・失敗例への考え方
ここまでで暗記科目の勉強法についてかなり詳しく説明してきた。このような勉強法は一般的ではないかもしれない。それは時代が追いついていないだけ、と言いたい。まだ世間の勉強法は結構適当なことに引きずられている。私自身、現役の頃は感覚で勉強をしていた。「なんとなくこうしたら良くなるんじゃないか」という感じの、フワフワした感覚に基づいて勉強をしていた。牛山さんから受験生がよくやってしまう失敗について聞いたところ、次のようなものがあるそうだ。
・宗教のように参考書を考えており、この参考書が最強……という具合に、考えているケース
・大学学部別に最短ルートというものが存在しており、その最短ルートを実現できる「オススメ参考書」が何かということに異常に執着心があり、関心が高いケース
・理解が大切なので、予備校でじっくり歴史の講義を聞かないとダメに決っているでしょ?と考えているケース
・「点数をアップするには、この講義が大事です……」と、「東京大学」と書かれたネームプレートを首からこれみよがしにぶら下げているお兄ちゃんにしつこく講座について勧誘を受けたケース
・「この歴史の講義を受けた人が、慶應に3学部合格した!だからこの歴史の講義を受ければ慶應に受かる!」と予備校の講座を強くオススメされて迷っているというケース
・「ナビゲーター世界史を音読しなさい。そこから全部出ているから。」と指導されて、そのとおりにナビゲーター世界史を死ぬほど音読して、本番で20点ほどしか取れなかったというケース
・覚えることがたくさんあり、心が折れてしまうケース
・早目にやってもどうせ忘れるから後からやればいいやと考え、トータルの記憶量が少なく、早慶に合格できるレベルに達しないケース
それぞれのケースについて見ていこう。
・宗教のように参考書を考えており、この参考書が最強……という具合に、考えているケース
→「最強」の参考書はない。参考書の有用性は使い方次第で変化する。理解用の参考書を理解作業で使えば使いやすいが、記憶作業で使えば当然使いづらい。また、そのままではどことなく使いづらいが、加工したり、速読や音声など勉強法を変えると使いやすくなる参考書もある。目的と学習段階などを踏まえて参考書の使い方を工夫してほしい。
原理原則として、試験はたくさん覚えれば合格する。この観点では、受験に必要な全ての項目が入っている参考書が「最強」になる。しかしこのような参考書は非常に細かい項目、つまり小項目(の中でもかなり小さい項目)まで含まれているだろう。いきなり小項目まで網羅するのは勉強しづらい。
またそのような参考書は辞書に近い本になっている場合が多い。仮にそれ1冊を覚えればいいと言われても、あなたは辞書のような本をやりたいだろうか?私はまっぴらゴメンだ。なぜなら辞書のような本は勉強本として扱いづらいからだ。赤シートで消える字、ポイントを押さえた解説など、学習のための工夫がなく、記憶作業を進めづらい。このような参考書を使うなら、それをメインに学習をするのではなく、最終確認や、過去問に出てきたけどどの参考書にも載っていないときに参照するといった使い方をするのが良いだろう。
もし、その参考書がこのような受験に必要な全項目が入っておらず、「この参考書には載っていないけど、あの参考書には載っている」という項目があるのなら論外だ。原理原則1の通り、基本的に受験は記憶量の勝負だ。たくさん覚えれば勝ちだ。モレがあるような参考書を「最強」とはいえない。
使いやすい参考書、加工しやすい参考書、馴染みやすい参考書はあるが、1つの「最強の参考書」はない。あえていえば参考書をたくさんこなし、記憶量を最大にした人が「最強の受験生」になる。
・大学学部別に最短ルートというものが存在しており、その最短ルートを実現できる「オススメ参考書」が何かということに異常に執着心があり、関心が高いケース
→理論的には、最短ルート、あるいは最も効率的な学習は存在するかもしれない。しかしそれは合格後に事後的に分かることであり、事前、つまり受験勉強を始める段階に全ての無駄を排した最短ルートを構築することは不可能だ。
