慶應小論文添削で失敗しない為の秘訣:無料ウェブ

 

 

U 一般的な慶應小論文対策の問題

 

(1) 代理作成された解答例で学ぶリスク(危険性)

 慶應大学の小論文は、解答例が代理作成されているものがある。つまり、外部に発注してお金を払い、解答例を作成してもらった上で生徒を募集している塾があるということだ。

 言葉をつむぐという作業は、頭の中で言葉のイメージを言語化することである。また、正確に問題を思考するということは、正確に論点を把握した上で論理思考ができるということである。

 読解はできても、論理思考はできない、非論理的に感性を働かせることができない場合、小論文をどのように作るのかを説明することはできないと考えられる。

 このような代理作成された解答例で学ぶことには、上記のようなリスクがある。 小論文の添削は、総合的にあなたの実力が高まるように成されるのが理想である。

 

(2) 形だけの早慶コースについてのリスク(危険性)

 早慶コースと名前をつければ、その瞬間にそのコースは、確かに「早慶コース」である。しかし、そのコースが合格に資するかどうかは分からない。あなたは何が慶應合格を決めるか今の時点で理解しているだろうか。分からないから、早慶コースを選ぶのではないだろうか。

 また、慶應大学の問題を扱うので、「慶應の英語」というのもおかしい。そもそも慶應大学専用の英語などというものはない。慶應大学の入試問題に掲載されれば、その瞬間にその英文が慶應の英語になるのである。それにも関わらず、「慶應の英語」とか、「慶應の英単語」というものがある。「慶應の小論文」というのであれば、傾向と対策面で、特殊性があるため、どのような対策を行っておくことが理想なのかは分かる。

 しかし、そうではなく、一般的によくある法学系に出題されやすい英文なのであれば、それは慶應の英文と表現するのはおかしくないだろうか。さらに言えば、傾向に合わせた対策をすれば、理想的な対策ができるというのもおかしい。

 傾向はあくまで傾向であり、合わせた対策とは何であり、その時に有効な対策とは何かというところまでがセットになり、初めてその対策は有効なのだ。

 プロ野球選手になるには、プロ野球の傾向に合わせても意味が無いのとまったく同じく、小論文でも、基本的な力が無い状態で傾向を気にしても合格しにくい。

 このように、傾向と対策という言葉が独り歩きしており、何が本当に有効であり、その理由は何かという肝心要の部分が無視されて、対策論が勝手に語られているのである。これは大変危険なことだ。なぜか。

 慶應の・・・という枕詞さえつければ、なんでも慶應対策コースが完成してしまうからだ。あなたが真に考えなければならないことは、「本当にその慶應コースで合格できるのか」ということである。なぜ有効なのか、指導品質は確かなのか、ここを見る必要がある。

 

(3)テクニックとスキルを混同するリスク(危険性)

 テクニックをスキル(技術)と勘違いしている人がいる。「小手先のテクニックはダメだ。きちんとした対策こそが大事なのだ」とは、一見すると大変もっともらしい。しかし本当にそうだろうか。

 そもそも、テクニックとスキルは別物である。小手先のテクニックは、単なるテクニックであり、上級者が持っているスキルは、本物の技術である。
剣道であれ、茶道であれ、書道であれ、歌であれ、スポーツであれ、上級者がスキルを持っていないなどということはない。

 さらに言えば、言語学の領域で研究されている「読解ストラテジー」などは、読解方法についてのスキルを向上させることにより、読書の際の理解度が上昇することが確かめられている。速読力も同様である。東京大学を含めた国立大学が速読の研究を行い、読解スピードの向上を確認し、脳内のどの部位がどのように通常の読書の際と違うのかを確認している。

 「テクニックはダメだ」などというのは、事実を知らない無知な言説に過ぎない。テクニックと呼び、技術を軽視する論説はそう述べることで都合のいい側が、あなたをコントロールするために、存在することが多い。あなたが不合格になりやすくなるということである。

 

 


 

(4)慶應の小論文に「発想力は関係が無い」という言説のリスク(危険性)

慶應法学部の論文テストは、「このテストは、構成力、理解力、表現力、発想力で評価する」と毎年大学側が公表している。一般的に発想力は学問の土台である。

 いかなるノーベル賞等の先端的な貢献であれ、最初はなんらかの思いつきから生まれる。発想が土台となり、飛躍が生まれるのであり、その思い付きがある人は優秀であることは論を待たない。ゆえに、小論文に発想力が関係ないというのは、論外の言説である。あなたは発想力を鍛える勉強もしていくことが望ましい。

 

(5) ネタを仕込めばよいと考えるリスク(危険性)

  知見を広げ、学ぶことで論文を書く態度は望ましい。しかしこのような学びを卑しくも合格術としての「ネタ」というレベルに貶め、お手軽な対策をしようという受験指導は存在する。受験生のことを考えれば、一概に無駄であるとは言えないだろう。

 なぜならば、どの受験生も時間が無く、そのことに苦しんでいるからだ。しかし、一方でこのような考えは、何も考えない生徒を合格させるリスクを生む。

 大学側は、このようにネタ対策で学生を合格させてしまった場合、長期的に大変な損失になるだろう。なんのために小論文を用意したのかということになり、大学側が用意した小論文というテストはうまく機能しなかったということになる。

 学生の側からすれば、ネタを仕込めば、(しめしめ正解を書くことができた)と感じていることも多いようだが、往々にしてその分野での一般論に堕していることが多い。

 さらに、無理やりネタを使おうとして、そのことが原因で、問題と論理的に関係が無いズレた内容を書いている失敗が多い。(こんなことも知っていますよ、すごいでしょう。点数をください。くれますよね。)と・・・こんな風に書いた側は思っていることも多い。

