こんにちは。

牛山です。

今日の内容は・・・

小論文とは議論に勝つように書くものかどうか?

というものです。


さて・・小論文とは、議論に勝つように書くものでしょうか?

私は違うと教えています。

なぜか?

もちろんお涙頂戴の感情論からこのように主張しているのではありません。


小論文試験で高得点を取るには、問題になる性質を、
相手を論破する小論文は含んでいるからこのように主張しているのです。


もっとすっきり言うと、
相手を論破しようとすると落ちるってコトです。

不合格になる。


小論文は、多くの場合自分で問題を設定できます。
そして正しい、あるいは適切な問題を設定する事を
試験では求められているのです。


つまり・・・試されているという事です。

きちんと問題設定できるかなぁ~という事ですね。

そしてこの問題設定を議題として議論を進めるように書くのが小論文ですね。

正確には違うかと思います。しかし分かり易さを重視してあえてこのように
解説しています。

ところで議論というのはどうしてするのでしょうか?
それは相手と共感できる合意を形成する為です。
相手を論破しても、共感は得る事ができません。

コノヤローと思われるだけです。
それをはっきり言うのが小論文だ!議論だ!

というのは、本当の議論をあまりした事が無い人の言う事だろうと
私は考えています。

文章と言うのはそれが口から発せられようと、文字にして書かれようと、
微妙な感覚を伝える役割があるのです。
それを分からずに、微妙な軌道修正や、感覚を無視して議論の為の議論をする
人が時々います。これはケンカの為のケンカと同じです。

つまり成熟していない子供だということです。

議論というのはまず前提があり、(議題があり)その前提に従って、
お互いに歩み寄るような性質を持っているのです。

もともと何らかの合意を取り付けるのが目的であり、敵対するのが目的では
ないのです。真剣に反対の立場で主張しあうとしてもやはり同じです。

こういう事がきちんと分かっているかいないかで、小論文試験では
大きく点数が違ってくるでしょう。


           技術習得アドバイザー
                   牛山 恭範



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