点取りたいですって人が目の前にいたとして、(うぬぬ〜)ってなりますか。なりません。

事実めちゃくちゃハードル低いから。

でも、慶應大学でしょ。天下の。

あの天下の慶應で、東大か、慶應かって、そういう阪大けって進学するところ、日本トップの、政財界を支配している、日本屈指のエリート大学、あの慶應って、思ってる人がいるのね。

 

そうなると、牛山さん冗談顔だけにしてくださいよってなる。

もう一度言います。270点取れる人、65点取らせるのアホみたいに簡単です。

 

ついていくかいかないかだけ。

他に道なんてない。

これしかない。

点数が一番上がる道。ここ。

こんなイメージで僕は考えています。

 

 

 

こういう成果が、逆立ちしても出せない塾ってあるの。それは教えていることがダメなんだ。それで、彼らはどういう手段に出たか?

 

以下空想ね。現実とは何の関係もない空想なんだけど。

そうだぁ、今は関係ないってことにすれば、全国1位、偏差値87.9、ダントツの合格、トップ合格、日本最高の実力、こういうのをなかったことに、でで、できるんだなぁ・・・・とか、思いついた人がいたりすると、社会が混乱するね。

 

以上、空想終わり。

 

そりゃさすがに傲慢だわ〜って思う人いるかもしれないけど、どの先生も自分の点数すら公開していないの。

で、誰も研究していないの。

僕だけが研究してるの。

そして、私だけ点数公開してるの。

それで、私だけかな?3年連続日本一の報告を受けているの。

 

それでも、まだあなたは50点の指導を受けて、落ちた人から受かる方法を教わろうとしているの?50点先生に50点になる方法を教えてもらって朝から晩まで50点になるやり方で、50点取れた人に教わった内容で合格点を取ろうとしているの?なぜ?

 

ここが良くわからないのですね。

必要なのは体系です。

体系っていうのは、いろいろな技能が必要でしょう。

でもね、小論文でカップラーメンみたいにみんな教えるの。教えることができないから。なぜかというと、自分ができないからなの。

 

牛山の指導を受けている人はみんな知ってると思うけど、できないのを目の前でやって見せるスタイルです。で、その時にどう考えたのか、どうやったのかを教えているの。9割のアウトプットができるやり方だから、みんな点数が上がっていく。

小論文もね、その人のアイディアを聞くでしょう。

それじゃだいたい点数取れないのね。

もし牛山が同じことを述べるとしても合格点取れるよって見せるわけ。

こう変えたら受かるよって。

FITだったらそれでも合格だし、AOだったら、危うい路線の人以外なら合格できちゃうってなる。ただ、AOの場合は、そもそもの提案内容が受からないとか、英語ができないなどで、厳しい人がいるでしょ?だから受からないってだけでね。どちらにしても一般からめて行けば、受かるのなんてめちゃくちゃ簡単。

 

なんだけど・・・・SFC対策〜って、落ちた人とか、受かっていない人のブログとか、一生懸命見る人いるじゃないですか。

なんのためにやってるのか、よくわからない。正直、申し訳ないけど、そもそも成果でてないことを教えても、成果出る道理が無いから。

だから配点とか気にしちゃうのよ。ブログのお題が決まって配点だったりして、配点についての予測とかしてんの、これは何点だ、いや、何点なんだ、なぜかっていうとねって・・・・

 

これ落ちる人の発想なんだよ。

だって点数取れる人だったら、ぱって問題見るでしょ。

ここで点数取ったら合格です。って、3秒で即答するよ。

で、2時間もかけて解説しないよ。

解くのは一瞬なんだから。

「注目ポイントはここです。で、こう考えます。そして、こうやります。これで点数高いです。」以上解説終わりなの。

なんだけど、点数が取れない人が解説すると、ええと、まず一行目から読みますとか、なんとか。

いや、読解の授業なら意味あるけど、読解に体系もないし、独自のメソッドもない、ただ、50点の解釈がずっと続く。そんな地獄みたいな時間なんだけど、目をきらきらさせて騙されちゃってる受験生がいるんじゃないかな。かわいそうなんだけど。だから今すぐYouTubeとじなさいってそういうことなんだよ。暇じゃないんだから。やることめちゃくちゃあるからね。

それで、やることやれば慶應は簡単に受かるんだよ。

当たり前だよ。

300満点で270点くらい取れる人が、60点くらい取れば受かる試験に受からせるの簡単なの。比較されるのも失礼なんだよ。次元が違うんだから。

 