 ところが小論文試験は知識テストではないので、誰も知らないことを書けば点数が高いわけではない。もしそんな簡単な試験なら誰でも高得点になってしまうだろう。誰も知らないことを覚えておいて、何を聞かれても論点がずれても、書けばいいからだ。

 そんなバカなことはない。きちんと問われたことに、自分の頭で考えて答える必要がある。ゆえに、考える練習をすることは、小論文対策の正道である。

◆『知見を広げる』・・・思考の土台になるので望ましい。
◆『ネタを仕込む』・・・考えなくなる傾向が強い。ネタで評価されると勘違いしがち。

 

(6) 議論の前提を整理することを型とするリスク(危険性)

 「議論の前提を整理せよ」という指導もある。これは間違いではない。複雑な問題を思考させられた時は、各種議論の前提を整理し、何を議論の目的にするかを考察する必要がある。ただし、このような問題が出題される確率は低い。いつでもやる必要は無い上に、いつもやっていれば、問いに答えていない解答になるリスクがある。

(7)「原因を述べればいい」という指導通りにするリスク

 小論文を書くとき、「まず最初に原因を書けばいい」と教える指導がある。この指導は大変危険である。もちろん、原因を書いてもいい問題もある。しかし、そもそもそのような問題が出題される確率は一般的にそこまで高くない。小論文では、二項対立の論点(例えば、脳死は人の死か、それともそうではないかという類の問題)と、問題解決型の問題がある。二項対立の論点を持つような問題に対して、原因を述べていくようなスタンスで書いていけば、(一体全体何を書いているのか?)という話になってしまう。

 さらに言えば、原因は通常分からない。物事の発生原因は通常何十個もある。例えば、あなたが小論文で点数を取ることができない原因は次のようになる。

 もう少し詳しく見ていこう。地球温暖化の事例を上げる。例えば、温暖化は、二酸化炭素の排出量が原因だ・・・などと本当に言い切っていいだろうか。そのように、適当に思いついた内容を原因として述べても、それは単なる仮説にすぎない。なぜならば、その二酸化炭素の排出量が、主因かどうかが分からないからである。自分が知っている知識を述べているだけで、あくまでも定量的なデータに裏付けられていなければ、仮説にすぎないということである。

 現実には、地球温暖化は、二酸化炭素の影響であると言い切っていいのだろうか。慎重に議論を展開する必要がある。具体的には地球温暖化については、概要を述べただけでも以下の様な因子構造があるようである。

 地球温暖化の原因として考えられる因子は、温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、代替フロン、亜酸素窒素、水蒸気など)、アルベド、エアゾル、太陽放射、オゾンの減少などであると言われている。さらに、温室効果ガスの排出源比率についても、細かな資料がある。発生原因が多数あるだけではなく、その発生源も世界各地であり、多岐に渡る。加えて、それぞれの因子がどの程度の影響を現実に与えているかについては、膨大な量の計算が必要であると言われている。

 カンタンに言えば、よく分かっていないことも多い。

 どのような問題解決型の問題が出ても、なんとなく知っていることとこじつけて問題を定義した場合どうなるか。問題の解決力は往々にして失われる。二酸化炭素が原因なので、一つ一つの企業が努力していくことが原因だ・・・などと述べれば、単なる努力目標になってしまう。

 事実に基づかずに、原因について、適当に仮説を述べれば、論点がブレる。なぜならば、自分の仮説を連発することになるからだ。もともと自分の仮説を土台として、さらに対策案としての仮説を述べる時、論理構造的には(自分は○○だと思うので、○○するといいと思う。)という論理構造になる。これは最初から最後まで単に思っているだけであり、何ら事実に基づいていない。当然思っていることを述べただけのものは論文とは呼べない。論説としても、大変程度が低いものになってしまう。

 このような「単に思っただけの作文」とは正反対のものを書く必要がある。どうすればいいのか。事実に基づいて考察をする訓練が必要になる。これをFACTベースという。事実に基づき、仮説を論理的に導くことができれば、あなたの仮説は事実と≒になる。事実とほぼ同じになるということだ。このような論理を組む練習をするのが小論文の練習である。

 事実に基づいて、原因を考察するのはOKかという質問を受けたことがある。これについては、問題による。あくまでも状況分析を事実ベースで述べる程度であれば、大きな問題にはならない。ただし、そのようなことを求められているかどうかについては、慎重になる必要がある。

ここはあなたが書く小論文の点数に大きく影響するので少しだけ詳しく書いておこう。問題解決を図る時、単にあれが原因なのではないか、これが原因なのではないかと考えれば、むやみやたらに推測をするだけになってしまう。

 例えば「日本がダメになったのは、教育が悪いと思う。だから日本は教育に一番力を入れていくべきだ。」という主張は、単なる推測にすぎない。そうではなく、事実を1つずつ整理する。事実に基づいた分析は、事実を土台としており、論理的に思考することができれば、状況を正確に分析できると考えられる。

 その結果、考えられた意思決定は、例えば、外交はこれこれ、経済はこれこれ、中国との関係はこれこれ、安全保障はこれこれというように、事実に基づいたものである。事実に基づいて問題を定義した場合、その問題は少なくとも事実から乖離していない。ゆえにより一層適当な主張よりも妥当性が高いと考えられる。

 問題解決型の問題では、解決策を述べることは必ずしも間違いではない。ただし、ここで述べたような正確な論理思考ができなければそのような解決策は絵に描いた餅である。つまり、なんら実効性を持たないということだ。

 

 

 









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