「この参考書にはあの項目が載っていて、逆にこの項目が載っていない。」、「この参考書はこの視点から作られていて、こっちの参考書は別の視点で作られている。」などと考えていけば、モレや重複を最小限にした「参考書ルート」を作ることはできるだろう。
しかし、確かなデータを元にしたそのようなルート理論を私は聞いたことが無い。また仮に確かなルート理論があったとしても、それが万人に適用できるとも限らない。個人個人置かれた状況が異なるため、無理やりその理論を適用しても、逆効果になり、むしろ効率を害するおそれもある。個別の事情まで加味した最短ルートは、学習を終えた未来の自分にしか分からない。この意味で最短ルートは事後的にしか分からない。
そのため、理想の理論ルートを構築するよりも、ある程度万人向けの参考書ルートを組み、その後に調整する方が早く、効果的だ。最短ルートにこだわって受験勉強を始めないことが1番無駄である。そこそこ合理的な計画を組んだら、さっさと手を動かしてほしい。
最短ルートという発想はそもそも「最小の努力で最大の成果を得たい」という発想にもとづいている。その発想自体を否定はしないが、受験という人生の岐路でそこにこだわるのはリスクが高いと言わざるを得ない。
大学に進学するか、どこの大学に進学するか、というのは人生でとても重要な判断だ。「学歴社会が終わった。」と言われるが、4年間周囲の大学生を見てきた身、そして私自身就職活動をし、学生である傍らで働いている身としては、これは言い過ぎだと感じる。確かに従来の学歴絶対というほどの学歴社会は身を潜めているが、大量の就活生のスクリーニング手段として学歴は重宝されている。また就職後もキャリア形成や人との付き合いを考えると、早く(浪人することなく)、有名な大学を卒業することが有利になっていると感じている。それほどの重要性を持つ大学受験ならば、「最低の努力で最高の結果」ではなく、「いくら努力してもいいから最高の結果を出す」戦略を採用することは決して悪い選択ではない。
・理解が大切なので、予備校でじっくり歴史の講義を聞かないとダメに決っているでしょ?と考えているケース
→このケースは歴史だけに当てはまらない。歴史以外の科目でも同じことを考えている人は多い。この考えには、2点問題がある。思考が浅いことと論理の飛躍がある点だ。
「理解が大切」というが、これでは漠然としている。なぜ理解が大切で、学習のうえで必要なのか、どの程度必要なのか考えを深めることができる。これに対する私の答えは、「理解は記憶の補助のために必要で、物事を完全に理解する必要は無く、問題を解ける程度あれば十分。」だ。
さらに問題なのが「理解が大切→講義を聞かなければならない」となっている点だ。理解を作るためには必ず先生の授業が必要だろうか?そんなことはない。友人の話を何気なく聞いてるだけで誰がああいうこととこういうことをして…と人物像をイメージできるし、話を聞くだけでは良く分からないことも図にすれば1発で分かることもあれば、本をじっくり読んで理解する事件もある。要は理解の手段は他の人から1から10まで手取り足取り教えてもらう必要は必ずしもない。特に暗記科目の場合は、理数系科目と比較的に理解すべき事項が簡単だったり、その量が少ないことが多い。理解のために予備校に通う必要はあまりなく、市販の参考書で理解できることも多い。むしろ市販の参考書の方が効率的なことはよくある。この点についてはウェブブック『予備校との付き合い方』も参考にしてほしい。
・点数をアップするには、この講義が大事です……と、「東京大学」と書かれたネームプレートを首からこれみよがしにぶら下げているお兄ちゃんにしつこく講座について勧誘を受けたケース
→これにも論理に飛躍がある。「『東京大学』の人がオススメしている→点数が上がる」となっている。「『東京大学』の人がオススメしている→学歴は絶対に信用できる→点数が上がる」、と1枚かませることができれば問題ない。
高学歴な人のアドバイスの方が信用できる。………本当にそうだろうか?確かに高学歴な人は相応の試験を乗り越えてきたのだから、何も結果がない人のアドバイスより信用できる。それ自体は客観的な事実で問題はない。実際、それに従って結果を出した人もいるだろう、しかし、同時に有名大学のブランドに当てられてしまったり、憧れにつけ込まれてしまっていないだろうか。それによって事実を捻じ曲げてしまっていないだろうか。相手は当然ネームバリューによって、そのような効果があることを見込んでいる。