シンプルに言えば、そういうことなの。

つまり、教えてもらう時に最高のものを一点だけ。

足し算にならないから。引き算になります。

いろいろ加えてショッピングしていくとね。点数が下がるよ。

だってアウトラインからいじくられるし、点数が取れない発想法、思考法を教えられるわけでしょ?そこで無駄なことするじゃないですか。

そんなに試験時間に暇なんですか?って話なんだけど、いろいろと足していくと、いいものを書くことができるようになるって受験生は思うんだね。

そこが根本的な間違いなのよ。

 

 

英語が4割しか取れません。慶應の英語が難しいですって子がみんな8割取るようになるの。当たり前よ。

リサーチしているんだもの。で、問題解決しているから。

英語に塾はいらないのよ。

不要です。

何で行ってますか?何を教えてもらっていますか。頭に記憶が無いと読めないのに。でも正確には記憶だけがあっても読めないの。

正確には、理想的な記憶×読解力×解答力なのね。ここが分かっていない塾はあなたの点数を引き上げられません。

これが体系なのね。

解答力で点数の引き上げ実績がある授業、これ2時間見てもらったら、すぐ10%は最低点数が上がる、そういう授業を何で取り直すの。意味あるの?価値あるの?さらに点数上がるの?何が出ても点数取れる授業なのよ。

新しいことに振り回されてクルクル解説が変わるだけ、点数取れない、そんな授業に意味ありますか?ありません。

 

なぜ体系を構築できるのかと言えば、なにがどうなって、点数が取れるようになるのか、はっきりわかっているからよ。誰がわかるの?研究してるからでしょ。なんで研究していないおにいちゃんが分かるの?分かりませんよ。大学生のコンサルタントは、ここがだめ。

 

ここで解説しているようなことを、一つ一つクリアしていくの。

 

私についてくれば、東大か、慶應、東京一工早慶医学部に入れます。そして、医師、会計士、弁護士にします。

 

誰でもね。

リサーチ?もしていますよ。私がなぜ弁護士と本を書いたと思う?リサーチのためよ。

 

開成高校出身の旧司法試験、3パーセントの鬼もはだしで逃げ出す合格率の時代に、司法試験に合格した弁護士と、本を書いたの。

 

で、論文対策も教えてもらったの。定性研究よ。

誰がやってるの?

学歴自慢の人の勉強法にどれだけの人が騙されていますか?

なんのリサーチもしていない人の言い分に。

記憶術世界チャンピオンが、すごいね。

で、何を教えるの?

トランプの順番の覚え方??

 

出ないよ。入試に。だからだめなのよ。

問題解決が必要ってことでしょ。

冷静にならないとだめ。

 

でも、今どうですか?記憶術のYouTube見て、何が解決しますか?

問題解決していない、再生回数伸ばしたい、だけの人がどれだけ多いですか?そういう人が、AOに不合格になっているのに、堂々とAO対策の授業やってるでしょ?人に解答例書かせて、お金払ってやってもらって、それで、模範解答って書いて、本出してるでしょ?

 

そんなの喜んで読んで、朝から晩まで真似して、そもそも自分で書いても50点しか取れない講師が書いた、書いていないけど、人に書かせて、自分で解説しているのをあなたが見て、なんで点数が上がりますか?

上がる方がおかしいと思いませんか?

 

俺は思うね。合理的に考えないと。だからグーグルダメ、ユーチューブダメ、にちゃんねるダメ、アマゾンはまし、でもアマゾンはあなたを待ち構える悪い業者で★★★★★とうその評価がいっぱいだね。で、★と、悪い評価を競合につけてね、あなたが騙されるのを待ってるのよ。怖いところです。

そういうところで不用意に、変な本を買うと、まんまと騙されて、授業料を払って、50点取れる大学生のおにいちゃんをつけられて、90%くらい、ピンハネされてて、塾長はぜんぜん働かないで、点数上がらないで、落ちちゃうでしょ。そういう構図になっているよね。

 

うちの塾の悪いところをいっぱい教えるとね、まぁ頑張る必要があるね。

頑張らずにって人、ご遠慮いただきたい。

それから、きちんとしたノウハウでまがいものじゃないんで、きちんとやる必要があるね。身に着ける必要もあります。

だから、この構文にはめれば、たちまちあなたも、慶應SFCにめちゃ一瞬で評価されるようになって、合格まちがいなしみたいな、そういうことは言わない。

どう型を考えればいいのかを教えるわけね。

だから思考力を要求される。

思考力を鍛えるからね。

思考力のトレーニングをせずに、はめる練習ばかりやっている人がいるでしょ。何の試験なの。文章はめる試験をあなたは受けるの?ってことなんだけど、そこを間違うと全然上がらないからね。

 

それからね。授業がたくさんあります。

無意味な過去問題解説がたくさんあるわけじゃないからね。

50点取れる人の解説が意味ないの。

270点取れるなら意味あるよ。

そうじゃないのに、なぜ意味がありますか?

