こんにちは。
牛山です。
今日はこんないい質問が来たのでみなさんと
シェアしておきたいと思います。
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慶應の商学部を受けるのですが、
御社の小論文講座は対応できる
ものですか?
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商学部の論文は確かに特殊ですね。
結論を言いますと対応できます。
以下の文章は慶應受験生向けになっています
が、基本的に本質理解があるからこそどんな
小論文の問題でも学部は関係なく書く事が
できるようになります。
医療系専用だとか、人文系専用なんていうのは
意味が無い。それはネタの話でしょう?
という事なんですね。
ネタを添削や指導に求めてどうするの?
という話なんです。時間がいくらあっても足りない
し、効率が悪すぎます。
図書館に行ってダダンと10冊くらい本を山積み
にしてせっせと知識を入れるからダントツに
なれるわけなんですね。
------------以下慶應受験生向け-------------------------
詳しく話すと・・
特殊だからこそ現状ではこの小論文に対応する指導が
できる機関がほぼ皆無なのです。小論文が今はプレゼン
の文章作成に近いものになってきています。
欧米型と言ってもいいかもしれません。ただ、このような傾向は、
慶應全般に対して言えます。
特にSFCはその傾向が顕著で、現代社会
(モノと情報が溢れた、アルビントフラーが指摘する第3の波ではなく、
第4段階の社会)でそのまま活躍できる頭脳を持った人材像を振り分け
る為の試験になってきているんです。
日本経済がダメになりつつある時代背景の中で、
次世代の産業を生み出すエネルギーになるのは、他者の
模倣ではないんです。
今まではアメリカという先駆者がいました。
しかし今日本の目の前を技術面で走っている国は細かい
事を除けば無いわけです。
ちなみに、こういう今の社会はハイコンセプトの時代と
言って、情報処理型の人間や、マニュアル型の人間が活躍
できない時代なんですね。
1955年ほどから続いていた高度経済成長下とは
成長した企業が違うように、2008年の現代では、
活躍できる人材も同様に違うんです。
そこに気付いている人は非常に少ないようで、
良く見かける小論文本の主張そのままでいっちゃえという
対策になっているんですね。
大学が求めているのは優秀な人材、その資質(ヒューマン
スキルも含めた総合的なもの)
です。
トリッキーな問題が増えれば増えるほど本質の重要性
が正比例して増します。
そのトリッキーな問題の裏側にある意図も含めて
何がきても対処できるのが本質の理解だからです。
トリッキーな問題に対して細目のテクニック論で対処しようと
するからこそこけるというのが私の主張です。
私が本の中などで解答が見えると言っているのは
シャレや冗談ではないんですね。
本当に見えるから本当の意味で添削もできるし、
書く事もできるし合格もできるわけです。
これは小論文に限らず他の文章も同じです。
他にも質問がある方がいたら質問にお答えします。
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P29605377
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