高学歴な人のアドバイスは信用しやすい一方で、悪い商業主義につけ込まれている可能性もある。しかも、学歴がある人のアドバイスを無下にして突き進むのは抵抗があるから始末が悪い(受験生は結果が出ていないのだから、結果に確信を持てないのは仕方ない)。感情的にこの2つがぶつかってしまうのはどうしようもできない。私からできるアドバイスは、原理原則から考えること、事実と解釈を区別して考えてことだ。特に小論文受験者は、小論文の練習にもなるのでぜひ実践してみてほしい。本当にこの講義は有効か、金銭的に余裕があるか、生活に組み込めるか、ウソや論理の飛躍がないか、組織の論理に従って動いているのか……思考を深めてほしい。
ところで、受験に関する情報を漁っていると、さまざまな肩書きの人が情報を発信しているが、学歴で序列をつけて、情報の信頼性を判断するのは本当にやめてほしい。学歴や肩書きに対して、正確に序列をつけることが困難(慶應SFCより東大の方が偉くて、東大の中でも理Vが上で、東大よりハーバードの方が上だろうか?どれも土俵が違いすぎて比較できない。)だし、序列によって情報の本質価値(中身)は変わらないし、何より不毛で見苦しい。学歴はあくまで参考に留めてほしい
ついでに教える人の学歴が高い方がいい!という言い方にも触れておきたい。講義は知識を既に知っている人が知らない人に教えることだから、教える人が高学歴な方が教えられることが多いというのは確かだろう。しかし学歴によって教えるスキルに序列がつくと言ってはウソになる。学歴は無いけど別の段階で凄まじい勉強をした人がいるかもしれない。また高学歴な教師でも、生徒が見てないところで解答をチラ見するスキルばかり鍛えられてるバイト講師もいる。
・この歴史の講義を受けた人が、慶應に3学部合格した!だからこの歴史の講義を受ければ慶應に受かる!と予備校の講座を強くオススメされて迷っているというケース
→これも論理に飛躍がある。「この講義を受けた→慶應の3学部に合格した」。間に、「その年にたまたま予想が当たった」、「その人が講義以外でめちゃくちゃ勉強していた」なんて入ってもおかしくはなさそうだ。あなたがその人の行動を完全にマネすることはできない。これまで培ってきた人間像も生活など勉強以外の点は全く違うからだ。逆に、講義1つで合格が決まると考えているなら考えが浅いにもほどがある。 ところで、慶應クラスを利用した人に、慶應に3学部どころか4学部合格して、その後は記憶塾というサービスを利用して国内最難関試験の1つであり公認会計士試験に1発合格した人がいるそうだ。だからこのサービスを利用すればバツグンの結果が出ますよ!(本当にそうなれるサービスかな?と1度立ち止まることができれば合格です)。
・「ナビゲーター世界史を音読しなさい。そこから全部出ているから。」と指導されて、そのとおりにナビゲーター世界史を死ぬほど音読して、本番で20点ほどしか取れなかったというケース
→『ナビゲーター世界史』がよく出来ている参考書だという点には賛成だ。捨ててしまった高校の世界史の教科書代わりとして私も利用したし、丁寧な口調で読みやすいし、頻出事項からやや細かいことまで網羅的に書いてある。私は使わなかったが、問題集も付いている。また音読も1つの勉強法として優秀だ。記憶への定着はバツグンに良い。
しかし、その点だけを切り取っても全体最適にはならない。部分最適の積み重ね≠全体最適、ということは割と使える切り口なのでついでに覚えておこう。なぜ本番で点が取れなかったかは正確には分からない。おそらくは、理解が浅くなった、用語をキーワードと合わせて覚えられなかった、音読の周回効率が悪いために記憶への定着が結果的に小さくなった、アウトプット作業に慣れなかった、といった原因が複合的に合わさったのだと思う。
原理原則1、2から分かるように、受験は限られた時間で記憶量を最大にできれば勝つ。つまりトータルで考えなければならない。難関試験は一本槍では必ず限界が来る。全体最適の視点を保持し続けよう。