なぜあなたが点数を取ることができるようになりますか?

そんな道理はどこにもないね。

だから、きちんとしたことをきちんと学んでいく必要はあります。

で、たくさん学ぶことがあるので、大変だね。

それから研究も教えます。

本当に、文章を読むってのはどういうことか教えます。

その辺のわけのわからない速読スクールで教えているような内容とは違います。

そういうのはいいのもあるけど、少ないよね。

で、そういういい面は、当塾の授業には含まれてるから、その上で体系なの。

 

 

 

これを見てもらったらわかると思うけど、体系なんだよね。普通の速読スクールが教えるのは、速読だけ。そして、50点取れるかどうかって人が講師です。

だから本当の読み方を知れないのよ。

 

牛山がフィットの解答例を5分で調べて5分で書いてるでしょ?うそって思った?じゃあ長崎大学の問題で、2時間で6000時書く試験で、どうやって間に合わせてるの?15分で1000文字書いていかないと間に合わないよ。

15分で1000字書くのをタイピングすると3倍のスピードに簡単になります。手書きだから厳しいのね。高速タイプできるから、5分で書けるの。何の迷いもないの。

 

論文をぱっと見て、上から下に視線を走らせて、内容を把握して、書くの。ここがポイントってすぐわかるでしょ。そういう読み方です。

 

論文テストで点数取れない、発想できないって、順番が違うのね。考える順番が違います。

 

このように、点数を取ってるでしょ。50回くらいの論文試験で最高レベルの点数だと成績優秀者になる。一発だけとかそういうのではないのね。

 

なぜこんなことができるのかと言うとね。

全部のスピードが違うから、全部違うからなの。

資料の集め方、読み方、注目ポイント、マーキング方法、情報収集、情報編集、情報活用、ノート術、全部違うの。

 

これをほとんどの人は軽視してるのよ。

だから難しいわけ。

試験が難しい、パフォーマンス発揮できない、点数取れない、受からないってなる。

もちろんうちの塾だと、身に着けるのも大変かもしれないけど、まるっとやれば青天井で伸びる塾なのね。ここが大変でよくないところかもしれません。

 

まあ、そんなことすらダメだっていうなら、早慶とか、二度と言わない方がいいと思うけど、

 

あなたの目の前に現れる人はいるからね。

必ず。

 

ぜんぜんやらなくていいよ、才能不要だよ、こんなに薄くていいんだよ、一日わずかこれだけね、それで受かるんだよ。ほらぁ〜受かっているでしょう?そうなんですよ。受かっているんですよ。だから大丈夫大丈夫って、

 

何人落ちてんだって話なんだけど、

そういうのは教えてくれないの。

こんなこと↓考える人も世の中にいるかもね。

どうやってかき集めたアクセスで被害者出てんのかな?って。

Amazonの中で1位の実力があるってわけじゃないけど、そういう風に錯覚させてしまうような表現を用いて、アクセスを集めたりすると、そういう被害者合格者みたいな人がたくさん出るんじゃないかな。

合格率なんて、教えても嘘でしょ。嘘ばっかりつく会社の場合はね。

 

そもそも、ナンバーワンじゃないのに、ナンバーワンと名乗ってみたりね。

いや、違うんです、過去数十年間で、1〜2時間だけ、瞬間的にカテゴリランキングでナンバーワンになったんで・・・って。

 

それ誰でもなれるから、ナンバーワンじゃないんじゃないの?僕もなったことあるけど、じゃあ僕もナンバーワンってことでいいの?と聞いたら、たぶんだけど、

 

いや、ナンバーワンってことに僕がなってるというか、宣伝しているので、ナンバーワンは僕だけってことで・・・ってなるんじゃない?

 

そういうのってそもそもナンバーワンって言うのかな?

