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発想力が評価されないという言説

発想力が評価の対象にならないという言説がある。
なぜこんなことを言う人が出てくるのか理解に苦しむ。


慶應大学法学部の問題には毎回
「構成・内容・表現・発想」で評価すると明記されている。
また、慶應大学の他の学部でも、ウェブサイトに大学が
公式に明記していることもあるようだ。

慶應義塾大学 ウェブサイト 学部入学案内ページ

--------------引用開始----------------------------

小論文

発想、論理的構成、表現などの総合的能力を問う。

-----------引用終了--------------------------------

大学の公表する内容と真逆のアドバイスが公然と行われる
ように、小論文の指導というのは、かなり
理論的に進められることも多い。
科目の性質上、正解が無いので仕方がないが、しっかりと
考えることが大切だ。

そもそも、基本的に論文と発想力とは、切っても切れない
関係にある。どのような理論であろうと、学説であろうと、
物事を見た視点や発想は、重要な論文の魅力の一つである。
発想そのものが評価の対象になることはないが、

論文としてまとめられた結果の成果物には、結果論としてだが
発想が評価の対象になる。

 

また発想は、法律でも保護される。知的財産権と
言われる特許などがその典型である。日本だけではなく、
特許を世界的に保護し、知的財産権の影響力を拡大
していこうとする動きは世界規模だ。

さらに言えば、物事を思いつくということ、
新しいことを考えること、人とは違ったものの見方ができる
こと、世の中をよりよく変えていくものを作ることができること、
構想を練る力があること・・・などは、今後の21世紀の
世界で活躍する人材の要件である。


ものを考えることができない人ではなく、しっかりと
考えることができる逸材、人材を慶應大学(特に慶應大学
に限らず、世界中の大学は一般的にそうだと言える)は欲しており、
小論文試験を用意されていると考えるのが妥当である。

 

速読力が無意味という言説

(1)読書速度と小論文の点数の相関
一般的に文章を読む速度と、取得できる点数には相関があるようだ。
小論文試験で思いつくことができない・・と嘆いてくる子はたいてい
の場合、考えるスキルが不足しているか、読むのが遅い。

(2)考えるスピードと読書速度の関係
読むのが遅い人は考えるのも遅いことが多い。
なぜこのようになるのかは、原因は不明だが、
少なくとも読むのが遅いと、考える時間が無くなるのは
明白である。

物理的に時間が無くなると時間切れで試験終了となる。
当然不合格だ。

このようにならないためにも速読は有効である。

(3)読書スピードと知見の量の関係
また、速読ができれば、多くの本を読むことができる
ようになる。多くの本を読めば、考える幅も広がる。
多くの視点を持つことができるようになる。

(4)リスクの回避
さらに、おかしな考えを書いてしまうリスクを減らすことが
できるようになる。
リスクを抑え、高い点数を確保していくことをやりやすくなる。

(5)文章力
多くの本を読んでいる人は、文章力が高くなりやすい。
当然、論文試験では、文章力が高い方が点数は高くなりやすい。
したがって、多くの本を読む力は、小論文試験の突破力につながっている。

 

頭が良くないのに東大卒、東大院卒、東大博士課程修了者、京大卒等、難関大学出身者多数のクラスで、成績優秀者になった理由

小論文の勉強と言えば、地頭が良くないといけないのでは??
と考えられることもある。
小論文が苦手な人でも、1年間しっかり添削してもらい、コツコツ
と続けた人は合格している。
ただ、中途半端にやると、うまくいかないこともある。

小論文はたくさん勉強しても受からないのではないか?
こんな風に考える人もいるが、
結論から言えば、このような心配はあまり必要ない。
ゴリゴリと小論文を書いて添削を受けていれば地味に点数が
上がっていく。経験から多くの生徒を見てきてそう感じる。
頭がよくないと書けないのではないか?という心配は無用だ。

もちろん、中にはダントツに頭がいい人がいる。しかし、
それは本当に数パーセントだ。合格者の中でも天才レベルの
人はごくわずかである。

 

私自身、まったく頭は良くない。
しかし論文試験は得意だ。

 

私が大学院に在籍していたころ、
MBAと言われるコースなので、
エリートがたくさん集まったクラスだった。
私は、頭は決して良くないが、
小論文の講師だったので、論理的に考察することが得意だった。
だから教授であろうと、TAだろうと、論理的に矛盾があり、
納得できない場合はいつでも反論した。

ポイントは、論文の評価基準である。
論文試験では、どのように書けば評価が高いのかということに
ついてはいろいろな意見がある。
○○が良いとか、○○が悪い・・・
と、かなりの程度定性的な意見も多い。
私がどのように書いていたかと言うと・・・
論理的に論文試験は書くように気を付けていた。
実用書は論文試験ではないので、論理至上主義でありさえ
すればいいとは限らない。

実用書は、結果が出てナンボだ。


今年も「小論文技術習得講義」「慶應小論文合格バイブル」
「慶應大学絶対合格法」
を読んでくれていた子
から、慶應大学総合政策学部に合格したというお礼の
メールが来た。
こういう時が一番うれしい。

ところが一般的には、難しい知識をいっぱい詰め込み
難しい文章をいかめしく書けば、論文試験で点数が高い
と思われていることも多い。

これらの小論文に対する考え方の何がまずいかというと、
主観がいっぱいだということ。

つまり、論文とはかくあるべきという考えが先にあり、
論文試験は○○が当たり前だろうと思っている。
しかし、それは思っているだけで客観性が無い。
○○がいいのだ!
○○がよくないのだ!
というのは、考えであって実態ではない。
一方で・・・

客観性とは、論理である。
どの国、どの言語、どの人種、どの価値観でも、
論理に翻訳すればブレが無くなる。

だからこそ、論理的であることは、大事である。
論理的でありさえすればいいわけではないが、
ここは最低条件として大切だ。

ポイントはこの後である。
論理的に考察することが大切と言っても、
それがキッチリとできる人はあまりいない。
論理的であるように考察するということは、
言葉で言うほど簡単ではない。

だから書道や空手のように、鍛えていくことが大切。
この重要性にあまり気づけない人が多い。
逆に言えば、だからこそ、この点に気づいている人は
他の人よりも点数を取りやすくなるとも言える。













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