・覚えることがたくさんあり、心が折れてしまうケース
暗記科目は覚えることがたくさんある。まあ、そりゃあそうだ。理数系科目より理解がしやすい分、たくさん覚えさせなきゃ釣り合いがとれない。しかもどんどん忘れていく。
しかしだからといって、諦めるほどではない。理解が簡単なのだから全体をさらうことは問題ない。あとは覚えることが問題だ。これも実はそこまで問題にならない。1度覚えてしまえば、次にやるときの労力はそんなにかからない。忘却対策に定期的に復習をするが、忘れてしまってもそんなに気負うことはない。もう1度覚え直すだけだ。こうして何度も復習していけば、本当に覚えられない項目はほとんど無くなるはずだ。そう、記憶作業は実質的に単調作業の繰り返しだ。あとはやる気の問題だ。やる気はコントロールが難しいが、普段と違うやり方でやってみる、イメージを使う、合格後の自分を想像するなどして乗り切ってほしい。
・早目にやってもどうせ忘れるから後からやればいいやと考え、トータルの記憶量が少なく、早慶に合格できるレベルに達しないケース
→いくら記憶作業をしても忘れる(原理原則4)、これ自体に間違えはない。しかし、忘却対策として、「記憶作業を最短スケジュールで組み、忘却が来る前に試験を受ける」という戦略を採用するのは危険だと考える。私ならよほど時間に余裕がない場合以外はこの方針を採用しない。時間に余裕があるのなら、ここで紹介したように、忘れることを前提にして対処する。
なぜ記憶作業を後回しにすると危険なのだろうか。その理由は、見積もり可能性、記憶対象の量、余裕不足にある。
記憶作業を後回しにするということは、試験までには記憶を間に合わせることになるが、その時間や進行度をどれくらい正確に見積れるだろうか?受験生には、当然、合格までどれくらい勉強すれば良いかという感覚も知見もない。さらに、現実には他の科目が思うように進まない、病気・怪我で学習が進まなくなるなど、暗記科目以外の要因も影響してくる。このような状況では、計画を組みことはできても、その計画通りに進む可能性は低くなる。
次に、大学受験では記憶項目の量が多すぎて、忘れる前に受験に臨むことは実質的に不可能だ。世界史を例に取って考えてみよう。世界史の理解と記憶作業を済ませて、大項目→中項目→小項目を一通りさらい、一定レベル(受験で戦える最低ライン)のに6ヶ月(整合性確認)かかった。一定レベルになった後も学習を続けていたが、その後2,3ヶ月は記憶の穴ができては潰しを繰り返ししていた。ここまでで8,9ヶ月かかった。これは時間をフルに使える浪人生でのことだから、現役生が同じことをしたら、1.5?2倍して、12ヶ月、つまり1年丸々かかるかもしれない。
この通り、記憶作業にも結構時間がかかる。後回しにできるほど記憶量は少なくない。もし、大項目→中項目→小項目を一通りさらっただけで受験に臨もうとするなら、いい度胸だ。おそらく、記憶の強度が弱く、「やったことがあるけど思い出せない」状態になる事故が多発するからやってみるといい。
ここまで後回し戦略の問題点を説明してきた。この戦略の問題は、暗記科目に回す時間が少ないことに起因する。時間が少ないから計画の修正ができず、本番でも記憶量が少なくなりがちになってしまう。ではこの問題の解決方針はどのようになるだろうか。単純に、暗記科目へ回す時間を増やせばいい。暗記科目はやればやるほど記憶が強固(忘れにくい)に、大量にできる。できるだけ長い時間、記憶作業をして、記憶を増やせば問題は解決する。それだけで不合格になるリスクをヘッジ(分散)できるなら安いものだ。受験に限らず、目標達成のためには時間と金をたっぷり用意できるほど有利になる(元も子もないが……)。資源があるなら変な理由で出し惜しみするのは避けたい。
以上で、暗記型科目のポイントとよくある失敗について長々と説明してきた。多少コツがいる理数系科目やそもそも範囲が大きすぎる英語などと比べると、暗記型科目は普通にやっていれば、難関試験でも、普通に攻略できてしまう。このウェブブックを参考にして、ぜひ暗記型科目をねじ伏せ、合格してほしい。
ディジシステム HOME |