普通言わないというか、瞬間風速で一瞬だけカテゴリランキングみたいなちっちゃな領域で1位になったからって、

 

俺がナンバー●ンの小論文講師とか、言えないと思うんだよね。

 

おかしな形でナンバーワンって言いまくっている人って世の中にたくさんいるよね。

だから、お金が欲しいのかな?そこまでして、って思ってしまったことはあるけど、実際はどうなのか、知りません。

ただ、言わない方がいいよね。ナンバーワンじゃないでしょ。

あとね、ナンバーワンなんだったら、慶應大学とか落ちないと思うのね。落ちてる時点でナンバーワンじゃないと思うの。たくさん落ちてない人いるからね。

 

そんなわけで、うちの塾では、本当に点数を取ることができる人が、点数を取れる、上げる方法をめちゃくちゃたくさん教えているので、学ぶのはそれなりに大変ということ。

ここが唯一というか、弱点かもしれないね。

 

そんなわけで、この問題を解決するために、授業に必須かどうかを見分けるマークがついていて、時間が無い人はそれだけ見てねって感じなのね。

 

牛山は授業というのは、原則として問題を解決するためのものだと認識しています。つまり、授業の目的は、点数を上げることです。ここが受験産業の授業と公教育の違いね。

 

だから無意味に更新される授業などには興味が無いのね。意味がないから。更新することに意味がないの。何点取れるんですか?あなた何点取れたんですか?何度とったのですか?どのレベルのテストなんですか?学士?修士?博士?ってことしか大事じゃない。そうすると、必然的に授業が絞られていったの。つまり、三角形のような形でだんだんと、収録する授業が少なくなり、今完全体に近づいたって感じなのね。

 

授業のタイトルは、その意味で、秘匿性が高いから、非公開にしているの。

部分的に公開しているものもあるので、それはチェックしてみてほしいのね。

図にすると、以下のようになっているのね。

 


以上が、牛山の授業論でした。(予備校用ね。)

 

10点のアイディアが80点、90点になる魔法

 

牛山のところに持ち込まれる相談というのは、AOや、FIT、の将来構想、研究計画、事業構想など。

こういうのは、1時間以内に、10点くらいから80点90点くらいまで上がることが少なくない。

 

なぜそれができるのか?

証拠を出しているように、もともとできるからというのは、当たり前だけど、各種スキルがあってそうなっている。

だから目の前でやって見せて、すぐに点数をあげてしまうのが、全体の8割くらいかもしれない。

残りの2割は、アイディアが持ち込まれたものなので、どうにもならないこともあるかもしれないけど、

少し控えめに言ってる。つまり、9割くらいは、だいたいすぐに点数が上がってしまうかなと。

 

つまりここが、慶應クラスの一番の強みの部分でもあり、そうやって目の前で、本当にどうにもならないアイディアが、点数が取れるものに変わっていく思考プロセス、考え方を学ぶことができるってこと。

 

点数が取れるから点数が取れる状態にできるということ。

 

もともと50点アベレージの人が、どうやって考えたらいいのかわからないのとは正反対ということ。

だから50点アベレージの人の解答例を見ると、論点じゃなくて、知識が書かれてるでしょう。ごまかすためです。

それしか逆に言えば書けないから、それをちりばめて、それっぽく見せて終わりにしてるのね。

でも、高校生に勘違いさせるには、それでいいのかもね。

たくさんの子が、自分が点数を上げないといけないっていう真実の瞬間から目をそむけて、受験勉強をしているからね。

 

それで、受かるアイディアゲットに夢中なのよ。

それで、アイディアゲットなんですね。

もうこれで私受かるのね。

面倒な話なしね。

努力不要ね。

慶應合格、ブランドゲット、めんどくさいのいやってね。

 

ぶっちゃけそれでも、受かっちゃいます。

現に受かっているし・・・という話ね。

 

そのプロセスを身に着ければ、あなたも一般入試で落ちようがないってことなのね。だから最初から、点数が取れる内容しか学ばないってことがいかに大事かということなのよ。

 

気を付けてがんばっていきましょう。

 

 

まとめ(ハイライト)

点数を取ることができない人が、新しく何度もカメラの前で取り直しをしているだけで、受講しても意味がないということが一つ。新しくても点数が上がらないと意味がないからね。もう一つは、授業の量が少なすぎて、何にもスキルアップしないってこと。

 

 

その新出題とは、教員が選んだものだ。

だから新しいというよりは、教員が選んだものと言える。

 

 

【新しいことをやり成果を出すための3条件】

1)     効果的でレベルが高いこと。

2)     新規性があること(今までにない)

3)     進歩性があること(簡単に思いつかない)

 

 

論文の書き方を新しくしてはまずい理由は二つある。

一つは、機能性の問題。つまり、そこらへんにいるお兄ちゃんが数百年間、カントやニュートンなどの世界的な知の巨人たちが確立してきた、世界的な頭脳の至宝と言えるような学者たちのやってきた論文執筆の完成された在り方にケチをつけることができるわけがないということ。

第二の新しい論文の書き方がダメな理由は、しきたり、伝統、規範の問題があるってこと。

 

 

適応しさえすれば誰でも受かるって論法、(そんなわけないだろって話なんだけど)そういうのに騙されて、「今年3浪目です」とか言ってる子がいるんだけど、ほんとうにかわいそう。

 

 

新しいことに価値があるって、その人が新しいかどうかってこと。言い換えると、その人が時代待ちなの人なのか、そうではないのかってことでしょ?

 

 

人を騙してアクセスをかき集めて、大量に受験させ、大量に不合格にして、たくさん合格者を作り、また次の年も被害者が出ているというのが、受験業界の実情。

 

 

特殊性に対応してジャーナルにパスしたんじゃないんだよ。

レベルを高めていくから特殊なジャンルでも認められるんだ。

 

 

 

もう一度言うけど、その新しいというのは、価値を分解すると、@効果、A新規性、B進歩性のことなんだ。その新しいって何のことを言ってるの?と問われて、新しいってことは新しいってことです・・・みたいな回答が一番まずいのね。

要はこういうことだよ。説明できないとだめ、プレゼンできないとダメ、構想立てられないとダメ、学問できないとダメ、研究できないとダメ、読解できないとダメ、論述できないとダメ、論理思考ができないとダメ、クリティカルシンキングができないとダメ、発想力が無いとダメ、

 

こういうライティングや、その他の思考力すべてをもって、評価されているの。

 

 

つまり、現代がめちゃくちゃに時代遅れなの。

新しい授業で新しい入試に対応するって発想がそもそも陳腐なんだ。

 

 

 

 

だまされている受験生がかわいそうなポイント

 

騙されている受験生がかわいそうなポイントは、ネタ思考がこびりついているってこと。

 

そういう受験生は、受からないアイディアをさも受かるようによそおって、おしえられてしまっている。

 

例えば、ネタの小論文として・・・・

 

VRと書く

AIと書く

フィンテックと書く

 

これで何か新しいことが書けたって、、、、

そんなわけないんだけど、そんな風に勘違いしてるんだね。

こんなので合格になるんだったら、慶應大学も単なるネタ大学だね。

ネタが良ければ合格で、ネタが悪ければ不合格の大学なの?

 

ネタいいねー。合格。

ネタ悪いねー。不合格。

 

そんなことやってたら、まともな学生がいなくなってしまうよね。

アイディアは組みあわせだとか、陳腐なことを教えられている子もかわいそうで、いい加減なことを書いて満足してしまうんだ。

 

それに、そうやって考えることができない人をターゲットに、やっている教育機関が、組み合わせたのをじゃんじゃん書けばいいって教えたりするでしょう。

 

それで被害者が増える。

 

 

新しい何かを加えることで合格しているわけではない。

 

模試の採点は、関関同立マーチのお兄ちゃんがやってたりするのね。

論文試験の点数は40点くらいのアルバイトが点数をつけてたりします。

そうすると、そもそも何がいいのかわからないから、大学の採点とはずれが出てくるわけ。

 

模試の試験については、正社員が採点していることもあるかもしれない。

そういう人の点数は、

65点くらい。

 

そもそもなんだけど、解答例は点数を取ることができない人によって書かれていることが多い。

 

筑波大学の名誉教授は、「その場逃れの解答例」と批判したんだ。

提示している解法アプロ―との連関が希薄とね。

そして、提示している解法もダメだと。

 

 

発想というのは、ヒラメキではない。

発想は、アイディアでもない。

 

発想は、洞察。

 

考えて、書いて、だからなんなの?っていうのが小論文で、ほとんどのケースで、

なんでもないの。

 

何かの体系ではないからね。

だから受験生からすると、何が点数が高い考察で、何が点数が低い考察なのかが分からないんだね。

 

でも大学の先生は分かる。

非論理的な考察は、レベルが低い。

そして、新規性が無いのもレベルが低い。

皆と同じなのもレベルは低いよね。

誰でも考え付きそうなことしか述べていないとか、自明な内容、既に実施されている内容、ネタに頼った内容、単に何か最新のコンセプトを加えただけの内容・・・・こういうのが点数が低いんだ。

 

 

まともなことが考えられている場合に評価が高まる。

 

でも、

比較するとまともってだけ。

 

多くの受験生が抱えている問題は、

知識で受かるという感覚が大きいこと。

知識では受からないよ。

知識が大事だとしても、知識だけでは受からない。

 

SFCが大量の資料を出題する理由は、ここで紹介した情報収集の力も試験会場で見せてほしいから。

 

他の学部で論文試験が出ているのは、単に知識があるだけで通過させたくないから。

 

その試験にネタで合格しようとするのは、試験の趣旨に反するわけだね。

 

受験生が勘違いをしているのはまさにここで、論文試験については、「受かるやつ」って感覚があるみたい。

 

受かるやつください・・・本を読むのも面倒なんで・・・って。

そういう考えの延長だとね。

 

レポート書きなさいって言われて、ネットで検索して、コピーしてペーストするの。

 

これ、いいやつでしょ。

賢いでしょ。

レベル高いでしょ。

知識書かれているでしょ。

だからすごいでしょ。エッヘンって。

 

これ、0点のやつなんだよ。

事実名門校では、オンラインからのコピペをやったら、0点にしますってところがある。

その科目だけじゃない。

そのクォーターに申請したすべての科目を不合格、0点にしますってね。

 

とんでもないペナルティーなんだよ。

受かるやつで受かろうって、考えがなぜ間違ってるの?

 

君の頭で考えていないからだよ。

 

組み合わせでポンポン考えれば、慶應が、うわぉーすごいアイディアって評価するの?

ネタ書いたら評価するの?

オンラインのコピペで評価するの?

 

違うよね。

大学って、オンラインの知識をコピペするところじゃない。

研究するところなんだよね。

 

そこで学びたいって君たちが、小論文で試されているんだよね。

 

新しい授業で君は何を教えてほしいの?

受かるやつ?

出るやつ?

最新のネタ?

時代に対応したやつ?

 

なんだよそれ?

そんなの無いんだよ。

だって君が未来を創るために大学があるんだからね。

 

君が研究したり、何かをやり遂げるために、大学の先生に力を貸してもらうわけでしょう?

健全な先生なら、少なくともがんばる学生を、公平に扱わないことはないよ。

 

お前なんかに、いい成績つけるかって、狭量が狭い先生も、まともな先生ならいないでしょ。

 

だから新しい知識で新しい問題に対応するんじゃない。

あなたの実力で新しいことを自分の頭で考えるんだよ。

 

自分の目で見て、自分の頭で考えなさい。

そう僕はお師匠さんに教えてもらったんだ。

 

 

だから君にも同じことを教えるよ。

 

自分の目で見て、自分の頭で考えなさい。

そのための最高の授業を君に届けよう。

 

その点で誰にも負けなかった牛山が、この地球上で一番と言える内容を、がんばって提供するように努めている。

 

新しい出題に完全に対応する、そう、新しいまだ誰も作ったことのない未来を、君が創る技術を提供する授業だよ。

 

過去を見て、過去から受かるやつを探す、そういう頭の使い方と、未来を見て、どうなのかを考える頭の使い方は、180度真逆なんだ。

 

 

 

最後に

 

過去ばっかり見て、なんで大学なんだよ。

大学は研究機関なんだ。

だから未来を創る君が行くんだろ。

しっかりしろ。

こういうことだよ。

 

俺が、未来の作り方を教える。

世界のトップシンカーなんかにビビるな。

偉い先生が正しいわけじゃない。

 

きちんと実態を見抜くんだ。

そのための授業だろう。

 

慶應大学に受からせてほしいので、新しい傾向にあわせた勉強してきましたんで、過去問題あながあくほど見てきたんで、宜しくお願いしますって、コビうるようなやつは慶應大学や名門校はいらないんだよ。

 

もう一度言うよ。

こういう人だったらウェルカムなんだ。

 

君が未来を創ることができる。

でも、学問の力が今はないでしょ。

君ができることを学問の形にして、未来を動かす手伝いをしてくれるのが、大学の先生なんだよ。

 

君たちはしっかり自分の興味に基づいて、世界を見ることが大切だ。

大事なことから目をそらしちゃだめなんだよ。

 

大学の先生は才能がある連中に学問を教えるのが仕事。

だから俺は君の才能を開いて、レベルを高くする。

出ること教えてもらってちゃんちゃんなんて考えてはだめだ!

せせこましいよ。

 

君が未来を作るときに、いろんな存在が君に力を貸してくれる。

そこに感謝して、がんばっていこう。

 

 

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